六十八話 睡魔

「くぁあ……」


 昼下がり。いつものレストランからの帰り道、リムジンの心地のいい座席に身を預けながら俺は欠伸を噛み殺していた。


「ふふっ、眠たそうですね」

「結構遅くまでやってたからな」


 L字ソファの向こう側でくすりと微笑んでくる七星さん。

 俺は僅かに顔を背けながら横目に彼女を見て応じる。


 昨日……というか最早今日だが、七星さんと通話を繋ぎながら勉強をしていると、いつの間にか四時を回ってしまっていた。

 つい夜遅くまで勉強してしまって寝不足気味だったが、なんとか午前中は休み時間も含めて勉強することはできた。

 だが、昼食を摂ったことで血糖値が上がったのか、リムジンのこの適度な振動が原因か、ともかく急激に眠気が襲い掛かってきた。


 流石に送迎してもらっている立場で寝るのはよくない。

 一度頭を振って眠気を吹き飛ばしながら七星さんを見る。


 彼女は背筋を凛と伸ばして座席に座っている。


「そういう七星さんは眠たくないのか? 昨日は夜遅くまで付き合ってもらったし」

「少し眠たいですけど、赤坂さんと違って授業の合間に休んでいましたから大丈夫です」

「本当に?」

「本当ですっ」


 むんっと胸を張る七星さん。

 授業の合間に休んでたって言うけど、俺が見ていた限り机に突っ伏して寝るなんてことはせずに、普段通り背筋を凛と伸ばして過ごしていたような。


 タフだなと思う反面、無理をしているんじゃないかという疑惑が湧き上がる。

 何せ七星さんは以前にこんなことを言っていた。

 俺にはなんでもできる人て思ってもらった方が嬉しい、と。


 俺が胸を張り続ける七星さんをジトーッと見続けている、むっとした表情で僅かに前屈みになって覗き込んでくる。

 視線が真正面から交差して、彼女の青い瞳が俺を捉え、ふっと目尻が下がった。


「わたし、赤坂さんの前では取り繕わないつもりですから」

「……そ、そうか」


 少し悪戯っぽく微笑んでくる七星さんにドキッとしながら俺は顔を背ける。

 さっきまで襲ってきていた睡魔が遠のいた。


 この機を逃すまいと懐から英単語帳を取り出してパラパラとめくる。

 とりあえず目を通して置けば記憶に焼きつくだろう。……焼きついて欲しい。


 のんびりとした時間が車内に流れる。

 リムジンの走行音と微かな寝息だけが車内で発する音の全てだ。

 …………寝息?


 はたと俺は英単語帳から顔を上げた。

 そこでは、いつぞやの日のように穏やかな寝顔を浮かべて目を閉じている七星さんの姿があった。


 さっきは大丈夫って言ってたのに、やっぱり無理をしていたのか?

 まあ睡魔って来るときは突然来るしな。


 それにしてもそれまで気になっていなかったものに意識が向くと、途端に気になってしまうのが人間の性というか。

 ……寝息が気になってまるで英単語が頭に入ってこない。


「はぁ……」


 小さく息を吐き出してパタリと英単語帳を閉じる。

 車内に目を向ければ、自然と眠っている七星さんに視線が止まってしまう。


 可愛いと綺麗とが共存している、整った目鼻立ち。

 最近はコロコロと変わる表情をよく見ていたから可愛いという印象の方が強かったが、やっぱり綺麗でもある。


「……って、これ半分契約違反だよな」


 俺は七星さんに対して恋愛感情を抱かない。

 その前提のもと、彼女も俺の契約を受け入れてくれたのだ。

 もちろん俺には恋愛感情なんてないが、容姿を見て可愛いだの綺麗だのと考えるのは好きの一歩手前の感情だと思う。


 よくないよくない。


 俺は頭を振って視線を車内から窓の外へと向ける。

 夏を感じさせる澄んだ青空。

 外で横になったら一瞬で寝れる。


 七星さんへ意識を向けないように外を眺め続けていると、欠伸が零れた。

 さっきまで遠のいていた睡魔がまた突然押し寄せてくる。

 七星さんも眠っていて、睡魔を追い払う術もなく。


 気が付くと俺たちを乗せたリムジンは学校の前で停まっていた。

 運転手の斎藤さんに声をかけられて殆ど同時に目を覚ました俺と七星さんは、互いに顔を見合わせてからどちらからともなく顔を逸らした。


「赤坂さんの寝顔を見逃すなんて、わたしのばかばかばか……ッ」


 俺が先にリムジンの外に出て七星さんが出て来るのを待っていると、車内からなんだか悔しそうな声が聞こえた気がした。

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