五十話 デート理論

「と、とりあえず、もう少し近づこう」


 笹峰さんから解放された俺は、彼女の鋭い眼光に震えながらそう提案する。

 俺と七星さんが二人で手を伸ばしたら触れられる距離まで近付いた。


 流石にこの距離からならボールを弾くことはないだろう。


「それじゃ、いくよ」

「は、はい!」


 ――以下略。


 ビックリするぐらい見事にボールを弾いていた。

 距離が距離なので弾かれたボールは俺の足元まで転がってくる。

 それを拾い上げながら、俺は一つのことに気付いた。


 ……もしかして七星さん、ボールが怖いのか?


 間近にいたから気付いたけど、ボールが七星さんの手に当たる瞬間、彼女は何かに怯えるように目をギュッと瞑っていた。

 運動神経が悪いのかなとは思っていたが、直前までの手の動きはボールの軌道と合っている。

 事実、ボールを手で弾くところまではいっているのだ。


 俺はこの分析が正しいのか、七星さんに訊ねることにした。


「その、もしかして七星さん、ボールが怖かったりする?」

「……い、いえ、全然怖くないですっ」

「いやその反応、むしろ肯定でしかないけど」


 ぶるぶるぶると勢いよく顔を振る七星さんの焦りようは、否定の体裁を取りながら肯定の態度そのものだ。

 もしかしたら当人にはそのつもりはないのかもしれないけど。


「七星さん、ボールを掴むときに目を瞑っちゃってるんだよ。だからちゃんと掴めてない。ボールが怖いんだとしても、目を瞑ったら余計に怪我のリスクがあって危険だ」

「え、わたし、目を瞑っちゃってますか!?」


 ……自覚なし、か。


 ちらと笹峰さんの方を見ると、俺の視線の意図を察して懐からスマホを取りだしてくれた。

 彼女の準備ができたのを確認して、俺は再度ボールを放る。

 最早当たり前のことのように弾かれるボール。

 その後、笹峰さんが近付いてきて、今の一連の動きを録画したスマホの画面を見せてきた。


「ほ、本当に瞑っちゃってます……っ」


 録画を確認した七星さんが驚愕の表情で声を上げる。

 まあこういう時、当人に自覚がないってのはよくある話なのかもしれない。

 そもそも自覚してたら治せるだろうし。


 しゅんとして落ち込んでいる七星さんに俺はなるべく優しく声をかける。


「ま、まあこれで後は目を開くように気をつければボールも捕れるはずだし、気を取り直していこう」

「……そう、ですね」


 俺のフォローに反して、七星さんの反応は少し苦々しそうなものだった。

 なんだか辛い記憶を思い出したかのような。

 その反応に違和感を抱きながらも再度ボールを投げる。


 目に物凄く力を込めて、決して瞑らないでいようと意識する七星さん。

 ……が、やっぱり目を瞑ってしまった。


 弾かれたボールを拾い上げながら、俺はどうしようかと考える。

 やはり七星さんがボールを反射的に怖がっているのは確かなようだ。

 意識しても治らないのなら、別の方法を探すしかない。


「ご、ごめんなさい。やっぱり一人で練習してみます……」


 七星さんは露骨に落ち込んだ様子でそう言って来た。

 たぶん、ここまで深刻なものだとは思っていなかったんだろう。

 何せ自称とはいえ少しだけ苦手、と言えるぐらいだったんだから。


 ともすれば泣きそうな七星さんを前に、俺もまた反射的に言葉を紡いでいた。


「七星さん、これはデートなんだろ?」

「……え?」

「デート中に彼女にもういいですって言われたら、彼氏としては情けないというか落ち込むんだけど」

「ち、違います! 赤坂さんがダメというわけではなくてっ」


 慌てて否定してくる七星さんの言葉を途中で遮る。


「俺はこのままデートを続けたいと思ってるんだけど、七星さんが嫌なら無理強いはしない」

「い、嫌では、ないですけど……」

「本当に?」

「もちろんですっ。ですけど、赤坂さんにご迷惑を」

「七星さんが嫌じゃないなら続けようよ。折角のデートなんだからそんなに気張らずにさ、気楽に楽しもう。ボールなんて掴めたらいいなぐらいの感覚でいいんだって」


 本来の目的はドッジボールの練習だったが、こうまで七星さんが気にするのなら、主目的をずらす。

 つまり、俺たちはあくまでもデートを楽しむのであって、ドッジボールの上達はあくまでもサブ目的。


 俺の言葉に七星さんは恐る恐ると言った様子で顔を上げる。

 一体彼女が何を気にしてるのかわかんないけど、俺なんかに変に気を遣ってもらう必要はない。


 やがて七星さんは一歩前に近付いてきて俺が持っているボールに手を伸ばすと、上目遣いに言ってきた。


「そ、それじゃあ、デートの続き、お願いできますか……?」

「もちろん」


 頷き返しながら、どうしても一つの疑問が脳裏に浮かぶ。


 これって本当にデートと言えるものなんだろうか、と。


 まあお家デートなんて言葉もあるし、そう言う風に捉えるとデートなのかもしれないけど。

 というか、デート理論を用いて七星さんを説得した手前、こんな疑問を抱く方が無粋だし無意味だ。


「ふふっ」


 俺からつかみ取ったボールを両手で持ちながら、七星さんが嬉しそうに微笑む。


 ……ま、七星さんが気を取り直したのならなんでもいいか。


 俺は七星さんから受け取ったボールを再び彼女に投げ返した。


「……あうっ」

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