第37話 英雄

 爆発音。俺は叩き起こされた。


 ぱちぱちと暖炉の音を聞きながら目を開くと、辺りは昔親に脅されるように聞かされた「地獄」のイメージそのままの姿をしていた。


 大蛇が這った後のように抉れて出来た道。溶けてどろどろになった地面。なのにどこかしこに湿った跡が残っている。


 起きたての頭には、ここがどこなのか理解できる賢さが残っていなかった。

 あからさまな異常事態だと警告する景色が、だからこそここが未だ夢の中であるかのように錯覚させる。


 軽く頭を振って改めて辺りを見渡す。

 そこには呆然と座り込むシェリルと、真っ白な獣の首を掴んだヴァンダルムがいた。


 覚醒し始めた頭は、ここが戦場であることを理解し始める。



 獣は突如光りだす。

 いつか見た魔法のようにバチバチと雷を発すると、体を思い切り捩じらせた。


 その勢いのままヴァンダルムを足蹴にする。

 しなやかで細いようにすら感じる脚は、それでもヴァンダルムを思い切り吹き飛ばす威力を出した。


 十数メートルは吹き飛んで、ヴァンダルムは後ろの大木に思い切り背中をぶつけて止まる。


 息の漏れる音。


 歯を食いしばって目を血走らせ、それでも彼は「敵」から目を逸らそうとはしなかった。


 ぱきりと後ろで音がする。

 未だぼーっとしている頭のままそちらへと振り返る。


 そこには俺と同じように何事か理解できていない様子のティムがいた。


「ティムさん!!!だれか!!誰か大人を!!!急いで!!!!」


 シェリルが慌てたように叫ぶ。

 ティムは困惑した顔を切り替えて神妙に頷く。


 恐らく頭は追い付いていないがとにかく非常事態だということ。

 それだけ把握してティムは即座に元来た道を駆けだした。


 雷の落ちるような轟音。

 改めてそちらに目を向けると、獣は既にヴァンダルムの胸元まで距離を縮めていた。

 シンプルな突進からの体当たりだ。


 目を離したのは数秒、なのにこの距離を一瞬で詰めて一撃。

 そんな『勢い』のある攻撃、その威力はきっと大人の腹も穿つくらいにはあるように思う。


 ヴァンダルムはその一撃を斜めから腕を振り下ろして叩き落す。

 しかし威力が殺しきれなかったのか、彼の左小指がおかしな方向に曲がってしまっていた。


 犠牲を払ったかいはあったと言えばよいのか、獣の強烈な頭突きは後ろの大木にめり込んでいた。

 すさまじい勢いの突撃はそれでも彼の手刀に逸らされ、ヴァンダルムの体を捉えることはできなかった。



 その光景を観客のように眺めて数舜。

 流石に頭も冷えてきて、「早く援護しなければ」という思考に切り替わる。


 立ち上がろうと膝に手を乗せ、足に力を入れようとして、思いきり前へとつんのめる。

 きっと酷く頭を揺らされたせいだろう。訓練で良い一撃を食らった時と、力の入らない感覚が近かった。


 ならばと他に助けを求めて視線を動かす。

 そんなことをしている間にも、ヴァンダルムは再度腕を振り下ろし、思いきり獣を地面へと叩き落していた。


 辺りにはかろうじて息があることがわかるメアリーが倒れ、座り込んだヴィクトリアとシェリルしか見えない。

 鼻から血を流し、よく見ると血涙まで流しているヴィクトリアは、良く意識を保っていると褒めたくなるほどに明らかに「限界」といった様子だった。


 シェリルは先ほどから腕を伸ばして何かをしようとしているが、震えが酷く狙いも定まらないようだ。

 二人ともどれほどの無茶をしたのか、体内の魔力の流れがめちゃくちゃになっている。

 これじゃあ援護しようにも、魔法を使えば二人の方が先にぶっ倒れてしまう気がした。



 地面に落とした獣に対し、ヴァンダルムは地上三メートルほどの高さから踏みつけようと落ちていく。

 狼に蹴飛ばされ、大木にめり込んでいるの体をぱきぱきと取り外してから落下。

 その姿は痛々しいはずなのに、どこか冷淡な印象を受けた。


 獣はごろりと回転して身を翻し、流れるような動作で跳躍してその場を離れた。

 ヴァンダルムの踏みつけはそのまま地面に吸い込まれ、爆音とともに地面を巻き上げる。

 足はずるずると地面にめり込んで、溢れ出る魔力が土埃を吹き飛ばす。

 大地は大きくへこんでいた。



 ヴァンダルムの様子がおかしい。

 あいつの本気なんて見たことはないはずだが、それでもこんな荒々しく肉弾戦をするようなイメージは全く湧かない。


 表情に感情は見えない。

 見えないと感じるのに、歯が折れそうなほど食いしばり、目が燃え尽きそうなほどぎらついている。

 荒々しい激情を表現しているはずの彼の表情。

 文字にするととても劇的なのに、当時それを見ていた印象はどうしたものか、「無」でしかなかった。


 ただ目を逸らさないために目を血走らせ、ただ押し切られないように歯を食いしばる。

 眉を顰めたり、噛み締めた拍子に表情の筋肉が動いたりはしない。だからどこか無感情のような印象を受ける。


 それは戦士が敵を殺すと決めたから、ただ敵を殺すだけなのだというように。

 余計な感情など邪魔だと言っているように感じた。


 冷酷に笑みを浮かべるでも、冷静に何一つの挙動もしないのでもなく。

 指を折り、腹を破られかけ、それをちゃんと蓄積した上で彼は「無」であり続けた。


 それはどんな凶悪な殺人者を見るよりもグロテスクな光景だった。

 痛い、怖い、苦しい、すべてをそのまま一身に受け止めた上で彼は戦士となって敵を殺そうとしているのだ。

 

 俺より年下の、幼い少年が、だ。



 獣が彼に飛び掛かる。

 牙を剥き、地面に突き刺さった彼の腹を噛み切ってやろうという感じだ。


 それを見たヴァンダルムはそのまま後ろに倒れこんだ。

 そして飛び掛かった獣の牙を避け、倒れこむようにそのまま足を振り上げ獣の腹を勢いよく蹴り上げる。


 流石に勢いが足りないのか、獣が上空へ吹っ飛んだりはしなかった。

 けれどかくんと折れ曲がった獣は、向かってくる勢いを完全に殺され、数秒間彼の足の上で力なくうなだれている。


 獣はしかしすぐに力を入れなおすと、ヴァンダルムの足に手をかけてくるりとバク宙しながら距離をとった。


 ヴァンダルムは手から突風を生み出す。

 刃物のような風圧を織り込んだ突風だ。


 距離を取ろうとした狼は、そのまま腹に突風を受けて切り刻まれる。

 そのまま大きく吹き飛ばされて、地面を滑るように叩き落された。


 獣は悶える猶予もないとすぐさま立ち上がる。

 獣の息はあがっている。

 体を支える脚は、力が入らないのか大きく開いてつっかえ棒のように地面に刺している。


 ヴァンダルムはそれをじっと見る。

 彼の息はあがっていない。

 ただ大きく息を吸い込み、鼻からゆっくりと吐き出す。



 後ろから気配がした。

 がさがさと勢いよく木をかき分けて、ティムと模擬戦で戦った女教師が現れた。


 ティムは目の前に広がった「戦場」を見てはあんぐりと口を開け、それでも気を取り直して隣に語り掛ける。


「先生!!!援護を!!!先生!!!」


 体を揺らしても教師は反応しない。

 じっと戦場を見つめるのみである。


 ティムは放心した様子の大人に痺れを切らして戦場へと駆け出して行った。



 獣は雷を纏い続ける。

 そして荒い息を一息に吹き飛ばすと、今度は体のいたるところに風の渦を産み出した。


「……!」


 初めてヴァンダルムの表情に感情が見える。

 驚きと焦りに目を見開いた瞬間、獣は先程よりも一段と速くなって突っ込んできた。


 いや、「速く」なんてレベルじゃなかった。

 俺にはその動きは全く見えなかったのだから。


 ヴァンダルムは空気に溶けるように消えた獣が、自分の体に突き刺さる前に気付く。

 ギリギリ間に合わせた両腕をクロスさせて、なんとか獣の突撃を受け止める。


 受け止めて、そして咄嗟に前に重ねた右腕がひしゃげる。


「ああああああッ………!!!!!!!」


 痛みに対する絶叫か、それとも次の攻撃を産み出すための気合の雄たけびか。

 ヴァンダルムは絞り出すように喉を揺らすと、思いきり頭突きを繰り出した。


 体ごと前に倒れこむようにぶつけた頭は鈍い銀色に染まっていた。

 恐らく何か硬い金属なんかに変質させたのか、若しくはそれらを産み出して防具兼武器のように纏ったのだろう。

 しかしそれでも彼の頭からはだらりと血が流れていた。


 獣は再度地面に沈む。しかし今度は沈み込んで跳ねた拍子に消える。


「ガアアアアアアアアアア!!!!!!!」


 喉から血糊も怪我もすべて吐き出してしまうのではないか。

 獣の雄叫びは痛々しくも恐ろしくて、満身創痍なのに活力に満ちていた。


 体中に取り付けた風の渦をぼんぼんぼんと弾けさせ、獣はヴァンダルムの周りを高速軌道していた。

 ぼんと風の渦が弾けた瞬間だけ残像が見える。そのため獣はいくつにも分身したように見えた。


 あの風の渦は使用容量がある。使い切れば再度取り付けなければならない。

 そしてきっとこれが獣の最後の一撃なのだろう。

 出し惜しみをせずに、使い切って、出し切って、ヴァンダルムを殺すつもりだ。


 ヴァンダルムは歪になった右腕をだらりと下げる。

 かろうじて動かせる左腕を、かりかりと糸に引き上げられるような不自然な動きであげる。既に力は入らず、気力で上げているのだろう。


 もはや援護どうこう出来る状況じゃない。

 近寄ればぐるぐるとヴァンダルムを取り囲む残像の群れに轢き殺されるだろう。


 なんとか倒れこんだ俺達を追い越して、ようやく戦場へ辿り着いたティムも、それを感じ取って直前で足を止めた。


 殺し合いは既に最終局面。

 ちょっと魔法が出来るだけの子供に、何か為せるだけの隙間は、ここにはもう残されていなかった。

 

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