第39話 芳一と和尚
「耳なし芳一」の挿絵の異様さは今も忘れない。全身に経文を書かれ、しかし書き忘れた耳だけが平家の怨霊に奪われてしまう。何度呼んでも芳一が応えなかったためだが、後に講談を聞いた時、怨霊が、「芳一!」
と呼ぶ声の恐ろしさは昨日のことのようだ。夏の夜で、文字通り背筋が凍り付いた。扇風機もエアコンもない時代、この講談を聞いた人は暑さが吹き飛んだに違いない。
近年、芳一を読み解く講座を聞くチャンスがあり、意外なことが次々と判った。
和尚が怪しい、のである。
まず、芳一の全身にお経を書いたのは和尚本人ではなく、他の者に依頼したが、ちゃんと書けたか確認し忘れた、と後に詫びている。
本当だろうか、「耳だけ書かないように」指示したのではないか。
芳一は縁側に座って怨霊を待っていた。
縁側とは、あの世とこの世の境界線。そんな危険な場所でなぜ芳一を待たせたのか、奥の仏間にでも座らせておけばいいのだ、怨霊はそこには近づけない。
耳を失くした芳一は以後、評判を聞きつけた人々が押しかけ、得意の平家物語を語って大金持ちになった。
めでたしめでたし、なのかもしれないが、解説者は、芳一は間違いなく、以前より琵琶の腕は落ちたはず、と語った。
耳の存在意義はふだん考えないものだ。大事なのは奥で、外部にくっついているのは風よけか、と思ってしまうが、そうではないらしい。
耳を失った代わりに財を成した芳一。逆に言えば財の代償として、稀有の耳を永久に失ったのだ。
和尚は、それが目的だったのだろうか。
あまりにも見事な琵琶の弾き手である芳一への嫉妬。
命は取らないまでも、それ以上に貴重な琵琶の腕を奪ってやりたい、どす黒い欲望。
そんなことを思うと、芳一の本筋以上に、和尚の心根に背筋が寒くなる。
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