三十五話 ドキドキイベント
「……さん……赤坂さん。……あの、赤坂さんっ」
「――ん?」
隣から声をかけられて、俺はシャーペンを握る手を止めた。
横を見れば七星さんが苦笑いしていた。
「お勉強中にごめんなさい。その、そろそろ夕食の時間でして」
「もうそんな時間だったのか。じゃあ今日のところはこれで――」
七星さんに言われて部屋の時計を見れば、すでに19時を回っていた。
この屋敷に着いたのが16時前だから、三時間ほど経っていることになる。
隣で付きっ切りで見てくれていた家庭教師の先生に礼を言いながら問題集を仕舞おうとすると、七星さんが「いえっ」と止めた。
「赤坂さんの分もご用意しています」
「いいのか?」
「もちろんですっ。今日はこのままお泊りいただくんですから」
「えっ」
「?」
俺が驚きの声を上げると、七星さんは不思議そうに小首を傾げた。
猫みたいで可愛らしいその仕草に俺は騙されることなく追及する。
「あれ? 俺今日七星さんの家に泊まるって話だったっけ」
「いえ。……お泊りになられないんですか?」
「いや、なんで泊まるのが普通みたいに訊いてくるんだ」
「だって、以前泊まりたいのは山々だけどバイトがあるからとお断りになられたので、バイトのないテスト前なら大丈夫なのかと」
「……社交辞令って知ってるかな」
「……?」
ぼそりと呟く。
あの時の俺の言葉を額面通りに受け止められたらしい。
確かにバイトがないから泊まれなくはないが、それにしたってまずいだろ。
使用人がいるとはいえ一人暮らしの女子の家に泊まるなんて。
何十部屋もある豪邸とはいえ一人暮らしの女子の家に泊まるなんて。
……あれ? 問題ないな。
俺がうんうんと唸っていると、七星さんはぐいと俺に詰め寄ってくる。
「それにそれに、お泊りになられた方が移動時間が削減出来て、その分を勉強に当てることができますっ」
「それはそうだけど、ほら、明日の学校の準備とか」
「教科書類は今日、すべてお持ちになってますよね?」
「いや、そうだけど、流石に制服の替えが」
「制服でしたら朝までに洗濯をすませておきます!」
「……………………じゃあ、お世話になろうかな」
「赤坂さんならそう言っていただけると思っていましたっ」
両手を合わせて嬉しそうにその場を軽くぴょんと飛び跳ねる七星さん。
一体何がそんなに嬉しんだろうか。
まあよくよく考えると俺にデメリットのある話ではないし、むしろメリットしかない。
ここは好意に甘えることにするか。……甘えすぎな気もするけど。
これだけ広い家で、これだけ人がいれば、ラノベみたいなドキドキイベントなど起きようはずがない。
俺が気にしすぎなだけか。
あくまでも俺と七星さんは互いの利害のバランスで成り立つ契約関係。
俺がそんなことを考えてしまっていたこと自体が契約違反で、七星さんは純粋に俺のことを気遣ってくれているんだろう。
危ない危ない。
俺が懸念していることはすべて、好意を持ち合う男女の間で起こり得ることだということを、改めて胸に刻みつけた。
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