財閥のお嬢様と始める偽装交際~「これは契約だ」と思っていたはずが、何故か財閥の総力をかけて甘やかしてくる~

戸津 秋太

一章

一話 プロローグは突然に

「おい赤坂、七番テーブル注文入ってるぞー」

「はーい、すみませーん!」


 厨房の片付けをしていると、バイトリーダーから苛立ち交じりの声がかけられる。

 俺は努めて陽気な声で返事しながら、慌ててホールへと繰り出した。


 注文の入ったテーブルへ向かい、客の注文を伝票に取る。

 注文内容を厨房に持ち帰れば、即座に調理担当の人たちが調理を始めた。


 時刻は夜19時。

 国道沿いにあるこのファミレスが一番賑わう時間帯だ。


 去年の春に高校に進学した俺は、すぐにこのファミレスのバイト面接に申し込み、それから一年間ホールスタッフ兼雑用係として働いている。

 土地柄かバイトも学生が多く、時折バックれる奴もいるためシフトが乱れることが多い。

 例に漏れず今日も一人シフト担当が無断欠席をしていて、この忙しい時間を少人数で回す羽目になっていた。


「はい、お疲れ様。佐々木くんにはわたしの方から連絡しておくから」


 シフトが終わり、バイトリーダーが今日欠席したバイトの名前を出した。

 穏やかな表情でいるが、その語気に怒気が感じられる。


「お疲れさまでしたー」


 俺は早々に挨拶をして裏口から店を出る。

 時間は22時を少し回っていた。

 本当は深夜のシフトも入れたいけど、高校生はその時間まで働けない。


 軽く伸びをしながら国道沿いの道を歩く。

 時折前方からライトを灯した車が速度制限を明らかに超えている速度で通り抜けていく。


 バイト上がりのこの時間が、俺は嫌いじゃない。

 奇妙な達成感と解放感と、そして今日も金を稼げたという安心感が胸中に湧き上がる。

 バイト中のストレスも金が稼げたという事実があればなんとか耐えられる。


「やっぱ、世の中金がすべてだよな……」


 金さえ入ってくれば多少のストレスも耐えられる。

 何よりも、そもそも莫大な金さえ持っていたなら、バイトなんてしないですむ。

 色々な問題も金で解決できるのだ。


 カンカンカンと甲高い音を響かせながら、アパートの外の階段を上る。

 二階の一番奥の部屋の扉を開けてすぐに、乱暴に脱ぎ散らかされた靴と衣類が目に飛び込んできた。


「たくっ、また飲んでやがるな」


 玄関の電気をつけて廊下を進めば、突き当りの部屋からいびきが聞こえてくる。

 リビング兼親父の部屋になっているそこには近付かずに、右手の部屋の扉を開けた。


 パチリと部屋の電気をつければ、四畳ほどの狭い部屋の全貌が見える。

 簡素な勉強机と本棚、敷かれたままの布団。

 俺は鞄を床に置き、制服を適当に脱いで椅子にかけるとそのまま布団に倒れ込んだ。


 親父が起きると面倒だ。

 風呂も飯も朝にしようと誓いながら、そのまま瞼を閉じる。


「あー、一兆円ぐらいあればな……」


 そんな、稚拙な願望を零しながら俺の意識は遠のいた。



     ◆ ◆



「相変わらず眠そうだね、悠斗」


 朝。学校に早めに登校した俺が窓の外を眺めながら欠伸をかみ殺していると、茶髪の男子生徒が前の席に鞄を置きながら声をかけてきた。


「よお、大河。一応七時間は寝てるんだけどな」

「適度に休まないと疲れは堪るからね。やっぱり週七は無理があるよ」


 鞄の中身を取り出して教科書やノートを机の中に入れながら、大河は気遣わし気に言ってくる。


 ――七瀬大河。

 一年の時にできた友人で、今年も同じクラスになった。

 俺の事情を知っているクラスで唯一の人間でもある。


「ところで、今月の収入はどんなもんなんだい」

「10万ちょい」

「すごいじゃん」

「一兆円には程遠いけどな」

「なんのはなし?」


 困惑する大河を見ながら、俺は机に顎を付けて突っ伏す。


「それだけあれば一生困ることないだろうなって。どんな面倒事も金で解決できる」

「世の中金がすべて、が悠斗の自論だったね。悠斗がそういう考えになるのは無理もないと思うけど、僕は金があったらあったで面倒なことが増えると思うけどね。ほら、七星さんとか見てるとよりそう思うよ」

「七星さん、か」


 大河に名前を出されて、うちの学校の有名人物を思い出す。

 七星アリス。総資産数百兆円を超える七星財閥の一人娘。

 日本人離れした容姿とその家柄から、全校生徒の注目の的となっている。


「ほら、彼女いつも言い寄られてるじゃんか。大変そうにしてるよ、ほんとに」

「人に好かれまくって困るなんて、贅沢な悩みじゃねえか」


 何を言い出すかと思えば。

 俺がくだらないと一蹴すると、大河は小さくため息を零した。

 と同時に、クラスが一瞬ざわついた。


 机に突っ伏したまま横目で扉の方を見れば、噂の人物が教室に入って来た。

 腰ほどまで伸びた純白の長髪に、青い瞳。

 雪のように白い肌に、同年代の女子の中では一線を画したスタイルの持ち主。

 そう、七星アリスその人だった。


 ざわめき立った教室内は一瞬で静寂を取り戻し、まるで何もなかったかのようにそれぞれの会話に戻っている。

 その中を七星アリスは静かに進み、教室の真ん中にある席へポツンと座った。


 始業式が始まって早一週間。

 俺たちのクラス、二年三組のいつもの朝の光景だった。


「財閥のお嬢様が、どうしてこんな普通の高校に入ったんだろうねー」


 椅子の背もたれに頬杖をつきながら、大河が興味津々といった感じで呟く。

 俺は大河との雑談に戻るために、それきり彼女から視線を切った。


 そのままホームルームが始まり、一限、二限と眠りそうになりながらもなんとか耐えきると、昼休みになった。


 大河に断って、眠気を覚ますために校舎の外へと繰り出す。

 春の陽気な空気を全身に浴びながら、ぼんやりと敷地内の階段を降りていると、いつの間にか体育館の近くまで来ていた。

 そろそろ購買に行って残ったパンでも買おうかと思ったその時、体育館の陰から男女の声が聞こえてくる。


 興味本位で覗き込むと、視界で白い影が揺れた。


「ごめんなさいっ」


 七星アリスが、金髪の男子生徒に向かって頭を下げていた。

 男子生徒は頭を下げる彼女を少し冷たい目で見下ろしている。

 が、すぐににこやかに微笑みながら冗談めかした様子で話し始めた。


「えー、どうして? 七星さん、今フリーなんでしょ? なら付き合おうよ」

「……そのっ、ごめんなさい……」


 ……話が見えてきた。

 どうやら七星さんは告白をされて、それを断っているらしい。


 軽い感じで話す男子生徒も、ギュッと縮こまるように頭を下げたままの七星さんに苛立ちが隠せない様子だ。

 はぁとわざとらしくため息を零すと、「お高くとまりやがって」と小言を言い残して歩き出した。


(って、やば! こっち来る!)


 慌てて近くの段差の陰に隠れてやり過ごす。

 男子生徒は乱暴な足取りで校舎へ続く階段を上って行った。


 残ったのは俺と、七星さん。

 七星さんは体育館の陰でポツンと立ち尽くしていた。

 その姿が見てられなくて、俺もいそいそとその場を後にする。


 校舎に戻りながら、朝の大河との会話が脳裏をよぎった。


「……ま、悩みにも色々あるってことか」


 たくさんの人に好意を持たれるのはいいことかもしれないが、その好意を断った結果悪意を向けられるのは中々にストレスだろう。

 そんな思いをするぐらいなら、適当に誰かと付き合いそうなものだが……金持ちの考えることはわからない。

 好きな人がいるとか、そもそも男嫌いとかなんだろうか。


 他人の事情なんて詮索するものじゃないが、自分が欲しいと思っているものを持っている人間というのには否が応でも興味が湧く。

 三限の授業を受けながら、ぼんやりと教室の真ん中へ視線を向けた。


 先ほどの出来事が嘘のように、いつも通り彼女は授業を受けている。

 凛と伸ばした背筋にサラサラとした白髪が流れて、黒や茶ばかりの教室の中で異質な存在感を放っていた。


 ぼんやりと彼女を眺めながら、不意に、以前大河が話していたラノベの話が浮かんできた。

 見た目は陽キャそのものなのだが、成瀬大河はあまり三次元に興味のないいわゆる残念系イケメンというやつで、時折俺に気に入った漫画やラノベを薦めてくる。


 その中の一冊に、あくまでも契約としてカップルになるというラブコメがあった。

 男たちに付き纏われることを嫌がったヒロインが主人公にカップルのように振舞うという契約を持ち掛ける話。

 そんな二人もカップルを装っている間に互いに惹かれ合い――というやつだ。


 その話を思い出した瞬間、俺の脳裏に電流が奔った。

 ある一つの発想を思いついた。


 俺の将来の目標も、七星さんの悩みも解決できる、そんな天才的な発想。

 昔から行動力には自信があった俺は、早速ルーズリーフを一枚取り出してシャーペンを走らせた。



     ◆ ◆



「あっ、あの……お話というのはなんでしょうか。赤坂悠斗さん」


 放課後。事前に渡した手紙(ルーズリーフ)に書いておいた通り、七星さんは誰もいなくなった教室で一人残っていた。

 俺が扉を開けて中に入ると、彼女はおずおずとした様子で声をかけて来る。


 窓越しの夕日に照らされて、白髪が僅かに朱色に煌めいていた。

 宝石のように綺麗な青い瞳は潤んでいる。

 白雪のような肌には赤みが差し、緊張を感じさせる雰囲気を全身から醸し出していた。


 よく告白されているという彼女なら、こういう場に男子が呼び出すということがどういうことなのか、大体の察しはついているんだろう。

 その割にはまるで初めての体験かのように落ち着かない様子で時折髪をいじいじと弄っている。


 意外だな……と思いながら、彼女の近くへ歩み寄る。

 俺が近付くにつれて、更に落ち着きを無くして視線を彷徨わせ始める。

 その初々しい態度に内心でドキドキしながら、俺は努めて平静に声を発した。


「その――」

「……っ、っっ」

「もし、七星さんが迷惑なら断って欲しいんだけど」

「は、はいっ」

「俺と――偽装交際しないか?」

「……え?」


 ぽかんと呆気にとられたように目を丸くして立ち尽くす七星さん。

 慌てて俺は言葉を続けた。


「もちろん突然こんな話をされても意味がわからないと思う。ただ、これはどっちにもメリットがある話だと思うんだ」

「メリットですか?」

「ああ。七星さんが男子に付き纏われて困っているっていう話を聞いたんだ。でも、仮にでも彼氏ができたら必要以上に絡んでくるやつは減る」

「それはそうですけど……でしたら、赤坂さんのメリットはなんですか?」


 どこか拗ねた様子で唇を尖らせながら、七星さんが訊ねてくる。

 もっともな疑問だし、ここを誤魔化したら契約なんてとてもできないだろう。

 俺は包み隠さず正直に話すことにした。


「俺の将来の夢は大金持ちになることなんだ。だから大学に進学してゆくゆくは起業しようと思ってる。だけど、もし七星さんの彼氏を名乗ることができたら、今のうちに人脈を広げることができるだろ?」

「……つまり、赤坂さんは七星財閥の名前を借りて将来のための基盤作りをしたいと」

「包み隠さずに言うとそういうことだ。もちろん偽装である以上、必要以上に七星さんと交流を深めようともしないし、七星さんのタイミングで契約の破棄を申し出てくれてかまわない」


 あくまでも自分は無害であることを主張する。


「誓って七星さんに対して恋愛感情はない。お互いを利用しようっていう、そういう話なんだ。考えてみてくれないか」


 沈黙が流れる。

 契約について話し終えた俺にはかける言葉はなく、ただ七星さんの返事を待つだけだった。

 沈黙が痛いとはこのことか……。


 俺は女子に告白して返事を待つ男子の気持ちがわかった気がした。

 いや、それとこれとは別か。


 七星さんの様子を見る。

 彼女は俺の言葉を受けて俯くと、微かに両肩を震わせているようだった。

 俺には聞こえない声量で何やら呟いている。


「え、なに?」

「――した」

「え?」

「わかりました。赤坂さんのお申し出、お受けします」

「じゃあ……」

「ただし、条件があります」

「条件?」


 俺が喜びのあまり一歩前へ踏み出すと、七星さんはそれを制するように付け足した。


「はい。偽装交際とはいえ、わたしたちの間に交流が無ければ必ず疑われます。それはどちらにとっても良くないことです。なので、偽装交際をする以上赤坂さんにはわたしの彼氏としてきちんと関わっていただきますっ」

「それはかまわないけど、七星さんはいいの? 好きでもない男とそういうことをするのが嫌で今まで断ってきたんじゃ」


 偽装交際だからかまわないというのなら、それこそ今まで告白してきた男の中から誰か一人と付き合えばよかったのでは。

 俺が素直に疑問を口にすると、七星さんは顔を真っ赤にした。


「い、いいんですっ。赤坂さんのお話を聞いてそれが一番だと判断しました!」

「そ、そう……?」


 いいならいいか。

 俺にとっては何の不都合もない話だし。


 顔を背けて、白髪越しに透けて見える真っ赤な耳をこちらに向ける七星さんに、俺は手を差し出した。


「じゃあしばらくの間よろしく、七星さん」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いします、赤坂さんっ」


 彼女の白い手が伸びて、俺の手を握り返す。

 そのしなやかで柔らかい指の感触に一瞬血迷いそうになりながら、俺は平静を保つ。

 俺の未来のためにも、一時の衝動に身を委ねてすべてを不意にするわけにはいかない。


 かくして、俺と彼女の偽装交際はこうして始まったのだった。

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