第10話 誰しもがきっと自分が恥ずかしくてしばらく寝られない夜を過ごしたことがある

 私、シェリル・アンドレアが自分の愚かしさに気が付いたのは、一年目の授業が後期に差し掛かってようやくだった。


 入学してからずっと、自分の愚かな感情に支配されるままにヴァンダルムくんに挑み続けた。


 そのたびに彼はある程度は付き合ってくれていたが、わかりやすく手を抜いて私の挑む勝負を躱した。


 いつでもそこそこの成績、私より少しだけ下手な実技、決して低いわけじゃないけれど平均より少し上程度に抑えた点数。


 わからないと思っているのか。人のことをバカにしているのだろうか。


 感情の見えない彼の表情からは、本当は何も察することはできない。

 けれどその時の私には、そこに彼の「驕り」があると感じていた。



 「ヴァンダルムくん!!今日こそはまじめにやってもらいますよ!!!」


 その日の授業は後期から初めて行われる校外実習に向けた模擬戦闘だった。


 当然のごとく私は彼に挑戦する。いつも周りにアピールするように、大きな声で、腰に手を当てて指をさす。大きな動作で挑発するのは、周りの注目を集めて相手を逃がさないため。


 今思えば逆効果だったのだとわかる。


 「メンツ」とか言う、ごく当然の貴族的考え。自分がそこまで貴族らしい人間であるとは当時から思っていなかったが、今思えば普通の貴族の子弟のように、感じ方や価値観は自然と貴族の子供だった。


 『まじめにやっていない』なんてレッテルを貼られ、正面から堂々と挑まれた上で逃げたり負けたりすることを普通の貴族は酷く嫌がるし恥だと感じる。

 だから彼もきっとムキになって対抗心を燃やすに違いない。当時の私にそんな身勝手な腹積もりがあったことは否定できない。


 まあ大人ならここでうまく躱す言葉の一つや二つは身に着けているものだから、きっとお互いに子供だったということなんだろう。


 いつも彼は「いつも真面目なつもりなんですけど……。」とか、「これが精一杯の実力なんです。」とか言いながら「それでも良ければ」なんてなんだかんだ付き合ってくれる。


 要はそんな彼に甘えて、私は毎度毎度自分の感傷に付き合わせていた。

 そんなことを半年近く続けて、そろそろ「なんのために勝負を挑んでいるのか」とか「なにを得られたら満足なのか」とかそんな根本的なことも考えなくなっていた。


 クラスメイトだって最近ではもう「またやってる……」とあきれてしまうほどだっただろう。

 そんな空気感の中、私は一体何を求めていたのか。正直いまだにちょっとわからない。それくらい形骸化した「いつもの流れ」である。

 


 しかしその日のヴァンダルムくんは少し様子が違った。


 彼はいつものように挑む私の姿を一瞥すると深くため息をつく。腕を組むようにしながら左手で口元を抑える。何かを考えるようなしぐさだが、なんだかあきれられているようにも見えた。


 いや、実際にあきれられていたのだろう。当然だ。そんなことは当時の私だって感じていたけれど、そんな「当然」を蹴飛ばしてしまうほどに苛立ちが立ち込める。


 (なによ。あなたがまじめにやらないのが悪いんじゃない。いつものらりくらり躱して。私のことを見下して。それでそんな顔をするなんて失礼極まりないわ。)


 むっとした私は、今度は両手で腰を支えて、負けないように胸を目一杯に張る。


「なに?いつもいつも適当に手を抜いているのは、私にはわかっているのよ?不服なら本気で授業に取り組んだらどうかしら?」


 いかにも『私は正しいことを言っている』のだからという風に畳みかける。


 「む……」


 彼は考えこむように、少し黙った。最初から口数が多い人ではなかったけれど、こちらを見る視線がいつもより真剣に見えて、私は彼の言葉を待つことにした。



 周りではすでに模擬戦闘が始まっている。いつもいつも私が彼に絡むから、自然とみんな私たち二人を放っておいて対戦相手を決めていた。


 今日は実習と同じようにBクラスと合同だった。なるべくいつもと違う相手と経験が積めるように、他のクラスメイトはみんなBクラスの生徒と組んでいた。


「続いて、Bクラスギルベルト対Aクラスボズマー・シュトレイン」


 Bクラスの担当教員が名前を呼ぶ。演習場の中央に作られた決闘場には、すでに生徒の姿があった。


 ヴァンダルムくんが考え事のついでのようにそれに視線を向けていたので、私の意識もつられるように彼の視線の先に向かう。


 半径十八メートル強の円状に作られた決闘場。その半径ちょうどくらいの距離感が出場者のスタートラインである。円の中心を挟んで等間隔に敷かれた白線に、二人の男子生徒が几帳面に向かい合って立っている。


 片方は貴族の出で華やかな見た目をした、真面目で努力家なボズマーくん。


 相対するは……彼はどうしたのだろう?家名がないようなので平民出身なことはわかるのだが、なにやら様子がおかしい。


 いや、初対面でおかしいとまでいうのは失礼にあたるかもしれないが、少なくとも当時十年近く生きてきた中では見たことない風貌をしていた。


 頭のほとんどを剃り上げて頭部の地肌が見えている。しかしその一方で額の生え際から頭頂部を通って一本線を引くように、流せば肩まで伸びそうなほどに長い髪が残っている。


 その髪はどうやってか、例外なく天高く立ち上がっていた。とさかのようになった髪は彼が身じろぎしようともぴくりとも動かない。


 支給された学生服の左肩は、だれにされたのかびりびりに破かれている。右肩の方、今度は補修したのか、しかし何やらトゲトゲとした装飾がついた鎧のようなものが付いていた。


 右側のトゲが邪魔なのか、ギルベルトさんは顔を常時少し左に傾け、不敵に笑う。


 「ヒャッハアアアアア!!!!!!!!!」


 いや、不敵に笑うというより魔物の鳴き声のような発声をしている。


 寡聞にして存じ上げないが、戦闘前にそのような挑発行為をする部族など、あったのだろうか。勇猛に戦う前の儀式というか。

 小耳にはさんだ程度だが、戦闘前に相手を威嚇し挑発する舞を踊る部族の戦士がいるとは聞いたことがある。


 なぜ生徒同士で対戦相手を決められる今回の演習で、ボズマーくんは彼を対戦相手に選んだのか。一見すると全く……人として相性がいいようには思えない。

 


 自分の人生においてあまりに見慣れない様子を視界に捉え、いつのまにか私は視線を逸らすことが難しくなっていた。


 というよりも、完全に思考が止まってしまい、ただただ様子を伺うことしかできなかった。みっともないが口が少し開いてそのままだった気もする。


 「はじめ!!!」


 何事もなかったかのように、だからそう、恐らくは彼はいつもあの風貌なのだろう、Bクラスの担当教諭は慣れたように模擬戦開始の合図を送る。


 「ヒャッホオオオオオオウ!!!!!」


 ギルベルトさんは速攻で浮かび上がり強襲。足の側面には、何か風の渦の様な円状の魔法がかけられている。


 恐ろしくスムーズな無詠唱の術式展開。私でも真似をするには苦労するだろう。


 身体強化に近い魔法で、恐らく自身の機動性を上げるものだろう。明らかに同じ年頃の少年では不可能な跳躍を見せている。

 自分の身にかけるため魔力を放出するより即時性が高く、なにより何度も使い続けたが故のこの速攻だろう。非常に高い練度が見て取れる。


 「ヒヤッッハア!!!!!」


 「ぐッ……!?」


 跳躍の勢いそのままに右足を横一線。渦の回転は飛び蹴りの威力すらも増大させるようだ。蹴りの角度が定まった瞬間、明らかに彼の足は急加速していた。


 ボズマーくんもなんとか肩と腕を上げて盾魔法を展開する。しかしあまりの急展開に術式はうまく組み立てきれない。蹴りが当たった瞬間に「ぱあん」と高い音を上げて魔法は弾け飛んでしまう。


 油断があったわけではない。ただギルベルトさんの速攻があまりに速すぎた。


 ボズマーくんもなんとかしのぎ切る。回転の流れに逆らわず、そのままくるくると後ろに跳躍して距離をとった。しかし彼の左腕はすでに上がらないようで、だらんと肩にくっついたまま垂れている。


 明らかな初動の競り負け。不利には違いない。


 しかし「魔術師ならば魔力さえ練ることができれば戦える」と言わんばかりに、ボズマーくんの闘志も消えていないように見えた。


 「粘水網!!!!」


 右腕を上げ、即座に振り下ろす。ボズマーくんの右手から、網状に広がる飴のような見た目の水の縄が発射される。


 おそらく無言詠唱。頭の中で詠唱文を読み上げ魔力を練ることで、無詠唱に近い現象を起こすテクニックである。


 距離を取る一瞬で冷静に準備を完了させる技量に思わず舌を巻く。


 粘性の強い水網は、きっとギルベルトさんの機動性を削ぐための秘策だろう。捕まったらまず詰みの盤面になるはずである。


 決闘場のほぼすべてを埋め尽くす程の大網。しかしこれを見るや、ギルベルトさんは即座に後退する。追撃に向かい、勢いよく走りだしていた直後で、だ。


 前に出した足を、前に突進するためでなく跳躍のために使う。前に進む勢いは殺しきれず前方にくるくると宙回りしながら、しかしそれでも勢いを殺し始める。


 跳躍が終わり、着地した時には急制止。寧ろ突進の勢いを地面を蹴り飛ばすために再利用し、今度は後方に向かって飛ぶ。腕をクロスさせ、今度は縦回転でなく体を横回転させて。まるで何かに思いっきり体を引き戻されたかのように自然な挙動で後退。しかし本来なら明らかに不自然な力業である。その影響は抉るように陥没した彼の着地点が一手に引き受け、それは物言わず彼の異質さを証言していた。


 難なく決闘場の端まで後退を成功させたギルベルトさんは、水網を当然のように躱し切った。

 流石に決闘場を埋めつくす網を端から端まで出現させるには、いささか時間が足りなかったようだ。

 むしろあの一瞬でここまでの術式を展開して魔力を練り上げられたものだと感心すべきである。


 しかし残念ながら、ここで捕まえられなかったことで勝敗は決してしまうことになる。


 ギルベルトさんは着地と同時に手を叩く。猫だましの要領だ。


 するとその音と並走するかのような強風が吹き荒れる。風は前方の水網を真っ二つに吹き飛ばし、そのままボズマーくんへ。


 今回の模擬戦は場外に落ちれば敗退である。粘性の網を吹き飛ばす程の強風を受け、それでもボズマーくんは足に飴のような枷を取り付け、地面に張り付き耐えしのごうとする。


 思ったよりも勢いのない風。見た目の派手さに騙されたが、実はその強風は人力そのままで耐えられる程度の威力だった。

 しかし無意識に顔を守るために上げた腕と、瞼に張り付く風圧が視界を遮る。それこそがギルベルトさんの狙いだった。


 手を叩いたその次の時既に、ギルベルトさんは強風の後を追うように走り出していたのだ。


 ボズマーくんが地面と自分をつなぎ止め耐えようと意識を逸らした瞬間には、もうすでにあと手が届くまで二、三歩といった距離。


 ギルベルトさんは腕に不規則に乱れ吹き荒れる風魔法を張り付けている。腕を、押し上げるように振り上げる。


 「掌底風破ショーテーヒャッハー。」


 彼がうなりを上げるようにそう唱えると、ボズマーくんはきりもみ回転しながら吹き飛んでいった。



 「おおおおおおお!!!!!」


 衝撃的な試合を図らずも見学させてもらい興奮していると、ヴァンダルムくんが試合終了を待っていたように口を開く。


 「放課後、一人で、演習場に来てください。『まじめ』にやるので。できればそれである程度納得して貰いたいです」


 視線をまだこちらに戻せない様子のままで、彼は絞り出すようにそういった。


 その姿がなんだかどこかとても辛そうに見えて、私は「はい。行きます」とだけ答えた。


 

 背景で「怪我人は医務室だあああああああァァァァァァ!!!!」とボズマーくんを脇に抱えて疾走する『とげとげ』が遠ざかっていった。

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