第40話 過剰な「気遣い」は、時に「差別的」とさえ思えた

 私、シェリル・アンドレアは、その日この目で、新しい英雄の誕生を目撃した。


 彼が望むか否かに関わらず、これほどの大人の前で、その実力ある大人たちが攻めあぐねた狼の攻撃を躱し、敵を打倒してみせた。


 実際はこの一つの戦いを切り抜けたからと言って、それだけで彼が名を遺すなんてことはない。


 だが否応なく彼の名は広まっていく。それが事実だった。

 そのきっかけがこの事件だったことは、誰の目にも明らかだった。


 この話を聞いてくれた方々に一つだけ伝えたい。


 彼は勇ましく戦う戦士などではなく、その才能を誇示する目立ちたがり屋でもなく、正義を信仰する狂信者でもなく、当然のごとく弱者に手を差し伸べられる勇者でもない。


 彼は私たちと何も変わらない。ただの少年だった。


 ただその才能と運命に振り回され、結果的に英雄になってしまった少年。

 そしていざ困難を目の前にして、たとえひと時は迷ってもそれに立ち向かえる「気高き心」を持っている人物。


 だから彼は「英雄」なのだ。

 私たちと同じ目線で生き、私たちと同じように恐れ、それでも私たちの前へ立ち、戦う。


 だからこそ私は彼を尊敬し、そして一生背負うべき罪の意識を感じている。


 もし私があの時狼を退けられたなら。

 もし私があの時彼につっかからなかったら。

 もし私がはじめから彼と共に戦い助けを呼んでいたら。


 そのいくつもの「もしも」が叶うなら、彼は望まない道を歩まずに済んだかもしれないのだ。


 彼は決して戦いが好きなようには見えない。

 恐れがないようには見えない。


 それでも彼は今、高く打ちあがり地面に墜落した狼を見下ろす。


 勝ち誇るでもなく、虚しく思うでもなく、ただ危機から脱したい、仲間を守りたい一心でもがいた終幕。


 彼はぼろぼろな体を無理やり、ロープで引っ張り上げられるような動作で立ち上がった。


 油断はない。

 左手を座り込んだティムさんに向ける。

 するすると彼の足元に転がったナイフがヴァンダルムくんの左手に吸い込まれ、収まる。


「……!!!おい……!!待って……!俺のナイフ……!!何をする気だ……!」


 焦ったようにティムさんが声を上げる。

 その声はしばらく口を開けて呆けてしまっていたせいか、掠れていた。


 ヴァンダルムくんはふらつきながら狼に近寄る。

 ナイフを構え、とどめを刺そうというつもりらしい。


「ちょっと……!!まって……!!」


 ティムさんは慌てて立ち上がり、そのせいで躓きながらヴァンダルム君を止めようとする。

 今思えば、どうしたというのか。という当然の疑問がわくが、当時その様子を眺めるとどこか自然に感じた。

 それほどヴァンダルム君の表情は鬼気迫るもので、思わず止めようとしたくなる感覚も解らないでもない。


 だがとどめを刺すのは必要なことだろう。

 狼がまた暴れだしても、今度は冒険者たちがいるので大事にはならないかもしれない。


 けれどそもそも倒れた狼を見れば、明らかに出血が多すぎた。

 恐らく長くはないだろう。

 それならいっそ楽にしてやった方がいい。私にはそう思えた。


 ヴァンダルム君は既に、後はナイフを首筋に振り下ろすだけ。

 だけど何故か動きが止まっている。体が上手く動かないのだろうか。


 目を見開いて、構えていたナイフを胸元におろす。

 その手はわずかに震えていた。


 命を奪うことは、それほどの一大事なのだ。

 ましてやまだ二桁も生きていない少年が、倒れた獣にはっきりとトドメを刺す。

 それがどれほどのストレスか。


 狼は意識を取り戻してしまう。

 そしてじっとヴァンダルム君の瞳を見つめると、倒れたまま体に風を纏う。


 そして最後は木々の間を縫うように吹いた風と共に流れて消えていった。


 目を見開いたまま、手を震わせたまま、しばらくそのままヴァンダルム君はじっとしていた。


 周りもその姿を眺めることしかできなかった。

 その沈痛な様相は、私たちの気遣いの言葉すら抑え込んでしまう。

 本当はそんな感覚押し流して、早く彼に駆け寄ってあげなければいけなかったのに。


 ヴァンダルムくんはしばしそうしていると顔を上げる。

 その瞳は震えを抑えきれず、まるで彼の淀んだ感情を主張しているようだった。


 そうして振り返ると、大きく目を見開く。

 何かに気が付いたかのように。


 何事かと感じたが、直後には彼がそこから消えていた。


「おまえ……!!!!おまえのせいか……!!!」


 ぱん!!!という大きな音が聞こえそちらをふりむくと、ヴァンダルム君が女の先生の胸倉をつかんで詰め寄っていた。


「どうして……!!どうして!!!!!!」


 きっと顔見知りな上引率という立場にいたその先生が、ひたすら呆けて見ていただけなのが、少年の心をいたく傷付けたのだろう。


 どうして助けてくれなかったのか。


 その行動は脈略がないようで、実は当然と言っていいくらいに彼はずっと誰かに助けてほしかったのだろう。

 ならば出てくる言葉にも納得する。


 怖かったろう。

 心細かったろう。

 なのに私たちは何も助けてあげられなかった。


 それなのに「助けようともしなかった」という理由で怒った。

 本当は子供ならもっと理不尽でも許されるだろうに。

 「怖かったから」「一人で頑張るしかなかったから」「助けてほしかったから」そんな理由で周りにいる全員に怒ったっていいと、私は思ったのに。彼は闇雲に人を責めたりはしなかった。


 それでも最後の一線。

 心身ともに限界を迎えた状態で、少なくとも他よりは見知った大人がそこにいて、その大人は自分達生徒を助けるべき立場の人で。

 彼の心で剝がれかけた虚勢は、それでもなお虚勢と呼べるだけの体裁を保っていて、だからこんな形でしか大人に寄りかかれなかったのだろう。


 彼のその後の人生で、このような場面は何度も見ることになる。

 彼は気高くあり続けた。

 創造神アデミストゥラの与えた才能とそれに伴うように課せられる試練。

 その高い壁を乗り越えるたびに、彼は強くなり、そして弱さを隠した。


 命を奪うことへの苦悩、戦いへの恐怖、険しい道のりへと進む不安……。

 あらゆる「当たり前」にあってしかるべき「弱さ」を隠すことが上手くなっていく。


 私はその日、そして彼の気高い姿を見るたびに、自分の罪に向き合い、決意を強くした。


 私の罪は、彼の「当たり前」奪ってしまった、その責任の一端。誰かは気にしすぎだと言うけれど、それでも彼が独り何かを抱え込んでしまうたびに思うのだ。

 「彼が少しでも寄りかかれる肩が必要だ」と。


 呆けて何も返さない大人に、それでも喚き続けることでしか吐き出せない苦悩を、一人でも理解してあげる人が増えなければならないと。


 ならばそれは結果的に彼を追い詰めてしまった私が負うべき責務だ。

 助けられなかったという結果には変わらず、私はそんな自分を許せる日はこないからだ。そしてどうしようもなく弱ってぼろぼろの姿で途方に暮れる少年を、どうして放っておけるだろうか。



 女教師に掴みかかった左手は、小指が歪に曲がっている。

 きっと想像では足りない痛みを抱えている少年は、初めからその手に大した力を込められていなかった。


 ふっと明かりが消えるように頭が落ちる。

 かろうじて女の襟首に引っ掛かっていた左手もするりと抜け落ちる。

 少年はそして地面へと沈んでいった。


「ネヴァン!!人を呼んで来い!!!他は落ちてるガキどもの応急処置して移送!!!俺は今落ちた奴診たらすぐに連れてく!!!動け動け動け!!!!」


 はっと意識を取り戻したようにモロ兄が叫ぶ。

 指示を受けた冒険者達は即時に駆け出した。

 今まで呆けて結末を見ているしかなかったという様子だったのが嘘のようだった。



 その日、奇跡的に死傷者も、後遺症が残るような重傷者もでなかった。


 行方不明者が後に何名か判明したが、それはその日のことを恐れたのもあって学園自体を去ったのだろうということらしかった。


 あれほどの魔物の被害にあって、この程度で収まった幸運。

 それを成せたのは、誰が見ても(当時)ヴァンダルム・ヴァイザル・ヴァルバスの英雄的献身によるものだった。


 私たちは時間を稼ぐこともできずに一瞬で倒れた。

 健闘を讃えてくれる声もあったが、事実はほんの数分で全滅、それ以外の何物でもない。

 もし彼がいなければ大人を呼ぶことも、ましてや狼を撃退することなんてできなかっただろう。


 恐らくこれが彼の最初の英雄譚。

 この事件は当時街の新聞を少し賑わせた程度で、この本を読んでいるヴァンダルムファンの間でも、知らない人が多い話かもしれない。


 だからこれはあくまでプロローグ。

 それを私が言うのもおこがましいとは思う。

 しかし事実彼がその肩書を「英雄」と呼ばれるようになるお話は、この先書かれるものがメインとなるだろう。


 だからこそ私は読者諸君、ヴァンダルム君を敬愛する同志諸君に伝えたいことがある。


 彼は素晴らしい才能と気高き精神を持った英雄だ。


 だが本質は私たちと何も変わらない一人の人間だ。


 それだけは忘れないで欲しい。


 だからこそ尊いのだと。私は思うから。




――――――ヴァンダルム英雄伝説_彼と関わった者達が語る、本当にあった奇跡(仮)

       ――――――幼少期編。完。

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