五話 メッセージ待ち

「~~~~♪」


 赤坂さんと連絡先を交換したその日、わたしは上機嫌でお風呂に入っていた。

 なんだかこれまで何もなかったのが嘘みたいに色々と進んでいく。


 軽い足取りで脱衣所に出て、お風呂で濡れた髪を柔らかいタオルで優しく拭いていく。

 時々鏡を見ながら白い髪を丁寧に。


 お母さま譲りのこの髪が昔は嫌いだった。

 でも、彼と出会ってからは大好きになった。


「お湯加減いかがでしたか、アリス様」


 用意されていた花柄のワンピースタイプのパジャマを着て脱衣所を出ると、メイド服を身に纏うわたしと同い年の彼女が出迎えてくれる。


「ちょうどよかったわ、陽菜」

「それはよかったです」


 肩口ほどで切り揃えられた黒髪に黒い瞳。まさに大和撫子のような立ち居振る舞いに洋風のメイド服が不思議なほどにマッチしている。

 彼女の名前は笹峰(ささみね)陽菜(ひな)。この七星財閥に昔から仕える従者一家のひとつ、笹峰家の長女。

 わたしが中学生の時にわたし専属として笹峰家から派遣された。


 陽菜を伴って廊下を進んでわたしの部屋に入る。

 壁際に置かれた鏡台の前に座ると同時に、スムーズな動きで陽菜がドライヤーを取り出した。


「失礼します」


 短く断って、陽菜の手がわたしの髪に伸びる。

 熱すぎない熱風と陽菜の優しい手がわたしの髪を乾かしていく。


「そういえば、ご祖父様方が例の件を気にしておられました」

「また……?」


 ドライヤーを終えて櫛で髪を梳かしながら、陽菜が小さく零した。

 鏡に映るわたしの顔が嫌そうにしかめっ面になった。


「はい。そろそろお見合いの一つや二つ出なさい、と。パートナーがいるならまだしも独り身だろうと」

「独り身って、わたしまだ17歳なのに……」


 高校に入学したタイミングで、祖父母はわたしにお見合いの話を持ち掛けてくるようになった。

 断り続けていたけど、二年生になったタイミングでさらに押しが強くなっている気がする。

 わたしに話しても聞かないと思っているのか、最近は陽菜を介して話を通そうとする始末。


 ……わたしはお見合いなんて興味ないのに。


 今まではわたしがそう言っても聞く耳を持ってくれなかったけど、昨日からは違う。

 胸が熱くなるのを感じながら、わたしは得意げに言った。


「でも、心配いらないわ。わたし、お付き合いしている方ができたから」

「――!」

「陽菜……?」


 わたしが言い切ると、髪を梳く手が止まった。

 振り向くと陽菜が驚愕の表情で固まってる。


「どうかした?」

「い、いえ……アリス様が交際されているとは知らなかったので」

「あっ……」


 昨日は浮かれていて陽菜には何も話せていないんだった。

 いけないいけない。親友に何も報告しないなんて。


「実は、昨日告白された方と付き合い始めたの。報告が遅れてごめんなさい」


 ……告白じゃなくて契約なんだけど、そこは伏せておく。

 ……………………契約。契約かぁ……。


「? 何を落ち込んでいられるんですか」

「な、なんでもないのっ」


 手をパタパタと振って必死に誤魔化す。

 お風呂上がりの火照りとは別の熱さが全身に込み上げてくる。

 でも、この感情がぬか喜びだって知ってる分、不意に落ち込む瞬間もあって感情の浮き沈みで昨日から疲れてたりする。


 ……はぁ。


「アリス様がお付き合いされるとは、少し意外でした」

「そう?」

「はい。男性がお嫌いなのかと思っていましたので」

「嫌いというわけじゃないの。……ちょっと苦手なだけ」


 薄く笑うと、陽菜はそれ以上は追及しないで髪を梳く手を動かし始めた。

 再び眠気を誘うような柔らかい手つきに思わず眠りそうになる。


 ……って、ダメダメ! 赤坂さんに連絡しないとなのにっ。


 慌てて眠気を追い出しながらスマホを取り出した。

 トークアプリを開いて友達欄を見る。

 そこには見慣れないアカウントが。


「~~~~っ」


 〝あかさか〟というアカウント名を見るだけで嬉しくなってしまう。

 この一年まったく進展がなかったのに……まるで夢みたい。


 バイトが終わったら明日について連絡する、という話だったけど、赤坂さんはまだバイト中かな。

 時刻を見ると22時を少し回ったところ。

 ……そろそろお店を出たところかな?


「あ、そうだった。明日からその方と自転車で通うことになったの。斎藤さんにはもう伝えているけど、一時間ほど朝の日程が前倒しになるからよろしくね」

「じ、自転車ですか。ご祖父様方が知られたらお怒りになられるのでは?」

「だから内緒でよろしくねっ」

「あたしは反対です。アリス様にもしものことが起こらないとは言い切れません」

「心配し過ぎよ。それに、赤坂くんもいるもの」

「赤坂……?」

「その、わたしがお付き合いを始めた方よ」


 恥ずかしぃ……。

 契約だってわかってるのに、誰かにそう伝えるのがすっごく恥ずかしぃ……。


「でしたらなおさら反対です! そんなどこの馬の骨ともわからない男と二人きりで――」

「赤坂さんは大丈夫ですっ」

「――っ」

「ご、ごめんなさい!」


 つい強く言い返してしまった。

 陽菜がビクリと震えたのを感じて慌てて頭を下げる。


「……いえ、あたしの方こそ無神経でした。わかりました、そこまで仰るのでしたら手配しておきます」

「ありがとう、陽菜」

「いえ」


 話がひと段落すると同時に髪梳きが終わって、陽菜が鏡台の引き出しの中からケアオイルを取り出した。

 それを横目に手元のスマホに視線を落とす。


 ……まだなのかなぁ。


 いつの間にか30分になっている。

 わたしの方から確認の連絡をした方がいいかな。

 でもでも、赤坂さんの方からするって言ってたし……。

 ……忘れてたらどうしよう。


「どうかされたんですか?」


 スマホを見ながら云々唸っていると、陽菜がオイルを手に取りながら訊いてきた。


「な、なんでもないない!」

「……?」


 訝しんでくる陽菜に笑い返しながらスマホを仕舞う。

 そのまま髪の手入れをしてくれている陽菜に身を委ね、うとうととし始めて来たころ。


「終わりましたよ。お疲れさまでした」

「……うん、ありがとう」


 お辞儀をしてから部屋を退室する陽菜を見送って、部屋の中央に置かれているベッドに倒れ込む。

 その流れでスマホを取り出したけど、やっぱり連絡は届いていない。


「……そうだよね。これは契約だもの」


 こんな風に楽しみに待っているのはわたしだけ。

 ……なんだか悲しくなってきた。


 いまだに真っ白なトーク画面を開いてベッドの上をゴロゴロする。


 チャット欄をタップして、ぼんやりとしたまま文字を綴っていく。


「……『大好き』。――~~~~っ」


 ほとんど無意識に書いてしまったその言葉を読み上げてから恥ずかしくなって慌てて削除ボタンに指を向ける。

 その時――。


「わわっ」


 スマホが震えるとともに、真っ白だったトーク画面にメッセージがぴょこんとポップされる。


『ごめん、遅くなった』


 簡潔な謝罪から始まったメッセージだったけど、わたしには凄く輝いて見えた。

 ……とりあえず、メッセージを間違って送っていないことに安堵しながら慎重に削除しておいた。

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