五十七話 母
週末の休み。昼食をすませてから自転車を走らせること三十分。
住宅街にほど近いそこは、パン屋や花屋など、個人で営む店が立ち並んでいた。
その中に俺の目的地もある。
こじんまりとしながらも、綺麗に保たれている外装。
店の屋根には『本』とでかでかと書かれた看板が設置されている。
大河のご両親が営む本屋だ。
その本屋の裏手に回れば、『七瀬』と書かれた表札がポストの上についた一軒家がある。
自転車を降りてインターフォンを鳴らせば、少しの間を置いて機械音交じりに声が返ってくる。
「やあ、悠斗。今開ける」
遅れて玄関の扉が開かれ、中から大河が現れた。
大河の家に遊びに来るのは初めてではない。
俺も慣れた動きで自転車を家の敷地内に止めて玄関へ上がった。
「お邪魔しまーす。ご両親は?」
「父さんは店番。母さんは買い物」
「手伝わなくていいのか?」
「悠斗が来るって伝えてるからね。友達優先」
「そりゃ光栄だ」
何て会話をしながら階段を上り、大河に続いて突き当たりの部屋に入る。
俺の部屋よりも広いはずだが、入って右手の壁を覆う本棚のせいか圧迫感がある。
本棚にはラノベや漫画がこれでもかと詰め込まれていて、時々真面目な文学作品なんかも混ざっていた。
「大河の家に来るの久しぶりな気がするな」
「七星さんと付き合い始めてから、僕のことはおざなりだったもんね」
「変な言い方をするな」
丸テーブルの傍に腰を下ろす大河の肩を軽く小突きながら俺も隣に座った。
前方には棚付きのテレビ台が置かれていて、棚にはやはり本が敷き詰められている。
そんな中、テレビの下から伸びているコントローラーが二つ、丸テーブルの上に置かれていた。
セッティングしておいてくれたんだろう。
大河と共にコントローラーを手に取ると、何の打ち合わせもなしに早速ゲームをすることになった。
起動したのは某有名格闘ゲーム。
互いに何のキャラを使うか選んでいると、コンコンと扉がノックされた。
「いらっしゃ~い」
「どうも、お邪魔してます」
「いいのいいの、ゆっくりしていってねっ」
扉が開き、丸いトレイを手に大河のお母さんが現れた。
優しく高い声で俺ににこにこと笑いかけてくる。
「すみません、ありがとうございます」
丸テーブルの上にオレンジジュースの入ったグラスと、個装されているお菓子が数種類詰め込まれた箱が並べられた。
恐縮している俺に、お母さんはにこやかに微笑みかけながら、近所の人と世間話をするようなテンションで話しかけてくる。
「聞いたわよ、悠斗くん。中間考査、学年五位だったんですって?」
……何話してんだよ、大河。
密かに大河の足をつねりながら、俺は苦笑いする。
「現代文だけですけど」
「それでもすごいわよ。うちの大河なんて、赤点を三つも。あーもう、悠斗くんを見習ってほしいわ」
「ちょ、母さん。もういいだろ」
「はいはい、お邪魔虫は退散しまーす」
悪びれる様子もなく部屋を出ていく母を見送った大河は小さくため息を零した。
「……お前が俺の成績を話すのが悪いんじゃないのか?」
自業自得というか、口は災いの元というか。
俺が抗議も兼ねてそういうと、大河は拗ねたように言った。
「だって、親友の活躍は誰かに自慢したくなるだろ?」
「……それでお前が不利益を被ってたら世話ないだろ」
「言ってから気付いた」
「バカすぎる」
バカだが、……まあ、そう言われて嬉しくないわけではない。
妙にむずむずとした気分でいると、キャラ選択を終えてゲームが始まった。
「うちの母さんもさ、別に僕に学力なんて必要ないってことはわかってるんだよ。わかってるのに当てつけのつもりなのさ」
「いいお母さんじゃないか。優しいし、ジュースやお菓子もくれるし」
「親友が餌付けされていて僕は悲しいよ」
「失礼な。実際優しそうに見えるぞ」
「家での母さんを知らないからそう言えるんだよ。悠斗が見てるのは外行きの顔だよ、外行きの。あれだ、ペルソナってやつ」
「どうせラノベかなんかで聞きかじったんだろ」
大河は時々ラノベで得た知識を突発的に使いたがる。
適当に躱しながらぼんやりと零す。
「それに、心配してくれるだけいいお母さんだよ」
「……悠斗」
呟きが大河の耳に入ったのか、気まずそうに俺を見てくる。
つい気が緩んで湿っぽいことを言ってしまった。
俺はテレビ画面に視線を向け、動きが止まっている大河のキャラへ必殺のコンボを叩き込む。
「おりゃ、隙ありぃ!」
「あー、ずっる! ずるい!」
「はっはっは! 画面を見てないお前が悪い!」
場外へ吹き飛ばされた自キャラを見て、大河が抗議してくる。
先ほどまでの湿っぽい空気は一瞬で霧散した。
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