第8話 広島・新聞紙まで食べた
昭和二十年、八月六日。
広島に、原爆が投下され、おびただしい犠牲者が。
これは、当時、広島を離れ、疎開していた少年の談話です。
原爆投下により、当然、疎開していた子供たちの多くが、親を失います。
戦後、広島に戻ったものの、家も家族も、食べるものもない。
そこで、市が、彼らに食料を配りました。そこまではいいのですが、この措置は、秋で打ち切られてしまったのです。
冬空の下、子供たちがどうなったか、想像つきますよね。飢え死にです。ひどい話です、こうして命を落とした子供たちは、六千人とも一万人ともいわれているそうです。
終戦間もなく、しかも、甚大な被害を受けた広島での話。誰もが生きるために必死で、行政も、余裕があるはずはなく。でも、だからといって、せっかく助かった子供たちを見殺しにして、いいのでしょうか。最後は、柔らかいものなら何でも口にした、新聞紙も食べた。
どれほど、ひもじかったでしょうか。一食抜いただけでも、おなかがすいて仕方ないのに。
この話をしてくれた男性は、何とか彼らの支援を、と思ったけれど、どうにもならなかったと。
それでも、力を尽くしたのは、自分が恵まれていたからだと言います。
八月五日。原爆投下の前夜に、彼の母親が、広島から、彼を訪ねてきたのです。おかげで彼は母を失わずに済みました。おまけに、出征していた父親も無事に戻ったのです。
戦後七十六年。
日本は、平和になったのでしょうか。確かに、道端に子供の死体が転がっている、なんてことは、ありません。
でも、虐待され食事を与えられず命を落とす子供がいます。胃から、ダンボールや、紙おむつの切れ端が出てきた、なんて聞くと、慄然とします。
親の心に棲む鬼は、どこから出てきたのでしょうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます