第27話 「恐怖」は時として人に「勇気」という残虐性を齎す@ばん
怖い。
怖い。
怖い。
私は「怖い」に縛られていた。
胸を張って「友達」と言える唯一の人。
彼はいつも純朴で。彼はいつも優しくて。彼はいつも、柔らかい笑顔を浮かべていた。
その笑顔はそのままに、けれどその笑顔を私は知らない。
彼は言っていた。
「魔法は好きだし、目標もあるけれど、戦いは苦手」だって。
彼は嘆いていた。
「魔法学校はどうしたって『軍事』とは切っても切れない関係なんだ。魔法は戦争によって大きく発展してきた歴史があるし、魔法はこれからも『=武力』であって魔法使いは『兵力』として期待される。それはこの学園も例外じゃない。学園のいたるところに『戦え』っていう『期待』が込められている」
「魔法」がただただ「暴力」として扱われることに、きっと彼は誰よりも虚しいものを覚えていたんだ。
そうに違いないのに。
*
ゼファー君は「獰猛」と形容されるべき笑みを浮かべて戦っている。
体にイカヅチを纏わせて、見たことのない動きで、「敵」を翻弄する。
「裏切られた」とは思わなかった。
それを、今日の体調に合わせるようなぼーっとした目線で、私はただそれを見ていた。
ぼやけた思考の中身は、ひたすらに「怖い」という感覚。
「恐怖」を考えているでもない。感じているでもない。
例えばどこか通りを歩いて食堂の前を通りかかり、意識せずとも嗅覚を刺激されるように。
例えば肌寒さに身を縮ませて、無意識に擦り合わせた両手がほんのりと温まるように。
私はただ全身に「怖い」という感覚をもって、それをぼうっと眺めていた。
だから本当は何に対して「怖い」という感覚でいたのか、今でもはっきりとはわからないんだ。
*
バチバチと手持ち花火のような火花を着て、立派に「戦い」をしている友達。
それに敬意すら感じている。感じようとしている。いや、ちゃんと尊敬している。
興奮した空気。緊迫した舞台。その間で私は独り、生暖かく感じる空間にいた気がする。
きっと私一人、この場でたった一人が「おかしい」のだろう。
*
この「舞台」はそろそろ終焉を迎えるのだろう。
私は観客席で独り、少年が最後の力を振り絞って「敵」の背後を取ったシーンを眺める。
敵の術に翻弄され、目をまわしながら、それでも見事な体さばきでくるくる回る。
きゅるきゅると音をたて、ぱんと勢いよく飛び、小さな体をめいっぱい広げる。
なんだかおかしく感じる動きだった。
見事な動きだと感心していたのは間違いないのに、なぜだか違和感を覚えていた。
それはちいさな少年の動きじゃないように思えた。
「大人びて見えるほど凄い」と言えばそれも間違っていないが、そういったことじゃない。
それまでの彼もそうだ。なんだか「自分の手足の長さを間違って覚えている」ような。「違う誰かが手の届く距離で戦っている」ような。そんな違和感だった。
ばちんと弾けて瞬時に移動する雷の魔法。彼はこれを使うと必ず敵の後ろへ通り過ぎていく。
後ろを取ったと言えばそうなのだけれど、結局彼はせっかく後ろを取ったとて即座に次の攻撃に移れていない。それでは意味がないのではないか。
まだ新しい魔法、戦法に慣れていない。それはそうなのかもしれない。
けれど私にはなぜだか「これが正しい用法である」ように思えた。
正しく動けているのに彼はどうしてか手が届かない位置にいつもいる。
動きは正しいけれど彼自身が正しくない。そんな風に感じた。
構え?身体能力?成長速度?何が足りないのか私にはわからないが、何かが足りないことだけはわかった。
今だってそう。風に乗って綺麗に相手の後ろを取ったのに、ここで攻撃を繰り出せば勝利は見えていたはずなのに、彼の最後の一撃は届かない。
ゼファー君はどこを見ているのだろう。私の友人は何を目指しているのだろう。
あれだけ親しく想っていた少年は、今となっては私と全く違う「知らない世界」を見ている人。きっとその視線の先はずっと――――――遠い。
*
「お前は、本当は戦うのなんて嫌いだったはずだろう」
敵の声がした。何かにおびえているように震えた声だった。
「こんなところで、こんな力をひけらかして、それがお前の『やりたかったこと』だったのか?」
敵の声はとても小さく、喧噪どころか空気の流れで消えてしまいそうだった。
「お前はなんでそんな笑顔でいられるんだ。どうしてそんな。言い訳をするような笑顔で取り繕っているんだ……!」
ずっと震えている少年。その震えの原因は、きっと怒りなんかじゃない。
「お前は……いつもいつもそうやって……!!!」
それは私と同じ。『怖い』という感覚に侵された人間の、慟哭。
少年はナイフを構える。何かにおびえるまま。何かを断ち切ろうとするかのように。そのナイフを叩きつける。自分が何をしているのか、何をしようとしているのか、途端にわからなくなってしまったかのように。
頭が冷える。思考が研がれる。
私はとりあえず思考のクロック数を上げた。
この表現はきっと正しくないのだろうけれど、私は便宜上そう表現している。
かち……かち……かち…かち…かち…かち、かち、かち、かち、かちかちかちかちカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ……
「頭の回転が速くなれば、きっと世界はゆっくり動く」
そんな適当な感覚で、私は高速に思考する。
そうすればほら……視界に映るすべてがゆっくり動いている。
時間が止まったわけじゃない。ただ私が世界の何千倍も早く考えているだけ。
それだけでいい。だって世界よりも早く考えられたら、世界よりも速く魔法が使える。
引き延ばした思考の世界で、私は魔法を思い浮かべる。
産み出すのはまず、「通り道」。自分が進むルートを決める。
当時よりもっと幼いころ、「瞬間移動」に憧れた。
でもそれはちょっとイメージだけじゃ難しそうだったので、「超高速移動」で妥協した。
「気が付いたら後ろにいる」。そんな漫画で見たようなことを実際にやってみたくて。
でも「気が付いたら」ってことは音をたててしまっては台無しだ。無音で、それでいて一瞬で移動する。それが叶わないと夢も叶わない。
だから私はまず「真空の通り道」を編み出した。物体が高速で動けば、空気にぶつかってきっとすごい音と衝撃を生み出してしまう。理屈はよくわからないけれど「ソニックブーム」ってやつだ。
そして「宇宙では音が伝わらない」らしいと聞いたことがある。音を伝えるはずの空気がないからだ。そうして産み出した魔法が「真空の通り道」である。
厳密には「真空」ではなく「真空っぽいもの」らしい。私たちの常識でもよくわからないものだそうだ。でもなんだっていい。思い通りに事が運べばそれでいい。
今はその「通り道」をゼファー君の前へ繋げる。そして体に膜を纏わせる。これもなんだかよくわからない。空気みたいな、でも少し粘り気があるような。そんな膜を纏う。
その膜を「通り道」のガイドラインに沿わせて、滑らせるように進む。リニアみたいなイメージで。ただし速度は人に知覚できるか怪しいほどに速く。
「なんちゃって瞬間移動」は高速の思考とゆっくりな世界で順調に構築を完了する。
私は少年の間に立ち、ゆっくりこちらに向かってくるナイフの柄を、ゆっくりと手を伸ばして正確につかみ取る。
引き延ばされた時間の中、私はじわじわと怒りを貯めていた。
いくらなんでも危ないじゃないか。大怪我じゃ済まないところだぞ。
そもそもナイフの軌道はゼファー君を貫くようなものじゃなかった。
遠いところから眺めている限りではわかりづらかったが、掴む途中で「当たっても少し傷をつける程度」のギリギリの位置に向かっていることに気が付いた。
それでもむかっとすることには変わりない。
私はゆっくりとした世界でゆっくりと時間を元に戻す。
……カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチかちかちかちかち
やりすぎると今度は世界の方が早くなってしまう。だから慎重に。
かち、かち、かち、かち、かち…かち…かち…かち……かち……
世界に戻ってきた。
「どういうつもりだ…………!!!!!!」
私は怒りをあらわにする。友人を不必要に傷つけられようとした。それだけで一瞬で沸騰した。
「試合は……勝負は既についていただろう……!!!!」
たとえ結果的にナイフの軌道はそれていたとしても、それでも本気で心配した。
投げやりになった彼が、ゼファー君をどうしてしまおうとしたのか。問い詰めないと気が済まなかった。
ゆっくりとした世界の中、高速で動き回る思考の中、世界を慎重に元に戻した。そのインターバルは、確かな怒りの中に少しの冷静さを取り戻させた。
少年を見る。名前もよく知らない少年を見る。けれどどうしようもないシンパシーをぶつけられる少年を。
睨みつけたつもりでいた。私は怒っていた。けれど唇を噛んで耐えているような顔をした少年には、それ以上「痛み」を与える必要はないと感じた。
「君とゼファー君の間に、何があったのかは、知らない」
少年は初めてこちらの瞳を覗き返した。
「けれど、私はゼファー君と友達だ。友達が傷つけられることを、私は平常心で眺めているだけなんて、できない」
一層苦しそうな顔を深くする。罪悪感に似た感情が、お腹の底から染み出てくる。
「僕は……俺は……!……ただ、あいつがムカついた。……ただ、それだけです。やりすぎだった、とは、思います」
一瞬感情の発露を我慢しきれなかった様子で、しかし少年はそれを内側に仕舞いこんでしまった。
私とは顔見知りですらない。きっとそれが、彼の転機を邪魔してしまった。
「なにをそんなに怖がっているんだ……?」
俯く彼に、思わず零した言葉。少年ははっとしたようにこちらを見返すと、悔しそうに顔を歪めた。
彼はそれ以上何も言わなかった。私は、彼に何かしてあげられたのではないか。そんな考えが浮かぶほど、去っていく少年の後姿を儚く感じた。
その後、ゼファー君は思ったより元気だった。
きっとゼファー君と少年の間には何某かの絆があって、それを思って内心では苦しんでいるのかもしれない。
けれど彼はなんでもないように話す。だから私もなんでもないように彼を見る。
心配かけまいと虚勢を張っているのか、空気を和らげようと気遣っているのか。なんでもいい。彼が優しくて、いつもどおりで、そういった自分を演出するなら私もそれに倣うだけだった。
「怖い」という感覚なんてなかったかのように。壮絶な「戦い」なんてなかったかのように。「知らない景色」なんて見なかったかのように。「きっと傷ついてしまった絆」なんて、なんでもないかのように。
なんでもないように渡してきたプレゼントは、二人でお揃いだったから。だから私とたった一人の友達との間には確かな絆があるんだ。だから二人はこれからも大丈夫なんだ。
そうして笑いあう。それが普通の少年同士の友情。なんてことはない日常の一ページでしかないのだから。
「普通の少年」ではない私は、何故か当然のように普通であれと、普通であっていいと、そういう風に、笑っていた。
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