四十話 死活問題
食堂から逃げるように部屋へ戻ると、七星さんが言っていた通りソファの上に制服が丁寧に畳まれて置かれていた。
アイロンもかけられていて皺ひとつない。
着るだけでやけに気持ちが引き締まるのを感じながら制服へ着替え終えると、必要な教科書やノートだけを鞄に詰めてエントランスへ向かった。
すでに七星さんと笹峰さんの姿がある。
あと、なぜだか斎藤さんもいた。
俺が現れたことに気付いた七星さんが、まだ気まずそうに視線を彷徨わせながら斎藤さんを示す。
「自転車ですと遅れてしまうかもしれませんので、今日は車で向かいましょう」
「もうそんな時間だったのか……」
優雅に朝食を食べていた分、朝の時間の感覚がずれている。
スマホの時計を見れば確かに危ういラインだった。
まあ元々来るまでの登下校を断ったのは家の近くに来てほしくなかったっていうのが大きいところだし、今日も七星さんの家で勉強をするなら断る理由はない。
「じゃあ、いってくるわね」
「い、行ってきます」
「いってらっしゃいませ」
七星さんが笹峰さんへ挨拶をするのに倣って俺も頭を下げる。
……行ってきます、なんて誰かに言うのいつぶりだろうな。
ぼんやりとそんなことを考えながら屋敷を出て正面に停められているリムジンに乗り込む。
相変わらず広い車内で腰を落ち着かせると、リムジンは静かに走り出した。
「その、赤坂さんにお尋ねしなければならないことがありますっ」
「な、なんでしょうかっ」
今朝の一件が上手く解消されていない中での七星さんの言葉に緊張が走る。
思わず敬語で訊ね返すと、七星さんは意を決したように口を開いた。
「……わたし、寝言で何か言っていたりしませんでしたか?」
「は?」
「で、ですから、変なことを口に出してたりしなかったかなと……」
「いや、特に何も言ってなかったと思うけど」
「ほ、ほんとに本当ですか!」
「誓って本当だって……え、もしかしてさっきからずっとそのことを気にしてたのか?」
俺の疑問を肯定するように七星さんはほっと胸を撫で下ろしていた。
ぼんやりと彼女の寝顔を思い出す。
「そういえば、凄く幸せそうな寝顔だったような。どんな夢を見てたんだ?」
「っ、し、知りませんっ」
ぷいっとそっぽを向かれてしまった。
幸せな夢だったなら教えてくれてもいいのにとは思ったが、それ以上の追及は機嫌を損ねそうなのでやめておく。
座席に深く腰を下ろし直して窓の外を眺める。
朝、用意された朝食を食べて、丁寧に洗濯されて整えられた制服を着て、こうして車に揺られて登校する。
今までの人生で一番優雅な朝かもしれない。
「……なんだか、まずいな」
「? 何がですか?」
頭の中で浮かんだ予感を口に出すと、七星さんが不思議そうに小首を傾げた。
「いや、こんな贅沢を知ったら元の生活に戻れないんじゃないかと思ってね」
「ふふっ、それはよかったです」
「よかったって……俺からしたら死活問題なんだが」
学校が終わればバイトへ行き、バイト上がりは家へ直帰してすぐに寝る。
起きたらシャワーを浴びてコンビニで買ったご飯を食べて学校へ。
今まではそれが普通だと思ってたし、仕方のないことだと思っていた。
だが、今日みたいな贅沢に慣れれば元の生活をしんどいと感じてしまうかもしれない。
何より…………。
俺がため息を吐き出しながら黙り込むと、七星さんは少しだけ俺に身を寄せて囁くように言った。
「で、でしたら赤坂さんっ。わたしと結婚すれば一生この生活を続けられますよ?」
「冗談はやめてくれ。七星さんに何のメリットもないし、金の無心で結婚相手を選ぶなんて死んでもごめんだ。俺は金持ちになりたいんであってヒモになりたいわけじゃないからな」
「……むぅ」
頬を膨らませて拗ねたフリをしてみせる七星さんに苦笑する。
ともあれ、冗談を言えるぐらいに朝から続いていた気まずさが解消されたことに安堵した。
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