七十一話 目的地

 しんとした教室内に極疎らにシャーペンの走る音が響く。

 生徒の何人かはチラチラと黒板の上の時計を見上げ、分針が動くのを今か今かと待ち侘びていた。

 そして、


「そこまで」


 ――チャイムと共に、教卓に立つ壮年の男性教師が制止を促した。

 シャーペンが置かれる音と安堵とため息が一斉に零れだす。

 俺もまた、ゆっくりとシャーペンを置いて一息ついた。


 期末考査最終日、そして最後の科目。

 長かった期末考査もこれでようやく終わった。


 解答用紙が回収される中、俺は軽く伸びをする。

 肩がゴキゴキと嫌な音を立てた。


 先生が出ていくと水を得た魚のように一斉にクラスメートたちが騒ぎ出す。

 土日を挟み、翌週に成績が返却されればもうすぐに夏休みに突入する。

 早速夏休みの遊びの約束をしているやつもいるが仕方のないことだ。


 ……夏休み、な。


 俺はいまいちクラスメートたちのように浮かれた気持ちになれなかった。

 夏休み――七星さんとの誕生日パーティーを兼ねたクルーズ旅行をどう過ごせるかは、来週に返却される成績にかかっている。

 人事は尽くしたつもりだが、それはそれ、これはこれというやつだ。


「悠斗、どうかした?」

「……いや、あちぃなって思って」


 いつの間にかこちらに体を向けていた大河が不思議そうに訊ねてくる。

 大河の表情は凄く明るかった。

 試験から解放された喜びに満ち満ちている。


 パタパタとシャツをつまんで風を送ると、大河も感慨深そうに呟いた。


「もう夏だもんねぇ。――夏と言えば、夏休み。夏休みと言えば遊び。遊びと言えば友達。ということでどこか遊びに行こうよ」

「うわぁー、自然な話題の切り出し方だー」


 棒読みでそう言いながら下敷きを取り出して顔に向けて扇ぐ。


「最近休んでいた分バイトも入れるつもりだし、ちょっと予定があるからな。遊べる日は限られてるかもしれない」

「僕は基本的に毎日暇だからね、合わせるよ」

「ならまた連絡する」

「よろしく。っと、先生だ」


 扉を開けて担任教師が現れた瞬間、大河はいそいそと体を反転させた。

 そんな彼に反して一向に静まらない教室内に、担任教師は苛立った様子で席に着くよう促す。


 その後ホームルームを挟み、帰りの準備をしていると、手元に影が落ちて顔を上げた。

 そこには七星さんの姿があった。


「あの、赤坂さんっ。この後お時間大丈夫ですか?」

「大丈夫だけど、何かあるの?」

「はいっ、少しお付き合いください!」


 何やら嬉しそうな七星さんに、俺は半ば反射的に頷き返していた。



     ◆ ◆



「それで、これから一体どこに行くんだ?」


 背中からでもワクワクしているのが伝わってくる七星さんについていくと、校門前に停まっているリムジンの前まで案内された。

 今日も自転車で通学しているのでそのことを訊くと、「あとで回収させておきます」と笑顔で言われた。


 そんなこんなで今はリムジンの中。

 ……すっかりリムジンに乗ることに慣れつつある自分が恐ろしいが、それはともかく。

 このリムジンの目的地を訊ねると、七星さんはやっぱり笑顔を浮かべた。


「秘密ですっ」

「…………ま、いっか」


 七星さんが楽しそうにしているのなら、少なくとも俺にとっても悪い場所じゃないはずだ。

 なら俺もどっしりと腰を据えておこう。


「ところで、さっきから期末考査の手応えを訊いてこないのは気を遣ってもらってるのか?」


 車窓に視線を向けながら気になっていたことを率直に訊く。

 すると、七星さんは穏やかに頭を左右に振った。


「お尋ねする必要がないと思っているからです」

「どうして」

「この一か月の赤坂さんを見ていたら誰だってそう思いますよ」

「……?」


 いまいち要領を得ない物言いに俺が顔を顰めると、七星さんはくすりと笑う。

 一挙手一投足が一々様になっているのは、財閥令嬢の風格ってやつだろうか。

 もしそうなら俺はパーティーで相当浮きそうだな。


「赤坂さんは試験結果に不安があるんですか?」

「不安はないかな。気にはなるけど、やれることはやったつもりだし」

「わたしもそうです。結果が正式に返ってくるまで少し落ち着きませんけど、不安はありません。でしたらあとはもう結果が返ってくるのを待つしかないんです」

「そういうものか」

「そういうものですっ」


 だからって期末考査の出来を訊いてこない理由にはなっていないような……?


 でもまあ、別に俺だって七星さんに期末考査の手応えを訊こうとは思わなかったしな。

 今回の目標が学年一位の座であり、そこに今まで七星さんが君臨していた以上彼女の手応えが気になってもおかしくないはずだが、お互いやれることはやっていたことを知っている。

 手を抜いたわけでもないのなら、あとは結果だけが全てだ。

 手応えなんて訊いてもしょうがない。


「……ぁ、そういうことか」

「ふふっ、そういうことですっ」


 俺がひとり言のように呟くと、七星さんは優しい視線を向けてきた。


 そうこうしているうちに、リムジンが緩やかに減速を始めた。

 そしてついには完全に停車し、俺は窓の外を覗き見る。


「ここって……」


 リムジンが停まった場所。

 そこは、郊外にある温泉施設だった。

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