第48話 或る記者の手記8
昔話を終えると、フレードルは絵本をぱたんと閉じた心地で一息を吐く。
「そして、ええ。
私が作って、彼によって発展した『変身薬』によって、彼は狼になりました。
――――――彼は、夢をかなえることが出来たのでした。めでたし、めでたし」
そしてつまらなそうに呟いた。
椅子からゆっくりと立ち上がり、杖をくるくると回しながらその場で右に左に歩き始めた。
「彼が飲んだものは『未完成品』でした。
従来の変身薬が抱える問題点を完全には改善できなかった薬です。
前に授業でなんどかお話しましたよね?
『精神の変質』――――――変身後に自己が維持できない副作用。
彼は変身魔法を論じる際に必ず症例としてあげられる逸話のように、その精神性を狼へと変質させていきました。
多くの魔物と呼ばれている生物と同じように、暴力的な衝動が目立つようになりました。
薬の改良は進めていたので、流石に夜中に遠吠えを繰り返すようなことはありませんでしたがね。
精神を変質させる副作用は完全には消せませんでしたが、その代わりに『元に戻る』機能を付けられたので、そのお陰か社会性や倫理感などは消えなかった。
元の人格や記憶も、変質してしまうのは避けられずとも消えはしなかった。
今までの変身魔法の研究結果を思うと、これは大きな進歩と言えるでしょう」
落ち着きなくその場で歩き回っていたフレードルがひたと足を止める。
「大きな進歩」を語る彼の表情に得意げな様子はなく、むしろ「満足していない」「こんな結果を報告するのは不本意だ」とかそんな様子だった。
「ですが……!彼との共同研究の結果、『最後のピースをはめる位置』まで特定することが出来たのです……!
今まではそのピースがどんな内容かまではわかっていたのですが、『そのピースをはめる技術』『ピースをはめる位置』『明確にどのピースをはめればいいのか』がわからなかった……!
しかし彼の協力のお陰で必要なものは『技術』のみとなったのです……!」
つまらなそうな表情がじわじわと変貌していく。
目を大きく開き、声は段々と大きくなっていき、その息使いは空気を吸うことすら忘れ、目は血走っていた。
「その『ピース』が先程あなたに向けた『古代の魔法』と呼ばれているものです。
残念ながら私も彼も必要な魔法を使う技術がなかった……!
繊細な魔力運用や明確な対象指定や膨大な演算能力が足りなかった……!
ですがあなたなら……!
『自分の世界を静止させる』ことすら可能にしたあなたなら容易にできるはずです……!
この『死の魔法』と呼ばれた古代魔法を使うことが……!!!」
かたんと入り口近くで音が鳴る。
驚いたようにヴァルバス氏がそちらを振り向いた。
よっぽどフレードルの「演説」を聞き入ってしまっていたせいか、無表情が常の彼には珍しく、誰の目から見ても明らかなほど目を見開いて驚愕を浮かべていた。
対照的にフレードルは無反応だった。
話の邪魔をされた時のちょっとした苛立ちは見て取れたが、それすらも「まあ構わないか」くらいの合間に無くなっていた。
「おい……!今の話は……!今の話はなんだ……!?」
開けた扉を体の支えにするように手で押さえながら現れたのは、憔悴しきった顔をした少年だった。
「ティム……?」
ヴァルバス氏は言葉を発する術を今思い出したかのように、か細い声で少年の名を吐き出した。
「ヴァルバス様……?これは……一体どういうことでしょう……?!」
ティム少年はこの年頃の子供にしては珍しく、見た所自分より年下であるヴァルバス氏に対しても礼節を弁えている。
当時にしてもヴァルバス氏は辺境伯家の子息だ。
そこらの学友の中でも上の身分に位置する人間だろう。
当然身分の差というものは明確に存在し、たとえ学友でも当たり前に敬われるべき存在だ。
しかし貴族科の生徒を除いて、この年頃の子供がしっかりと「弁えた」態度を取れるかというと、現代においてもなかなか少ない。
特に実力主義の傾向が強い魔術科の学生ならば、あるいは青年と呼ばれる年頃でも砕けた関係性を持っている平民と貴族すら存在しているようだ。
しかしその礼節も今やと剥がれ落ちそうな程に、少年は動揺を隠せていなかった。
いや、当時の彼を思えば、それでも礼儀を忘れなかったティム少年は、よほど躾の行き届いた少年だったのだろうと思われるほどだった。
何せ、幼馴染が魔物となったことを知らされた直後だったのだから。
「ヴァルバス様……!ゼファーが……!やはりあの狼はゼファーだったのですね……!?
ならばそれを行ったのがあの教師なのでしょう……!!?ヴァルバス様……!!!今すぐ!即刻あの教師を憲兵に突き出しましょう……!!!
……なぜ動かない……!!!あなたならそれが出来るはずだ……!!!さあ!!!!」
ふらふらと足元も覚束ないまま、ヴァルバス氏に近付きながら問いかける。
少年は縋るようにして、扉の代わりに今度はヴァルバス氏の腕に手を掛けた。
ティム少年は森での狼対ヴァルバス氏の戦闘を目撃している。
あの壮絶な戦いを見た後なら、たとえ魔術科の講師であろうともヴァルバス氏が遅れを取ることはないと考えていても不思議ではなかった。
「あの教師はそれほどに強いということですか……?!ならば私が先陣を……!!!!」
ティム少年が腰のベルトからナイフを取り出す。
言葉ではヴァルバス氏を頼るように言っていたが、元々黙ってみていられないほどに感情が昂っていたのだろう。
取り出したナイフには、既に何らかの魔法効果が付与されている様子で、すぐにでも相手に襲い掛かろうという気概がありありと見て取れた。
「……!」
「『プロイベーレ』!」
ヴァルバス氏が急いで少年に振り返り、何か言葉を発しようとしたその時には、フレードルの魔術はティム少年に向けられていた。
それは速すぎると形容する程ではないように感じた。
しかしフレードルの手杖の先から伸びた緑色に光る光線は、瞬く合間にはティム少年にぶつかり、ばちばちと音を立てながらその役目を終え、消えた。
「なにを……!?」
驚いた様子でヴァルバス氏は凶行に及んだ男へ振り返った。
「ああ……先程から使っている魔法は、『古代魔法』と呼ばれるものです。
これはあなたの理解の範疇を超えているもののようですね……?
大丈夫です。今のは『停止』の魔法。
私が使っても体の動きを止めるだけで、意識はしっかり残っています」
「停止……?」
ヴァルバス氏は驚きに釣られて浮き上がった腰を、一先ずは納得した様子で椅子に降ろした。
先程から疑問に感じていたことがある。
かのフレードル・ノベタンスキの用意していた障壁を、フレードルの余裕の顔を崩す程にぶつかっていったヴァルバス氏。
それほどまでに感情的に、怒りに満ちた衝動で溢れていた彼が、その時には既に冷静そのものといった様子だった。
もちろんティム少年が暴れだしそうな時、そして少年が危害を加えられたと思った時には、彼もかなり焦った素振りを見せていた。
しかしどうも、大切な友人を奪った相手に対する感情を、もう忘れてしまったかのように振舞う場面ではないように思う。
ティム少年が礼節の中にも激しく暴れだす感傷に突き動かされていたように。
いや、少年がかつてのヴァルバス氏のように怒っていたからこそ、尚更その変化が不自然に感じられた。
その疑問に対する答えは、すぐにフレードルの口から明かされた話で理解することになる。
「今更私とあなたの間に、何を審らかにする必要もないことでしょうが……。
新しいお客様もいらしたことですし、改めて『答え合わせ』としましょうか」
そう話すフレードルの顔は、恐らく自分の『本題』、自分の目的であった『話』の直前で邪魔されたことに、不満気が少しだけ混ざっていた。
「そうはいっても、実際の所一言で終わる話なんですよね……」
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