第49話 或る記者の手記9
フレードルは杖をくるくると回した後、左右の壁に杖を振り向けた。
ぼわんと、どう形容したらいいかわからないような、とにかく何か魔法的なものが発したに違いない音が鳴る。
するとフレードルとヴァルバス氏の間にあった『膜のような障壁』がぱっと消えてなくなる。
膜は『魔力の流れすら映し出す魔道具』をもってしても、とても見えづらいものだった。
ヴァルバス氏がそれにぶつかってから、改めてそれに意識を向けることでようやくわかる。
シャボンの膜を更に薄く透明にしたような『もや』がかかっていた。
きっと現場では魔力を見ることを得意とする魔法使いであっても気が付きづらいものだったに違いない。
膜がそれこそシャボンの割れるように消えてしまうと、今度はゆっくりと少年たちにフレードルは近づいていった。
「ヴァンダルム君は既にお気づきでしょう?……というよりも、初めから、ここに来る前からその可能性を考えていた。
寧ろ、その予測が恐らく正しいのであると、実は心の中ではそう思っていた」
「……っ!」
苦しそうな表情を浮かべながらフレードルの話をじっと聞いている。
少年は椅子の背もたれに体を預けることもせず、背中を少し丸め、両膝の手前あたりの、柔らかく高級そうな衣服の生地をぐっと握りこんでいた。
「随分と、周り道をしてしまいましたね。
おかげで思ったより話が長くなってしまった……」
フレードルはこちらを見る。恐らくは映像記録魔道具に視線を向けていた。
彼のこぼした小言は『映像記録が長くなってしまったこと』に対する、ちょっとした不満なのだろう。
「ですが、影から話を聞いていたティム君にはわからなかったようなのであえて言いましょう。
あなたの傷を抉るようで、少し心苦しいですが……」
そんなことは全く思っていないであろう、感情の抜け落ちた顔。
彼が喪失させた表情は、「くだらない」「呆れた」「馬鹿馬鹿しい」「つまらない」、それらどの形容を表していても正しいだろうと感じた。
「そもそも、あなた達の望んだ『犯人』なんてものは存在しないのですよ」
鼻で笑うようにフレードルは少年たちを見下ろした。
「『私が怪しい』。確かにそうでしょう。
『きっとこの男がゼファー君を誑かし、魔物に変えた【悪い魔法使い】に違いない」!!!
そう思うのも無理はありません!
が!
そんな事実はないのです!!!」
「え……?」
愕然としたティム少年が声を漏らす。
「おや……?声も出せないし、顔も動かせないはずなんですが……。
効きが悪かったのでしょうか……?流石に少し落ち込んでしまいますね……」
少年に顔をぐいと近づけて、フレードルは顎をさすっている。
「まあいいでしょう。
元々それが苦手だからゼファー君と共同研究していたのですから……。
そうですよ。あくまで『共同』研究なのです。
確かに彼によく興味を持ってもらうために多少のアプローチや誘導はしましたが、決して『強要』したわけではないのです。
だから『魔物に変身する薬』を作ったのもそれを飲んだのも、ゼファー君自身の意思によるものです……!
だとすると……!おや?不思議ですね?
これじゃあ『犯人』がいるとしたらゼファー君自身ということになってしまいますかね……?」
口端を痛々しいほど引き上げて笑みを作る。
わざと少年たちを傷つけようとしているようにしか見えない。
なにか猟奇的な考えを持っているような、そして人を煽るような笑みだった。
「先程もお話したはずですよ?
彼が望んだ、彼の夢とはただ、『美しい狼になりたい』というもの。
あなた方には甚だ理解し難いことかもしれませんが、私は共感を覚えますし、それが紛れもない事実です。
彼の望みは人の姿や過去の自分やもしかしたら『狼になりたかった自分』すらも捨ててまで『より狼らしく』あることだった!
私は一応止めたのです!
『この薬は未完成品で、自我を侵食される恐れがある』と!
しかし彼はむしろ嬉々としてそれを飲んだのですそして彼は狼により近く、近く近く、実質的には『人狼』と呼ぶべき存在ではありますが夢を叶えたのです!!!
さあ夢を叶えたあなた方の友人に賞賛を送りましょうそれが『友人』というものではありませんか!!!!!!」
大きく手を広げ、息継ぎを忘れたように演説をすると、最後にそのまま大きく拍手をする。
その顔に邪気のようなものはなく、晴れ晴れとした『羨望』があるだけだった。
「どうしました?顔色が悪いですよ?
淡い期待をしていましたか?
もしかして、『ここにすべての黒幕が居て、最終決戦と称してそいつを叩きのめしたらハッピーエンド』……そんな淡い期待をしていましたか?
なら先生として一つ忠言でもしますがね。
『世界はそんなに物語のようにうまくはいきません』よ。
……確かに彼の夢は常人には物語より奇に感じるのかもしれませんがね。
黒幕を倒して終わりだったなら楽でしたね?
この私が全て悪かったなら、それを糾弾して責め立てられたなら、きっとあなた達は救われたでしょうね?
何に対して?わかっていますか?
あなた達二人は、『友人を救えなかった』『何も気が付いてあげられなかった』『ただ彼に対して無力な自分が許せなかった
』……だからわかりやすい『悪者』を求めているんですよ。
でも実際はただただ『信じた友人が自分勝手に夢を叶えて人に迷惑をかけていた』だけだったってオチなんですよ。
大切な友人と殺し合いを演じたのも、目の前で仲間を傷つけた友人を説得できなかったのも、全部全部その友人が悪いんですよ。あなた達を苦しめているのはその友人自身なんですよ」
フレードルはパチンと指を鳴らす。
それを合図に、立ち尽くしたまま固められていたティム少年の『停止』が解かれる。
少年は膝から崩れ落ち、へたと座り込んだ。
魔法もかけられていないのに、少年二人は体に力を入れることすらできていなかった。
「ただ、一つ……気を紛らわせる程度かもしれませんが、少しだけ贖罪できる方法を教えて差し上げましょう」
フレードルは演劇染みた大きなアクションで、両手でヴァルバス氏の顎を支え、顔を自分に向けさせた。
「あなた……ヴァンダルム君あなたは、自分の力を隠していらした……。
別にそれは何も悪いことではありません……事情があるのかもしれませんしね」
少年の頬を優しく撫でていく。
放心した少年に甘く囁くように。
『大丈夫。私は敵じゃない。あなたの苦しみを和らげに来ただけ。警戒しなくていい』。
綿にどろどろの砂糖水を染み込ませるように。
「でも……どうでしょう?
もし、あなたがそもそも力を隠していなかったなら。
はじめから私に目を付けられていたのがあなただったら。
少なくともゼファー君は理性の薄れた獣にはならなかったと思いませんか?
もしはじめからあなたが協力してくれていたら。
ゼファー君が飲んだ薬は安全な『完成品』であったとは思いませんか……?」
ゆっくりゆっくり、言葉はどす黒く粘りの強いコールタールのように、ヴァンダルムを包み込んでいく。
頭から髪先を染め、瞼をぬるりと滑り落ち、見るだけで息苦しくなるくらいに口元を覆っていく。
少年はもう、体に塗れた重たい感傷で身動きが取れない。
「ましてや、『大した理由もなく力を隠していたなら』……いいえ責めているわけではないんですよ。
ただね。『もし自分なら』……そう思うと『ああやりきれない。やりきれないだろうな』と思うんですよ。
それはあまりにも不憫だ。
怒りをぶつける相手が見つからず。友人を貶すこともできず。
ただ自分の無力、怠惰、傲慢、後悔に押しつぶされていくなんて、あまりに『かわいそう』だと思うんですよ、私は。
……あなたの罪を挙げるとするならば、それはただ一つ。
『力あるものの義務』を果たさなかったことだと私は思うのです。
力あるものがその力を正しく、率先して使っていたならば、世界はもっと綺麗に回るものなのです。
『隠すことは悪ではない』けれど『隠す覚悟がないならばやめた方が良かった』ということが言いたいのですよ。
正しく世界をまわさないならば、その結果起きた歪な不幸も甘んじて受け入れる覚悟がないと……」
支離滅裂極まりない。
第三者の視点で、無関係で無責任な視点で、この男の言葉を流し聞くのならば『馬鹿馬鹿しい』と一蹴出来るのは当たり前だ。
けれどきっと少年はそれを飲んでしまった。
そもそも少年は今、誰を責めることもできず、きっと自分しか責める相手がいないのだ。
誰かを責めることで絶望を宥めたいはずなのに、そのために自分自身を絶望に叩き落すように責め立てるのだ。
本末転倒を、しかしそれしか彼の心には残っていないのだ。
だからきっと彼は今、馬鹿馬鹿しくも『自分を責め立てるための都合のいい理由』を探している節がある。
もし自分に罪があったのなら、自分を責めてしまえばいい。
ゼファーは何も悪くなくて、ただ自分が悪かった。
そんな風に、思いたいのだ。
だから彼はこれを飲んでしまった。
それは救いでもなんでもない。
ただの欲に塗れたコールタール状のまやかしに過ぎないのに。
「だからね?ヴァンダルム君。
これからまた新しい『ゼファー君』を産み出さないためにも、その力を積極的に使っていかないかね?
手始めに、私と、彼が、二人合わさっても完成にこぎつけなかったこの薬を完成させようじゃないか。
それが『間に合わなかった』君の、彼に対する贖罪に、なる気がするんじゃないかな?」
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