七話 金持ち計画

 いつもより三十分ほど早く出て、いつもとは違う道を走る。

 人通りが少なく、気温もそれほど高くないこの時期の自転車通学はそれなりに気持ちがいい。


「――っと、こっちか」


 昨日の夜に話し合った待ち合わせ場所への道を間違えないように気を付けながら自転車を走らせる。

 途中でコンビニに寄っておにぎりとお茶を買った。


 待ち合わせ場所の公園の入口で自転車を停める。

 七星さんが来るまでの間に朝食を済ませるために早く着いたから、当然彼女の姿は見えない。


 前かごに放り込んでいたコンビニの袋からおしぼりを取り出して軽く手を拭う。

 昆布のおにぎりを取り出してフィルムをぺりぺりとめくって三角形の角にかぶりついた。


 その時、俺の背後で自転車が停まる音がした。


「お、おはようございます、赤坂さんっ」

「…………おはよう」


 声をかけられて慌てて口に含んだ分を飲み込みながら振り返る。

 そして、俺は一瞬言葉を失った。


 いつもは素直に背を流れている白髪がポニーテールに纏められている。

 ただそれだけなのに、普段よりもずっと雰囲気が柔らかく感じられて、とても幼い印象を受ける。

 自転車に跨がっている姿もその印象を助長する。


「どうかされましたか?」

「……いや、いつもと雰囲気が違ったから少し驚いて」

「自転車だと髪が乱れてしまいますから。……どう、ですか?」


 髪の房を手で取って体の前へと流しながら訊ねてくる。

 どうと言われても……。


「似合ってるよ。束になったぶん髪の色が強調されて七星さんによく合っている」

「あ、ありがとうございます……。が、学校に行きましょうかっ!」

「うん……あ、ごめん。これだけ先に食べてもいいかな」

「おにぎり……朝ごはんですか?」

「まあそんなところ」


 物珍しいものを見るように覗き込んでくる七星さんの視線に居心地の悪さを覚えながら、急いでかぶりつく。

 三口目に入ったところで、七星さんの眼差しがキラキラしていることに気付いた。


「な、なに?」

「……その、外で食事をしたことがないので」

「あー、そういうことか」


 確かに昼休みにレストランで昼食を摂るぐらいだ。

 こんな風に行儀の悪い食事なんて、したことないんだろうなぁ。


 住む世界が違うなぁとしみじみと思いながら、ふと思いついたことを口にしてみた。


「一個食べる?」

「いいんですか!」


 嘘だろ食いついた!

 あまりにも早い反応だったから、俺が提案したのに驚いてしまった。


 四口目を放り込んで空いた手でレジ袋の中を探る。

 まだおにぎりは二個残っている。


「ツナマヨと鮭、どっちがいい?」

「……あ、ですが、やっぱり赤坂さんの朝ごはんをいただくわけには」

「昨日昼を奢ってもらったんだし、おあいこだよ」


 よし。これでフレンチ料理を奢ってもらった一件はチャラだ。


「では……鮭を」

「はい」

「ありがとうございます……」


 俺がおにぎりを手渡すと、七星さんはおずおずといった感じで受け取った。

 少し緊張している気がするのは気のせいだろうか。


 俺が残ったツナマヨのおにぎりのフィルムを剥がすと、七星さんもそれに続いた。


「いただきます」

「どうぞ」


 一瞬辺りをキョロキョロと見渡してから、七星さんはおにぎりを齧った。

 ちょっとリスみたいだ。


 彼女を横目に俺もおにぎりを食べる。


 俺も彼女も無言で食べ進める。

 ただ、七星さんの表情はとても楽し気に見えた。


 お金持ちになるとただおにぎりを食べるだけでもこんなに楽しそうにできるものなのか。

 やっぱり世の中金だな。


 心の中で持論を改めて後押ししている間におにぎりを食べ終えた。

 七星さんも食べ終えるとゴミをポケットにしまいながら微笑みかけてきた。


「ごちそうさまでした、美味しかったです」

「それはよかった。企業努力に感謝だな」


 落ち着いたところで学校に向かって走り出す。

 そうして十分ほど走っていると、横断歩道で赤信号に引っかかった。


「……赤坂さん、大変です」

「なにが?」


 隣に並んで自転車を停めた七星さんが深刻な表情で話しかけてきた。

 俺が首を傾げると、彼女は世界の真理に気付いたような声音で言った。


「自転車で走りながらですと、落ち着いて会話ができません」

「……そりゃあそうだろうな」


 何を当たり前なことを、と続けようとしたが、七星さんの表情があまりにも真剣だったのですんでのところで口を閉じた。


「まあこうして一緒に通学してるだけで周りにはアピールになるんだからいいんじゃないのか?」

「……………………ばか」


 本来の目的は遂行できていると指摘しただけなのに睨まれた。

 理不尽だ。


 密かにスマホを取り出して画面に表示される時刻を見る。

 まだホームルームまでは余裕がある。

 ここから自転車で行けば二分ほど、歩いていけば十分ほどの距離で間に合うと言えば間に合う。


「……確かに自転車で一緒に走ってるだけだとぱっと見わかりづらいしな。ここからは降りて歩いていくか」

「! はいっ!」


 信号が青になる前に俺たちは自転車を降りた。

 信号が切り替わると、並んでハンドルを押して歩き出した。


「赤坂さんは今日のお昼はどうされますか? もしよろしければ今日もご一緒したいのですけど」

「流石に今日は購買ですませようかな。あのレストランでの食事代を払える気がしない」

「それでしたらお気になさらないでください。七星の名義でお支払いしますから」

「是非ご馳走になります」


 俺は即座に返答した。

 プライド? あったらそもそもこんな契約交際申し込んでない。

 それにほら、俺もおにぎり奢ったし。


 俺の即答に七星さんは「ふふふっ」と楽しそうに笑っていた。

 楽しそうで何より。俺も嬉しいです。お互いウィンウィン。


 学校が近付くにつれて同じ高校の制服を着た生徒の姿も増えて来る。

 俺たちの姿を認めて明らかに会話の話題を切り替えているやつらもいる。


 効果てき面だなぁと思っていると、不意に七星さんが「そういえば……」と切り出してきた。


「わたしと赤坂さんの契約について窺いたいことがあるんです」

「なんだろう」

「わたしはこうして赤坂さんの恋人だということをアピールするだけでメリットは十分あるのですけど、赤坂さんの方は大丈夫ですか?」

「え?」

「いえ、その……わたしの彼氏として七星財閥の人脈を活かしたいというお話でしたので」


 ……言われてみれば、今のところ人脈も何もない気がする。

 まあ契約を結んでまだ二日しか経っていないし仕方がないといえば仕方がないが。


「人脈を広げるにあたって、赤坂さんはどのようにされるおつもりですか?」

「……………………それな」

「え?」

「それな」

「…………」

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