第12話 満月狸御殿
学生時代から、奈良ホテルがあこがれだった。いつかは泊まりたいと、桃山御殿風の壮麗な姿を、猿沢の池から仰ぎ見たものだ。
四半世紀もたって、やっと奈良ホテルに宿泊予約ができた。西の迎賓館とも呼ばれる由緒正しきクラシックホテルに、ようやく足を踏み入れることができる。
期待に胸をふくらませて奈良駅に降り立つ。都合により到着は夜。慣れた近鉄の奈良駅ではないし、やや不安ながら、なんとかなるだろうと、猿沢の池を目指す。奈良ホテルは、池から見えるはずなのだ。
ところが、猿沢の池についてみると。奈良ホテルなんて見えやしない。記憶の中で、いつの間にか、池のほとりに建つと思い込んでいたようだ。確かに大きなホテルはあり、見覚えがあったが、つぶれたのか閉鎖されて真っ暗だ。
記憶の中では、奈良ホテルは、夜の闇に燦然と輝いているはずだった。それが、真っ暗な池のほとりに茫然と立つ自分。
もう、どちらに行くべきかもわからない。仕方なくホテルに電話した。ナントカ和菓子店の横の道を昇ってください、との指示に、焦りつつ店を探す。うろうろしながら、やっとその店が見えたときには心底、ほっとした。
店の脇のゆるやかな坂を上る。飛び石の通路の両脇に、ホテルのぼんぼりが灯され、やわらかな光に心が和む。うねうねした坂を昇りつめると突如、昼のようにまばゆい御殿が出現。
狸に化かされているのでは、と一瞬、混乱した。
昭和の中頃、「満月狸御殿」という映画があった。往年のスターが狸にふんして踊ったり歌ったり。
狸といえば月。この夜の奈良は闇夜だったと思うが、幻想的なホテルの佇まいは、まるで夢の世界だった。
おそるおそる玄関を抜け、フロントにたどりつく。フロントマンはもちろん、狸ではなかった。
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