第41話 蟻地獄

 近頃、蟻地獄という言葉を聞かない。死語になってしまったのか。

 本物の蟻地獄を見た人は少ないだろう、私も見たことはないが、想像すると怖い。すり鉢状の砂穴に落ち、這いあがることもできずズルズルと落下、食われてしまう蟻の哀れさ。


 蟻地獄と聞くと思い出す事件がある。昭和8年というから90年近く前のことだ。

「三原山に死を呼ぶ女」とスキャンダラスに報道された、若い女性の「同性心中」事件、心中とはいっても片方は生還している。

 友人と二人で噴煙の上がる三原山に登り、一人でも戻ってきた女性がいた、しかも二度に渡って。

 自殺ほう助か、と取りざたされたが、本人もほどなくすて死去、真相は藪の中。彼女の兄は「妹は利用された、むしろ被害者だ」と訴えていたという。


 三原山の火口に飛び込んで、溶岩流で死ねるものなのだろうか。

 火口内にゴンドラを吊るして中を調べたことがあるらしい。煮えたぎる中に身を投じ、一瞬にして絶命、イメージでいうと映画「ターミネーター」のラストシーンだが、そこは、理想とは全く違っていた。

 すり鉢状の内壁には、あちこちに白骨がへばりついていた。炎に焼かれ一瞬で苦しみが終わる、わけではなかった。

 飛び込んだものの、あふれかえる噴煙の中で、どうすることもできない。後悔する人もいたと思うが、進むことも戻ることもできない、これも一種の蟻地獄、緩慢なガス死を待つだけだったのか。

 飛び込んだ彼らは、まさに生き地獄に落ちたのだ。

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