六話 夜の電話
「お疲れさまでしたー」
今日も今日とてカリカリしているバイトリーダーから逃げるようにするりとタイムカードを押して店を出る。
国道沿いの道を歩きながら、七星さんに連絡をしようとスマホを取り出しかけてやめる。
十分ぐらいの違いなら家に帰ってから落ち着いて連絡したほうがいいだろう。
一応七星さんから確認のメッセージが届いているかもしれない。
もしそうなら十分ほど待って欲しいと早々に返しておこう。
そんなことを考えながらポケットにマナーモードで突っ込んでおいたスマホを取り出す。
俺の予想通りトークアプリからのメッセージ履歴が表示された。
送り主は七星さんではなかったが。
「『ねぇねぇ、七星さんとはどういう関係なの~』って、うるせえ」
〝どうも大河です〟というアカウントから、三時間前に送られていたメッセージを口に出す。
イラっとしながらキーボードを叩きつけるようにタップしていく。
「『明日覚えとけよ』――と」
とりあえず会ったらデコピンしてやる。
七星さんとの昼食を終えて学校に戻ってから、俺はクラスメートからの好奇の視線に晒されていた。
七星さんが誰かと教室で話すところをこの一週間見たことなかったし、たぶんそれは去年一年間も同じだったんだろう。
ただでさえそれだけでも注目されることなのに、俺はあの場で七星さんに昼食に誘われた。
好奇の視線とは別に色々な感情が向けられていた。
そういう種類の視線を感じたことはなかったから、ちょっと新鮮だ。
でも、それだけだ。
元々俺自身友達付き合いが多い方でもなかったから、直接訊いてくるようなやつはいなかった。
遠巻きに見ているだけのやつは無視していればいい。
「七星さんもそう思ってるのかな」
金持ちで美少女で、人から嫉妬されそうなものだけどそれ以上に人に好かれそうな彼女にも、教室で話しかけている人はいなかった。
いつものように教室の真ん中の席で静かに授業を受けていた。
――財閥のお嬢様が、どうしてこんな普通の高校に入ったんだろうねー。
大河にたった今メッセージを送ったからか、昨日の朝の彼との会話を思い出す。
飄々とした声音で適当に呟くその声が見事に脳内で完璧に再現された。
デコピン二発だな。
大河にとって理不尽な誓いを立てたところでアパートに到着した。
階段を上って鍵を差し込み、部屋の扉を開ける。
その瞬間、荒れ果てた家の光景が目に飛び込んできた。
まるで泥棒でも入ったのかと錯覚しそうなほどに物が散乱する廊下。
ちょっと足を踏み入れてキッチンに向かえば、食器の何枚かが割れて床に落ちていた。
「今日はまた一段と荒れてるな」
小さくぼやきながらとりあえず自室に荷物を置いてキッチンの片付けから入る。
幸い今は出かけているみたいだし、鬼の居ぬ間に済ませるとしよう。
片づけをしていると、不意にキッチンテーブルに置かれた封筒の束が目に入った。
中身を見なくてもそれが請求書や催促状なことはわかる。
「こりねえな、親父も……」
人間、一度痛い目を見たらもう同じことをやらなくなりそうなものだが、そうでもないらしい。
呆れと、それを上回る諦めとともに片づけを終えるころには、時計の長針がちょうど真下を指していた。
「やべ」
小さく呟くと同時に慌ててスマホを取り出してトークアプリを起動する。
もしかしたら寝たかもしれない。
一瞬なんて送ろうかと悩んでから、思いついた言葉を打ち込んでいく。
『遅れてしまい本当にすみませんでした』
……いやこれ、今日バイトに遅刻してきたやつの言葉そのままだ。
あの時のバイトリーダーの顔が浮かんできてぶんぶんと頭を振る。
『ごっめ~ん、アニメ見てたら寝落ちしちゃってさ~』
これは大河が遊びの約束に遅れてきたときの言葉だった。
謝る気ないだろ。
普通に送ろう。普通に。
「『ごめん、遅くなった』。これでよし」
一時間ぐらい反応がなかったら大人しく寝よう。
そう思いながらメッセージを送信すると、一瞬で既読がついた。
よかった。まだ起きていたみたいだ。
もしかしたらずっと連絡を待っていてくれたのだろうか。
それなら申し訳ないことをした。
七星さんからの反応があるまでの間、机の上の教科書類から明日使うものを取り出して鞄に突っ込んでいく。
用意が終わったころもう一度画面を見るが、反応はなかった。
「あれ? もしかして画面を開いたまま寝ちゃったのかな」
五分ほど経って、俺はその可能性を思いつく。
健康的な生活をしている人なら寝ていてもおかしくない時間だ。
連絡が遅くなった俺が悪い。
……仕方ない。変に連絡がすれ違って悲惨なことにならないように前もって断っておこう。
「えーと、『連絡が遅れてごめん。寝ているみたいだから明日は一旦普通に登校しよう』」
送信して画面を消す。
なんだかんだで仕事が余計に一つ増えたから疲れた。
欠伸を嚙み殺しながら布団に飛び込む。
急速に襲い掛かってきた微睡みに身を投じようとしたところで、その沼から引っ張り出すかのようにスマホが震える。
メッセージの通知ではなく、電話の着信を知らせる長いバイブ音。
七星さんからだ。
起きていたことに安堵すると同時に、どうしてわざわざ通話を? という疑問が湧き上がる。
それを抱いたまま俺はスマホを耳に当てた。
「はい、赤坂です」
「……っ、あ、突然ごめんなさい。七星です、こんばんは」
「こんばんは。もしかして起こしちゃったかな」
「いえ、大丈夫です。まだ起きていましたから。少しだけ席を離れていたんです」
「そうだったんだ。よかった、寝ているかと思って俺も寝るところだった」
「席を離れていましたか?」「ちょっ、陽菜、うるさい!」「あたしの部屋まで助けを求めて来たのはアリス様の方では」「しーっ、しーっ!」
「……?」
スマホ越しに七星さんと誰かが話している声が聞こえた。
あれ? 七星さんって一人暮らしって言ってなかったっけ。
「でも、別に通話じゃなくてメッセージでもよかったのに」
「……だって、陽菜が勝手に」
「陽菜?」
「う、ううん、気にしないで! こっちのことだからっ」
通話を繋いでからずっと慌てた様子に聞こえる。
だからか、口調がいつもよりも砕けている感じがした。
そのことに七星さんも気付いたのか、一度マイクから離れた場所で小さく咳払いをした音が聞こえた。
それから落ち着きを取り戻した声で、少し不安げに訊いてきた。
「……その、ご迷惑でしたら切ります」
「いや、大丈夫。通話の方がスムーズだしね」
「っ、よかったです!」
喜色に満ちた声がスピーカー越しに届く。
今彼女がどんな表情をしているのか、容易に想像がついて少し笑ってしまった。
「とりあえず、明日の話しをしよう。夜も遅いし寝坊でもしたら大変だ」
「は、はい!」
彼女と話しながら、家で誰かと話す夜は久しぶりだなと少しだけ思った。
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