十二話 命の危険

「あの……ええっと……」


 まったく状況が読めないが、ひとまずこの体勢はまずい。

 タオル一枚しか纏っていない下半身に、女子の温もりと共に特有の柔らかさも伝わってくる。


「くぅぅ……」


 意識を別のことに向けてなんとか耐える。

 顔を背けて脱衣所の内装に目を向ける。


「目を逸らすな」

「どうしろと!」


 だが、メイドさんにぐいっと顔を持たれて正面に向き直されてしまった。

 詰んだ。


「あの、この状況を説明していただけると助かるんですが……ぁ……」


 苦悶混じりの声で相手を激情させないよう、宥めるように訊ねる。


「先に質問をしたのはあたしの方だ!」


 激情されてしまった。

 質問……? そういえば何か言っていたような。


「改めて問う。何が目的だ」

「目的って、何の」


 むしろ俺としてはメイドさんの行動の目的を知りたいんだが。

 俺が困惑すると、メイドさんは苛立ったようにギリッと歯を噛み締めた。


「とぼけるな! お前は何者だ! どうやってアリス様に取り入った! 何が狙いだ!」

「それは……」


 もしかして俺が七星さんと付き合っていることを知らないのだろうか。

 リムジンの運転手である斎藤さんは知っている様子だったのでこの屋敷にいる人は皆知っているのかと思っていたけど、違ったのか。

 それなら俺みたいな普通の男がいきなり七星さんの家に遊びに来たら不審がられるのも無理はないな。


 ともかく、メイドさんの様子から俺は一つの仮説に辿り着いた。


 ……これはもしかしたら、以前に大河も言っていた百合というやつではなかろうか。

 百合の間に挟まる男は万死に値するとか話していたな。


「わ、わかった」

「……?」


 俺が手を挙げると、メイドさんは怪訝な表情で押さえ付ける力を弱めてくれた。

 圧迫感から解放された肺に空気を吸い込みながら俺はこの場を治める提案をする。


「俺は挟まらないから!」

「……何の話?」

「え、いやだから、挟まらないって」

「ふざけないで!」


 より一層怒られた!

 いっそ殺意を滲ませた表情でメイドさんに再び押さえ付けられる。

 解せぬ。


 メイドさんは怒りに満ち満ちた目で見下ろしてくるが、一度息を吐きだした。

 それから先ほどよりも小さな、しかし底冷えするような声で詰問してくる。


「今までどのような男に言い寄られても断り続けてきたアリス様がお前のような男と付き合うはずがない」

「あ、聞いてはいたんだ」

「アリス様が男と付き合い始めたと聞いたときは、何か脅されてのことではないかとも疑った。……しかし、お前のことを話したりお前と連絡をとるアリス様の様子を見て、アリス様は心からお前のことを好いていることはわかった」


 ……七星さん、家でもきちんと演技してるんだな。


 偽装交際の徹底っぷりに感心する。

 俺もボロを出さないように頑張らないと。


 決意を新たにしていると、メイドさんは「だが」と憎々し気に続ける。


「アリス様がお前のような男を好きになるはずがない! 金も地位もなく、平凡な見た目でファッションセンスもない、なんの取り柄もなさそうな男を!」

「……泣いていい?」


 酷い言われようだ。

 てか、ファッションセンスないかな?

 ないか……ないのか……。


「何よりも、お前からは愛情を感じない! アリス様を愛する気持ちが圧倒的に!」

「…………」


 内心で落ち込む俺だったが、メイドさんのその言葉には思わずギクリとしてしまった。

 確かに俺は七星さんに恋愛感情を抱いていない。

 時々彼女の髪型や服装、仕草を見てドキッとするのは異性に対しての反射のようなもので、それ以上の意味はない。


 俺たちの関係は愛や恋といった名前で繋がっているものではなくて、あくまでもメリットとデメリットのバランスの上に成り立っている機械的なものだ。

 だからか、そのことが滲み出てしまっていたらしい。


「だからあたしは思った。お前がアリス様に何かしたのだと!」

「何かって、何を」

「何かは何かだ! 何かしたんだろ!」


 何かのゲシュタルト崩壊が起こりそうだ。


 ……それにしても参ったな。折角七星さんが頑張ってくれているのに。


 家でも気を抜かずにメイドの人たちの目すら欺いてくれているのに、ここで俺が足を引っ張るわけにはいかない。

 俺は一度深呼吸をして、気持ちキリッとした視線をメイドさんに向けた。


「俺自身、どうして七星さんのような素敵な人が俺なんかと付き合ってくれているのか今でも不思議に思うことがある。だが、俺のこの想いは本物だ!」


 強く言い切る。

 そうだとも。俺が将来金持ちになりたいというこの想いは本物だ!


「……っ」


 メイドさんが瞠目する。

 俺の強い意思にたじろいでいる様子だ。


「……では、お前はアリス様のどこを好きになったのだ」

「え」

「アリス様への気持ちが本物ならば答えられるだろう。さあ、どこを好きになったのだ」


 どこを好きに。え、どこを?

 男って異性のどこを好きになるんだ。


「…………」


 まずい。時間が経つごとにメイドさんの顔が険しくなっている。


 俺は脳裏に閃いた単語を反射的に口に出していた。


「……金?」

「お前ぇええ!!!!」


 メイドさんがぶちぎれた。

 首元に伸びてきた両手には間違いなく殺意が込められている。


 殺される――!


 命の危険を感じたその瞬間――脱衣所がノックされた。


「赤坂さん? アリスです。お着替えを持ってきました」


 ピタリと固まる俺とメイドさん。

 何故か声が出なかった。


 ゆっくりと開かれる扉。

 現れる純白の髪。

 青く澄んだ瞳が室内の様子を捉える。


「……ほぇ?」


 七星さんの視界に、タオル一枚の俺の姿と、そんな俺に馬乗りするメイドさんの姿が映る。

 状況を理解するまでの間、一瞬呆然とする七星さん。

 しかしすぐにその顏は真っ赤に染まり、手にしていた俺の着替えを床に落としながら叫んだ。


「な、なな、何をしているんですか!!!!」


 俺は再び命の危険を感じた。

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