第51話 凧

 空いっぱいに凧が乱舞し、子供たちの歓声がこだまする。彼の子供時代の最高の思い出だ。

 彼が7歳の時、戦車隊が攻め込んできた。10年の戦いの末、敵はやっと撤退したが、国はめちゃくちゃにされ、彼の家も貧しくなり、両親は次々に世を去った。


 反政府勢力が力をつけて大国と敵対し、彼が30歳の年に、連続テロ事件を起こし、大勢の人が亡くなった。その国は彼の国に爆撃を開始した。

 町は破壊され瓦礫の山になり、難民があふれた。荒れ地にテントを張っただけの難民キャンプ。冬はマイナス20度になり食料も乏しい。彼の妻子は命を落とした。

やがて攻撃は終わったが、彼は糸の切れた凧のような気分だった。


 占領下での生活はそれなりに平和だったが、20年後、占領軍が撤退すると、新政府は女性から教育の権利を奪った。海外からの援助は打ち切られ、財政難に。結局、政府は資金調達のために、麻薬栽培に力を入れた。

 質の良い麻薬は輸出し、クズの部分は国内に。パン一枚の価格で手に入るそれは、たちまち国中にはびこった。

 明日への希望のない生活、人々はパンよりも麻薬による一時の快楽を求める。彼もその一人だった。

 麻薬を吸っているときだけ、悲惨な現実を忘れられる。やさしかった両親、美しい妻、かわいい子ともたちと夢で逢うことだけが彼の望みだった。


 とっくに職を失い、棲む場所さえない。彼は今年の春から橋の下で寝ている。そこには似たような境遇の者たちが集まっていた。

 彼の横でうつぶせになっている男は、昨日からぴくりとも動かない、死んでいるのかもしれない。

 翌日、横にいた男の死体は川べりに埋められた。空いた場所は、すぐに別の男の寝床になった。


 もうどのくらい食べていないだろう、パンはどうでもいいが、麻薬を買う金もない。

 彼は、目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは愛しい家族の面影、平和だった頃の故郷の様子だ。空いっぱいの凧、子供たちのはしゃぐ声。


 灰色の空を、糸の切れた凧がって漂っている。

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