第36話 椿の墓
一軒の木造アパートが建った。持ち主は玄関の横に椿を植え、大切に育てた。やがて冬には桃色の八重の花が開いた。
三十年ほどたつと、隣に民家が建ち、赤に斑入りの大輪の椿が植えられた。二本の椿は、アパートを挟んで並んでいるように見えた。
桃色の八重はずっと寂しかったから、友達ができてうれしかった。
「赤に白のお花、とってもおしゃれですね」
風に乗って流れてきた声に斑入りの椿はヨロ湖だ。
「私の色を混ぜたら、あななの色になるんですよ」
互いを紅さん、桃さんと呼んで、二本の椿は仲良く暮らした。紅は通行人が足を止め、ほめたたえるほど華やか。桃は小振りだが愛らしいう八重で、こちらも周囲から愛された。
アパートは老朽化して空き部屋が増え、とうとう閉鎖されたが、桃は元気に毎年、咲き続け、紅に負けないほど、ひそかなファンがついていた。彼らは周囲のゴミを拾ったり、少しでも栄養になればと落ちた花を桃の周囲に集めたりした。
ある年の二月初め、桃はいつものようにぎっしり蕾をつけていた。
「今年もたくさんの蕾ですね、楽しみ」
紅が声をかけると、桃は寂しそうに、
「いいえ。私はもう咲けないのです。明日、着られることになりました」
驚きのあまり、紅は何も言えなかった。
「駐車場になるんですって、ここ」
「そんな」
「いつかは、この日が来ると判っていました。いつまでも紅さんのそばにいたかったけど」
「桃さん」
「さようなら紅さん、いつか天国で会いましょう」
「そんなこと言わないで、桃さん。お別れなんていやです!」
紅は泣いたが、桃はもう何も言わなかった。
翌日、桃はばっさり根元から切られた。桃の苦しみが伝わってくるようで、紅は全身が痛かった。
作業員は、他の瓦礫と、蕾がいっぱいの椿を一緒にすることにためらいを覚え、敷地の穴に椿をそっと置き、土をかぶせた。
古いアパートは更地になり、駐車場に変貌した。
もう桃の声を聴くことはない。紅の心は死んだ。
いつもは桃から半月遅れて開花が始まるはずだが、紅はひとつも蕾をつけずに終わった。
「おかしいわねえ」
紅を植えた女性は首を傾げた。去年まであれほど見事に咲いていたのに、なぜ?
「来年も咲かなかったら切ってしまおう。日当たりも良くなるし」
それを聞いて、紅はほっとした。来年も咲く気は全くない。桃の傍に行って、並んで話をしたかった。
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