第11話 ここから私の英雄伝説が開幕しちゃったりするやつ

 私、シェリル・アンドレアには大きな罪がある。


 子供ながらのかわいらしい失敗で終わらせてはいけない。戒めは、いつか死がふたりを分かつまで忘れはしない。


 彼の人生を大きく変えてしまったのは、間違いなく私である。

 


 放課後呼び出されるままに模擬戦を行っていた演習場で待つ。


 一応この演習場は申請すれば生徒のみでも使用可能だが、その日はたまたま「英霊降臨祭」だったので流石に他に人影はなかった。


 王都に居て「英雄降臨祭」を知らない人はいないが、この祭りの起源を知る者もいない。「我が国の英霊が天から里帰りに来るのを盛大に迎える日」とも、「勇者、英雄が異世界から召喚された日」とも言われている。


 ただこの日を楽しまない子供はいないし、なんならこの日に子供に仕事を与えたりすると、さすがに違法とまでは言わないが「常識のない卑しい大人」というレッテルが貼られる。村八分に近い軽蔑を受けることになる。


 この日はそれだけ王都民全員が一丸となって行う。理由もわからない祭りなのに不思議だが、最早染みついてしまった倫理感である。これにはどんな王侯貴族も抗えない。


 平民も当然そうだが、貴族の子だって例外なく城下街に繰り出したりパーティーを開いたり。従者や私兵騎士などをつけたりはするが、やることは大体同じだ。とにかく楽しく過ごす。大人はそれに付き合いつつも、自分もついでに楽しんだり、大きく稼いだり。


 多分英霊は子供が好きだったんだろう。



 私も当然その日は友達と街へ行こうと約束をしていた。授業も午前で終わり、祭り本番の午後になると学校には人の気配がなくなる。大体は友人と出店で昼食を買い食いしながら祭り本番を待っている。


 私は当時から着飾ることにさほど興味がなかったが、友達はみんなちょっとおしゃれでもしてから出かけたいと言うので「用を済ませたら合流する」と先に行ってもらった。



 祭りが本格的に始まる時間にはまだ早いし、なんならヴァンダルムくんとの約束ももう少し後。

 だけど、なんだか授業中に話した彼の少し辛そうな顔がなんだか忘れられなくて。私は何をするでもなく早めについて、演習場の丸い舞台をぼやっと眺めていた。


 

 「待たせましたか?」


 声変わり前の、しかしちょっとだけ男の子を感じられるハスキーな声が呼ぶ。


「別に。特にやることもないので。暇を持て余していただけです」


 少し険のある言い方になってしまったのは、ただ意固地になっていただけ。

 彼を悪者にしているのに、素直に返すのはなにか違う気がする。なんて、実際は身勝手な気恥ずかしさだった。


「……そうですか。では、約束を果たす前に、一つ。絶対に守ってほしいことがあります」


 彼はこちらを気遣ってか、珍しく少しうれしそうな笑みを浮かべた。その顔に、なんだか気恥ずかしさをつつかれた気分になって、少し黙って見つめてしまう。


「あの……お願いします。今日見せるものは……だれにも……言わないで欲しいんです……」


 沈黙を難色を示すように受け取ったのか、申し訳なさそうに、懇願するように彼は言った。


 思えば、いつも彼は傲慢な私に対しても謙虚な姿勢を崩さなかった。はじめはそれこそが彼の余裕で、彼の傲慢だと信じて疑わなかった。

 けれど……もしかしたら思い違いだったのかも。今の彼の切実な態度を見ると、さすがの私もそう思わされる。認めたくなかっただけで、今までだって彼はただ、なにかを必死に取り繕っていただけなのかもしれない。


 でもなにを?


「……わかりました。それであなたが本気を見せてくれるなら。私はそれをただ越えたいだけですから」


 なんとなしに抱いた罪悪感を誤魔化すように胸を張る。


「ありがとうございます……では……あの……引かないでください」


 不思議に感じる彼の発言に少し気を取られながら、ゆっくりと持ち上がる彼の右腕を目で追っていく。


 ガタッ!


 どこから引っ張ってきたのか、選択授業の説明時にも活躍した練習用の木人形が舞台の真ん中にあった。先ほどまで演習場のどこにもおいていなかったのにどこから持ってきたのだろう?


 魔術耐性、特に炎に耐性を高く持っている木人形。的にするにはうってつけだろうが、まさか受験の時に見せた火球をまた見せるつもりだろうか。そんなことをしたらさらに文句を言ってやる。


 もはや偉そうに文句を言いたいための理由が欲しいだけなんじゃないか。そう自分でも思ってしまうほど偉そうなことを考えていると、次第に彼の腕に変化が訪れた。


 あれ……?受験の時はあの隠密性や奇襲性に長けた魔力操作が売りだったはずだ。

 なのに今回はしっかり彼の魔力の流れが読み取れる。これじゃあなにも珍しいものじゃなくなっちゃうじゃない!



 私は考えもしなかった。考えないようにしていたのか、それとも私の未熟な頭や固定観念じゃそれに思い至ることなどそもそもあり得なかったのか。


 異常なまでの熟達した魔力操作。それを行える魔術師が、あえて深く魔力を練り上げたらどうなるか。

 もちろん隙のない速攻魔法がただ得意なだけなら、別に特別なことはなにも起こらなかったのかもしれない。

 けれど彼はその技術のすべてを「強大な魔法を行使する」ことにも使用することができた。


「たしか……こんな感じだったかな……?」


 木人形の頭上から、一筋の光が落ちる。それはやがて木人形を丸ごと包み込むように広がると、直径1メートルほどの炎の円柱となった。


「これ……私の……!?」


 彼が詠唱をした様子はなかった。無言呪文を行使するほどの時間もなく発動した。 

 そもそもこの超級魔術を頭の中で雑念なく詠唱し、さらには発動するための魔力操作を同時に行うなんて聞いたことがない。

 そんなこと、この学校の優秀な教師陣でもできる人がいるだろうか。つまり、これは……


「完全無詠唱……」


 さらに言うならば、通常詠唱をして発動した時よりもずっと早い発動。恐らく詠唱が早い熟練の魔術師が行ってもここまで早く発動させられないだろう。体感、その百分の一にもみたない速度だった。


「人形が……溶けてる……?」


 元々高い威力が売りの魔法ではあったが、それでもこの学校の備品である木人形の高い魔術抵抗を無視できるほどではない。

 この木人形は一つ一つが国家資格を持つ魔道具師が手作りで一月かけてやっと作れるような代物なのだ。普通は直撃しても精々一部が溶けて形を変える程度だろう。


 それが見る見るうちに溶けていく。頭。肩。胸部。私は唖然と見つめ続けるしかできなかった。


「ああっ……!?まずい……!!」


 なにかに気が付いて焦るように魔法を消す。普段冷静な彼がここまで焦る様を初めて見た。

 魔法はすでに止まっているのに、なにかを取り戻そうとあわあわと手を泳がせている。少し滑稽な仕草を見せて、それを見ても私は先ほどの衝撃から立ち直れずにいた。

 普段ならクスリともしただろうが、今では額縁の向こうに見えている景色のような「遠さ」を感じていた。


「ああ……学校の備品なのにこんな……ああ……どうしよう……」


 本当に困ったように、手を地竜みたく胸の前でぱたぱたさせる。そんなことをしてもなんの意味もないし火傷するだけだが、まるでそこまでしか腕が伸びないかのように木人形を助けようとして手を伸ばし躊躇してを繰り返している。


 すでに腰の部分まで溶けてなくなった木人形は、かろうじて脚だけつながっている。

 それも彼がぱたぱたとしているうちに「ぎぎぎ……」と軋みながら二つに分かれていった。


 どれだけ時間がたっただろう。彼が必死になって残骸をどこに隠そうかと右往左往しているのを、私はじっと眺めているだけ。

 ならいっそすべて溶かしてしまえばいいのに。とは思ったが、それを口に出す程度の余裕が、どうしても出てこなかった。


 想像以上だった。彼の「真面目」な魔法。決して「本気」ではないのだろう。


 この光景を見た後では目を背けられない事実。受験の時の魔法は「隠密性を高めるように意識して放たれた魔法」などではなかった。

 ただ彼が「無意識のうちに発動した魔法がああなってしまうほどの高い魔力操作能力」をもった人間であった。ただそれだけのことだったのだ。


 本物の天才。もしかしたらV教授を超えるほどの才能。それを目の当たりにした私に訪れた、恐らく最初の感覚は「恐怖」だった。


 こんなこと口には決して出せない。けれどまぎれもなく私は恐れてしまった。本能が理解より先に、感動よりも先に、手先の震えとして現れ主張する。


 そこで思い出す。彼の「引かないで」という懇願。想起と共に理解した彼の懸念とそれに対する恐怖心。


 きっと彼はこれを考えなしに披露した後の他者の視線を恐れている。恐がられることを何よりも怖がっている。


 それを、彼の恐れた未来を、私自身が証明してしまった。


 いとも簡単に私の、いや、大多数の魔術師にとっても最も難しいと呼ぶような魔法を容易く模倣してしまう彼の実力。そしてこれが若干九歳の少年が行ったことであるという異常感。その言葉では形容しがたい異物感が、どうしても人の本能を逆撫でしてしまうということ。


 ああ。だからか。だから彼は頑なに実力を誤魔化し、申し訳なさそうな顔で私をあしらってきたのか。


 気づけば私は羞恥と猛省と申し訳なさで溢れかえっていた。ああ。私はいつも正しいことを言っているつもりになって、どれほど彼を傷つけてきたのだろう。



 「『正論』は免罪符じゃない」。以前彼にそう言われてハッとしたことがある。


 一見正しいことを言っていたとしても、それは一部の角度からしかものを見られていない物言いかもしれない。もし正しい行いだけでは救えないものがそこにあったとき、徒に相手を傷つけるだけかもしれない。


 「正しさ」はだれかを傷つけないように、自分を律するために大切にするものであってほしい。「正しさ」武器に相手を殴りつけようとすることがしたいならば、そこに「正しさ」はあっても、「優しさ」も「誠実さ」もない。


 今ではそんな彼の言葉を胸に刻んで、自分を律するように努めている。



 その時の私には、たとえそこに「正しさ」があったとしても、きっとそれは刃物と変わらなかっただろう。


 相手に自分の意見を押し通すための正しさ。相手の粗をつついて、自分の弱さを誤魔化すために相手を下げる行い。そんなずるい「正しさ」。


 別に彼は間違ったことを言ったり、悪いことをしているわけでもない。それなのに私はずっと彼を「攻撃」し続けた。

 なにを得意げに正しさを押し付けようとして。そんなもの、一方的な「正しさ」に過ぎないというのに。



 備品を壊してあわあわと。年相応に慌てふためく彼を見て、私は憑き物が落ちたように、体の中に染み込んだ墨が地面に抜けていくように、なんだか違う生き物に生まれ変わったような心地がした。


 罪悪感で満たされて、とてもじゃないがよい心地とは言い難かったが、それでもどこかスッキリと良い変化を与えてくれたと感じられた。


「あの……今まで……ごめんなさい。あなたの事情も考えず、私、勝手な人間だった」


 声をかけるとびくっと震えて少しおかしかったが、私が謝罪しようとしているのがわかるとすぐに真剣に聞く姿勢をみせた。

 やっぱり、彼はいつだって誠実だった。


「あなたはきっと、すごい魔法使いになる。今だってすごいけど、もっと。でもそれは、別にすぐにじゃなくていいものね。

 もっと心も体も大人になって、周りが認めざるをえないほど偉大な魔法使いになれば、きっとあなたの不安だって気にならなくなる」


 そんなこと、偉そうに言える立場じゃない。

 けれど、自分より少し年下の男の子に、ただ漠然とした不安と恐怖におびえていた幼い少年に、少しでもそれを取り除ける勇気をあげられたら。そんな感傷が、自然と私の口を動かし続けた。


「私がこんなこと、言ってはいけないとわかってるの。

 でも、あなたが恐れていることを、少しでもなくしてあげたいの。

 過去になにがあったかはわからないし聞かない。言わなくていい。

 でも、一つだけ言えるなら、『あなたは何も悪くない』から」


 彼は平素の無表情に戻り、それでもどこか真剣に聞いてくれているようで。

 不安げに抱えた木人形の残骸をぎゅっと抱きしめている。


「これからは、私はあなたの味方になる。力になりたいの。

 ……私みたいな自分勝手な人間、信用ならないとは思うけど、けれど味方はいるから。だから、いつか不安になる時が来たら、それを思い出して欲しい」


 そこまで言って、当たり前に恥ずかしさがあふれてきて、最後にまくしたてるようにしてその場を去ることにした。


「本当に申し訳ないことをしたわ。謝罪の気持ちとして今後はなんでもいつでも頼ってくれたらうれしいから!そういうことだから!人も待たせているから、申し訳ないけれど私は先に行くわね!!」


 いつの間にか身分の上の子息に敬語が外れていることに気が付いて焦りながらも、それよりもこの恥ずかしさを誤魔化したいから小走りでその場を離れた。


 いつもどこか余裕があって、影があるけれど少し大人びて感じる。そんな少年の年相応な不安や恐怖や、そんな姿を見て、どこか心が近づけた気がして。



 このまま何もなければ、彼はもしかしたら普通の人生を歩んで、彼の心を苛む波風も、こんなにも理不尽に襲い掛かることはなかったかもしれない。


 けれどそうはならなかった。彼の人生は、間違いなくここで否応なく変わっていくことになる。


 ……それは間違いなく愚かな私の行いのせい。

 彼はきっと私に対して思うところは何もないというだろうけれど。自意識過剰だと言われてもこれは私の罪だと思い続ける。


 間違いなくその日を境に、年相応の少年は、そのままただの少年ではいられなくなった。

 

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