第23話 あの場所で

 樹齢二百年はあろうかという杉の大木。その先に校門があった。まっすぐ進むと階段があり、国鉄の駅が見下ろせる。左手の校舎には昔ながらの銭湯を思わせる唐破風からはふの正面玄関。大正時代の建物で、当時、すでに築五五十年を過ぎていた。右手には塀を挟んで数件の民家、その先は崖だった。


 この小学校で私は、五年生の五月から卒業まで、二年弱を過ごした。前の小学校は新築された年に入学だったから、今度はずいぶん古い建物だ、と思った。

 数年後、小学校の右手。つまり崖の下の民家が火事で全焼した。少しして現場を通りかかると、頭上に目がいき、ぎょっとした。

 鈍く光る石垣があった。ここは何度も通っているのに気づかなかった。石垣を覆っていた草が火事で焼けて露出したのだろうか。

 明るい灰色という石垣のイメージと違う、いやに黒っぽくて不吉なものを感じた。

 その直後だった、あの小学校が、どういう土地に建っているかを知ったのは。

 

 かつて、そこは×石藩の処刑場だった。

 処刑場!

 のけぞりそうになって驚いた。背筋がそっとした。

 あの場所で、あの校庭で?

 罪人を処刑した地面の上で、私たちは何も知らずに運動会で盛り上がったり、昼休みにドッヂボールをして遊んだりしていたのか。


 思えば、杉の大木があったことからして、あそこは特別な場所だったのだ。

 商店街や寺、町立病院を抜けた先の台形の広場。右は石垣のある崖、正面は急な坂、当時は駅はなかっただろうが。左手は傾斜地だ。もちろん校舎は存在せず、見晴らしの良い目立つ場所だったはず。

 処刑は見せしめであり、ある意味、見世物の要素があったかもしれない。竹垣の向こうで人々は、どんな思いで処刑を、公開の殺人現場を見つめたのだろう。


 町を離れてだいぶたって、小学校が取り壊されたと聞いた。別の場所に、やはり老朽化した中学校と並んで新築されたそうだ。

 あの小学校の跡地が、現在どのように利用されているかは知る由もないが、再訪したい、とは全く思えない、それだけは確かだ。


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