三十七話 夜の勉強会
脱衣所を出た時に笹峰さんが「アリス様がお部屋でお待ちです」と言ったから、てっきり七星さんから何か話があるのかと思っていたが、俺にひとしきり部屋の中を紹介した後風呂へ行ってしまった。
笹峰さんもそれに追随し、部屋にぽつんと一人になる。
俺の将来の夢の一つにちゃんとした自分の部屋を持つというのがあったが、図らずも半分叶う形となってしまう。
いつの間にか部屋に届けられていた俺の荷物の中から教科書とノート、それから問題集を取りだしてローテーブルの上に広げる。
今日一番進めた数学に取り掛かることにした。
すでに今日だけで今まで試験前に抱いていた手応えに近いものを覚えている。
試験まであと六日。
この調子で行けば過去最高点を叩き出せる気がする。
家庭教師の先生はもう帰ったらしいから、ここから寝るまでの間は一人で頑張るしかない。
すでに解いた箇所の復習をするか次の問題に進むか悩んでから、復習に入ることにした。
今日解いた箇所のうち、一度間違えた問題を解き直す。
正解した箇所には○を記して、間違えた箇所には△を入れる。
この△の箇所の解説を読みなおし、明日もう一度解き直す。
間違えた場合は×を入れて三回連続で正解するまで解き続ける。
家庭教師の先生に教わった勉強法に沿って忠実に学習を進める。
不意に肩を叩かれた気がしてそちらへ顔を上げた。
「……ひふぁひ(いたい)」
ぶすりと、細い指が俺の頬に突き刺さる。
「えへ、引っかかりましたね」
そこには、少し湿り気のある白髪を一纏めにして頬を紅潮させながら悪戯っぽく微笑む七星さんの姿があった。
ワンピース姿のパジャマに身を包んでいる。
……というか、なんかいい匂いする。
反射的に顔を背けながら内心の動揺を押さえ付ける。
「い、いつの間に」
「先ほどから何度も声をかけていましたよ? 全然気づかれなかったので、少し悪戯をしてみました」
「してみましたって……」
嬉しそうに笑う七星さんにそれ以上何かを言う気が起きなくて小さくため息を零す。
……それにしても、お風呂上がりの女子を見たのはこれが初めてだ。
いや違うな。中学の時の修学旅行で見たことがある。
だが、ここまで近距離に接近されたことは初めてだ。
ドギマギする心を落ち着かせようと視線を彷徨わせ――扉近くに待機している笹峰さんの姿が目に入った。
凄い目で睨んでいる。
急速に冷静になる頭。
ふぅと息を吐き出し、心を落ち着かせた。
「えっと、どうかした?」
「先生もお帰りになられましたし、寝るまでの間一緒にお勉強しましょうっ」
背中に隠すように持っていた勉強道具を胸の前に持ってきてにへらと笑う。
そういうことなら全然かまわないと俺は頷き返した。
対面に七星さんが座ったのを確認してから問題集に向き直る。
数学の復習は一通り終わったので、次は英語に。
暗記系は寝る直前にでもやろう。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
シャーペンが文字を綴る音だけが室内に響く。
この時間に落ち着いて勉強ができるのは随分久しぶりだなと、七星さんに感謝しながら勉強を進める。
ふと、俺が英単語を書き連ねているノートの上に奇妙な影が入って来た。
「ん?」
白く細い人差し指と中指が人の足のようにてくてくとノートの上を歩いている。
「……あの、七星さん?」
俺が顔を上げてその小人の正体に目を向ける。
七星さんはむっと頬を膨らませていた。
「ええと……」
なんだか怒っているような気がして困惑していると、七星さんは少しだけ目を逸らしながら零した。
「折角の勉強会なんですから、少しはかまって欲しいです」
「え……」
物凄く可愛いことを言われて戸惑う。
そんな付き合っている彼氏と彼女の甘酸っぱいやり取りみたいなことをされても――付き合っている彼氏と彼女の甘酸っぱいやり取り……?
その時、俺の脳に電流が奔った。
それと悟られないように横目で扉の方を見れば、いまだに笹峰さんがこちらを眺めて佇んでいる。
……そういうことか。
七星さんの意図を完全に理解した俺は、瞬時に提案していた。
「じゃあ問題の出し合いでもする? ちょうど英語をやってたから、英単語でも」
「っ、やりましょうやりましょう!」
途端にテンションを上げて嬉しそうに笑顔を浮かべる七星さん。
風呂上がりということもあっていつも以上に可愛く、そして大人びて見えるその笑顔に一瞬目を奪われながら、慌てて手元の英単語帳に視線を落とした。
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