第40話 ドアの向こう

 今日も蒸し暑い、残業をこなしてやっと帰宅。

 やれやれと自室のドアを開け灯りを付けたとたん、功は凍り付いた。

 長い髪の女が、部屋の真ん中で、おいでおいでをしている。顔に張り付いた笑み、焦点の合わない目。

 見てはいけない、と視線を落とすと、真っ赤なハイヒールが目に入った。

 あの女だ”!

 慌ててドアを閉める。


 功が小学三年の時、純也という子と同じクラスになり、親しくなった。神経質そうだが、無邪気な笑顔。

 ある日、功は純也の家に遊びに行った。長い髪の女性が出てきて、いらっしゃい、と,功を迎えた。

「おかあさんだよ」

 と純也は紹介したが、功の母はショートヘア、だらーっと髪を伸ばした純也の母が異様に映る。

 ふと彼女の足元に目がいった。

 真っ赤なハイヒール。

 家の中なのに、洋風の家でもないのに。

 そのまま彼女は畳の部屋に入っていった。

 オレンジ色のジュースを出されたが、どうにも落ち着かず、功はさっさと帰ってきてしまった。


 それ以来、功は純也を避けるようになり、そんな自分に嫌気がさした。確かに純也の母は異様だが、純也が悪いわけではない。そう思に直して、仲直りした。

 放課後、功は純也と一緒に下校した。

 交差点。赤信号で立ち止まると、何かの気配を感じた。

 信号の向こうで、純也の母が手招きしている。おいでおいで、と笑顔を浮かべて。

 ダメだ、純也、行っちゃダメ。

 だが、

「おかあさん」

 純也は勢いよく道に飛び出した。

 葬儀には、功は行かなかった。純也のそばにいたことさえ隠し通した。


 それにしても蒸し暑い。

 早くシャワーを浴びて冷えたヒールを呑みたい、汗が噴き出て気持ち悪い。

 あれから三十年もたつのに、今頃なぜ。いや、三十年もたったからこそ、なのか。

 お迎えが来たのか、まだまだ生きていたいのに。

 もう一度ドアを開けたら、その向こうには?

 功は、半ば諦めながらドアノブに手をかけた。

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