十三話 喫緊の課題
「…………」
「…………」
「…………」
ティーカップとソーサーが触れる音だけがこの空間に響いていた。
七星さんから届けられた服を着た俺は、その後彼女と共に応接室のような場所でお茶を飲んでいる。
七星さんの背後には先ほどの黒髪のメイドさんが控えて、給仕をしている。
たぶん高い紅茶なんだろうけど、さっきから七星さんが一言も発さないから気まずすぎて全く味がわからない。
いや、そもそもお茶の味なんてわかんないけど。
……というか、冷静に考えると俺は何も悪くないんじゃないか?
悪いのはあのメイドさんだ。
俺は七星さんの背後に涼しい顔で控えているメイドさんを睨んだ。
(俺は悪くない。あんたのせいなんだからあんたがなんとかしろ……!)
視線でメッセージを送る。
俺の視線に気付いたメイドさんが見つめ返して……いや、睨み返してきた。
(あたしは一介のメイド。恋人同士の話に割り込むことなんてできないのだ! お前がなんとかしろ!)
――とでも言いたげな視線が返ってくる。
……そっちがその気なら俺にも考えがある。
「七星さん、さっきのことなんだけど」
「……っ、は、はい?」
俺が切り出すと、七星さんはいかにも平静を装った感じで返事をしてくる。
だが、その声は明らかに上擦り、視線は右往左往し、おまけに右手に持つティーカップがカタカタと揺れている。
思いっきり動揺している。
「七星さんが想像しているようなことはなかったってことだけは信じて欲しいんだけど」
「そ、そそ、想像って、何もしてませんよっ。そんな、赤坂さんが、陽菜に、そそそ、そんなっ」
いや、してるじゃん。思いっきりしてるよ。
まあ俺もあんな光景見たらそう思っちゃうけどさ。
「正直俺も何が何だかで混乱してるんだ。風呂から出たら脱衣所にいたメイドさんに突然押し倒されて」
「え……っ」
「んなっ!?」
瞠目する七星さんと、その背後で驚愕の表情を浮かべるメイドさん。
ははは、後は頼んだぞ。
俺の狙い通り、七星さんはくるりと体を回して背後を見る。
「……陽菜?」
「ち、違います! あの男が、あの男がぁ……!」
脱衣所での冷たい表情が嘘みたいに真っ赤な顔でメイドさんは慌てて七星さんへの釈明を始めた。
俺はそのやり取りを眺めながらティーカップを静かに傾ける。
……うん。やっぱり味はわからん。
◆ ◆
「……つまり、陽菜が手違いで脱衣所の掃除をしていたところ、浴室から出てきた赤坂さんに驚いて足を滑らし、そこを赤坂さんに受け止めてもらった――と」
そう言うことになったらしい。
七星さんが俺の方に向き直ったことで、メイドさんは「ふーっ、ふーっ」という鼻息を発していると見紛うほどの形相で俺をキッと睨みつけている。
どう考えても俺は被害者なので涼しい顔で無視していると、七星さんがこほんと可愛らしく咳をした。
「そう言えば紹介がまだでしたね。この子は笹峰陽菜。わたしの専属メイドとして四年以上仕えてくれています」
「四年……?」
「はい。笹峰の家は代々七星家に仕える使用人の家系なんです。わたしと同い年ということもあってか、中学生になったタイミングでわたし付きになりました」
金持ちの世界すげーな。
正直今日色々と驚いたが、その中でも一番の驚きかもしれない。
それだけ仕えていたら俺みたいな男を警戒するのも頷ける。
「これから彼女と会うことも増えると思います。ほら、陽菜も挨拶をして」
「……笹峰陽菜です。よろしくお願いいたします」
「赤坂悠斗です……こちらこそよろしく」
よろしくする顔じゃない。
隙あらば噛み殺そうとする猛獣の顔だ。
「……その、ところで、赤坂さん」
「ん?」
「今日はこちらにお泊りになられますか?」
「いや、流石に帰るかな」
「――――」
俺が即答すると、七星さんは固まった。
その後ろのメイドさん――笹峰さんも固まっている。
まじかこいつ……みたいな目をしている。
俺は今更のように脱衣所での出来事を思い出していた。
そういえば、俺には七星さんに対する愛情を感じないと言われたばかりだった。
いくらなんでもこの断り方は愛情がなさ過ぎる。
俺は頬をポリポリとかきながら慌てて付け加える。
「その、泊まりたいのは山々なんだけど、明日朝からバイトがあるからさ」
「そ、そういうことだったんですね」
俺が言うと、七星さんはほっとしたように胸を撫で下ろす。
「では、夕食だけでも食べて行ってください」
「うん、じゃあご馳走になろうかな」
「はいっ」
嬉しそうに微笑む七星さんの笑顔が眩しい。
そしてその背後の笹峰さんの視線が厳しい。
七星さんに愛情をもって接する。
これは、この偽装交際を続ける上で喫緊の課題だなと痛感した。
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