第36話 常識という曖昧な物差し@ばん
私がなにに怖がっていたのか。今ではハッキリと言葉にできる。
この世界と私との、どうしようもない『ズレ』。
合わない価値観は私の目に映る景色を「歪なもの」として認識させた。
人はどうしても「自分と形の違うもの」を「歪」に感じて、不快感や嫌悪感や恐怖や、そういった悪感情を齎す。
それはきっと人間の防衛本能が正常に働いた結果だろうから。後から理性で抑え込むことはしても、悪感情を覚えてしまうこと自体に罪悪感のようなものを持つ必要はないと、個人的には思うのだ。
身体の欠損、あるいは多すぎる体のパーツ。
あからさまに社会性が欠如した言動、あるいは年齢にそぐわない立ち振る舞い。
そんな自分とは「どこか」違う存在を恐れ、嫌悪感を抱く。
それを「酷いこと」と一口で片づけるのは、それこそ暴力的だと私は思うのだ。
違和感とは、自分と違うという「恐れ」は、決してハナから無視していいものではない。
何が違って、何が「怖い」のか。
それをハッキリと認識できて初めて、それを排除すべきか共存すべきかを決めるべきだと思うのだ。
違っても共存すべき、違うから排除すべき。
そんな風に頭から決めてかかって「違うもの」と相対することは、最初からその異物を理解するつもりも思い遣るつもりもそばに寄るつもりもないだろうと。
そんなどうしようもない傲慢さを感じてしまうのだ。
まあそんな「人道的」概念を馬鹿馬鹿しいくらいに語り合える、私の故郷のような環境は恵まれているのだろう。
この世界にそんな環境が整っているかと言えば、微妙なところではあるか。
ならばこの話は殆ど意味のないもの。
ただ、私の「信念」の話である。と、思ってくれればいいかもしれない。
*
この世界と私との明確なズレを感じたのは、きっかけはゼファー君だったんだろうか。
いや、この世界の子供達と言った方がいいかもしれない。
私自身少し忘れかけていたことだが、これは過去の話を大人が思い出して書いている。
だから文面で見ると大人と変わらないくらいしっかりした一角の人格と思えるかもしれない。
けれど実際主要な登場人物は全員年端もいかない子供だ。
この世界の子供達は当たり前のように殺し合いをする。
何を言っているんだと思われるかもしれない。
だけど彼らがしているのは私にしてみれば殺し合いと殆ど変わりない。
訓練で刃のついた剣を振り回し、人を一瞬で焼き殺せるような魔法を飛ばし合い、生物を狩る行為になんの躊躇いも覚えない。
それがこの世界の常識なのだろう。
戦乱の時代を近くに持って、子供も才能があれば将来の戦士なのだ。
ならば訓練は当然本格的なものになる。
だが、いくら魔法による治療によって命に関わる怪我、あるいは完治不可能なまでの怪我が限りなく少なくできるからと言って、学校の授業の延長で殺し合いをさせるのは、私の常識の中にはなかったものだ。
はじめはそれらを「そんなものか」と受け入れていた自分がいる。
だけど日々を重ねるうちに、段々とその歪さと違和感を強く感じるようになった。
自分より小さな人型の生物に、背中から剣を突き刺して、何の感慨もなくそれを抜き取って、死骸をべちゃりと振り落とす。
十歳前後の少女がそれをやるのだ。
本当に誰も何も感じないのか?そう問いかけたくなる。
それがこの世界の常識だから。これは異世界の話だから。
そうやって常識を物語の世界のものとすり替えていた。
だから学校の授業の歪さまでは何も考えずに流してきた。
だけどおかしいだろう。おかしいはずなんだ。
模擬戦を行った場所はどう見たって人と人とが命を取り合うためにある決闘場だ。
実際に名称も「決闘場」と呼ばれている。
そんなものが子供の教育現場にあるなんて、一体過去なにが起こったらそんなものを作ろうなんて思うんだ。
これはきっと私だけの常識だ。
この世界に住まうほとんどの人がそれになんの違和感も抱いていないのだろう。
だから怖いのだ。
人は自分と違うものに本能的に恐怖してしまう生き物なのだろう。
だから私はこんなに怖がりなんだろう。
*
目の前に現れた真っ白な狼は、その「異物感」を際立たせたようなものに感じた。
大きな狼という時点で私は恐怖の対象でしかない。
その時点で私は怖いのは間違いない。
けれど、今の私には大きな犬程度には負けない程の力がある。怪我をせずとも取り押さえられるほどの力だ。
なのに私が恐怖を覚えているのは、その狼がどこか歪なものとして感じられたからだった。
足がムカデの様についているわけでも、顔が人のように表情を変えるわけでも、幽霊のように半透明なわけでもない。
だけど、この狼は「なにか」が違う。
私の中にある常識からあからさまに逸脱している。
だから私は恐怖でしばらく固まってしまっていた。
その毛並みは野生に生きているとは思えないほど美しく、纏う雷は神々しい輝きとさえ思えた。
それでも、目を惹かれる感覚よりも、確かに感じてしまうのは恐怖だった。
思えば目の前で魔物を見るのは今日が初めての経験だった。
初めて間近で見たゴブリンは、それほど異物感もなかった。
この世界に生きる生物として、どこか自然なようにも感じられた。
しかしこの狼は違う。
これは野生で暮らす生物ではない。
そんななんの根拠もない寸感で、私は気持ち悪さをずっと感じていた。
*
狼は冒険者の腹を貫いた。
ぽっかりと人の背中から向こう側の景色が見える。
そんな非日常、異常事態を明確に表した景色。
それを眺めた私の脳は殆ど機能を停止してしまっていた。
視界の向こうでは吹き飛ばされた少年たちがいた。
年端もいかない少年少女が、突然現れた脅威になすすべなく蹂躙される。
それは私の故郷でも「交通事故」のような形で、あるいはどこかで起こった「戦争」のようなものに巻き込まれて、ありふれている話なのかもしれない。
けれどどうしても納得がいかなかった。どうしても目の前の光景が許せなった。
これはゲームでも物語でもない。
私にとってはどこまでもリアルな現実である。
その事実に気が付くまで、とてもとても長い時間をかけてしまった気がしている。
この話に登場する少年少女にとっては「勇気をだして脅威に立ち向かう冒険譚」だったのかもしれない。
けれど私にとってこれはただの「戦場に放り込まれた子供たちの話」でしかなかったのだから。
だから私は恐怖心を殺したかった。
目の前にいる「異物」に対するどうしようもない恐怖。
これを無視することは、けれどとてもじゃないが困難な話だった。
こちらに牙をむく大きな獣は、それに対処する術をたとえ自分が握っていたとしても恐ろしいものだ。
恐ろしくて当然のことだ。
ビビっていることを開き直っているわけじゃない。
恐いものは恐いんだよ。
少女が放った銃火器なんて目じゃない威力の魔法も、この世界にありふれているくらい腰に提げた刃物も、生物を殺すことに対する忌避感も、全部全部怖くて怖くて仕方ないんだ。
それがどうしようもない私の常識で、そんな怖がりが私なんだ。
前世で読んだ冒険譚のように、強大な力をもって強大な敵に立ち向かう。
そんなものに憧れを抱いて、自分もそんな主人公みたいになりたいだなんて、私には大それたことだったんだ。
だけど。その上で。
そんなわかりきった私の弱さなんて吹き飛ばして。目の前の悲劇は絶対に許容するわけにはいかないんだ。
だから私は主人公にならなくてはいけないんだ。
恐怖に立ち向かわなくてはいけないんだ。
殺さなくてはいけないんだ。
目の前の脅威を、恐怖を、敵を殺すんだ。
そこまでただただ震えるばかりの体は、もう自分の頭では動かせなかった。
だからかはわからないが、もう何も感じないし何も考えない。
少女の渾身の一撃を紙一重で躱した狼が、またも彼女に牙をむこうとしている。
それを見た私の体は、後は勝手に動いていたようだった。
殺さなきゃいけない。それだけを。
その覚悟を鞭のように振って。
当時の記憶は曖昧だが、そうやって私は狼に襲い掛かった。
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