第20話 バチバチ4

 その姿は白い狼。

 元はつるつると少し光沢のある人形だったが、今ではふさふさと触りたくなるような真っ白な毛皮に覆われている。


 さっきは単純な「変身」魔法ならばさも簡単であるかのように話していた。確かに「変身術」に比べたらそうだろう。

 しかし、毛の一本一本の柔らかさまで見事に再現されてしまうと、「果たしてこれを行える魔法使いはどれほどいるだろう」と、―――なんだか彼女に対しては何度も繰り返しているような気がするが―――そう感じてしまう。ましてこのクオリティを話しながら、この短時間でと考えると、「どうしてここまでの使い手を俺達は知らずにいられたのか」とまで思ってしまう。


 というか、ここまでやる必要なんてない。ただの訓練に毛並みの感触まで見て取れるほどの再現性はいらない。彼女が凝り性なのか、はたまた何も考えていないのか。



 少し呆けていた俺は、その狼がぐるぐると唸りだす迫力に目が覚める。


「構え直せ!」


 急いで仲間に声をかけると、自分も両手に逆手で持った双剣を顎を守るように構えを整える。

 狼で一番怖い攻撃方法は噛みつきだろう。その場合首は一番狙われたらマズイ。


「全員の行動準備を確認しました!取り合えず作戦通り様子を見ます!」


 後方からシェリルの返しが聞こえる。予定調和、ルーティーン。想定通り計画通りの動きが、今のところスムーズに出来ている。


 実際の森で行う戦闘では、相手が野生の生き物なら戦力差を察してそのまま逃げてくれる場合がある。

 今回の目的は戦闘自体にはないのだから、避けられるようならばそうしたい。なので一旦は必ず様子見をする。これは訓練なのだから尚更、想定通り動くことに意味があるだろう。


 一応例外や緊急事態もあると考えて、まず始めは前衛の戦闘に一番慣れた二人が声をかける。ここで大体の方針を示して、それを受けたシェリルが全体を把握し、細かく指示だしや調整を行うことになっている。


「戦闘意思を確認!前衛がひとあてする!距離が取れた場合攻撃!基本は移動阻害!まずは牽制魔法!当てなくていい!」


 ボズマーが新たに方針を示す。恐らく先ほどのゴブリンもどきよりも高速で動くことを見越して、魔法攻撃は一旦見送ることにしたのだろう。


「火球」


 山なりに前衛を超えて狼へと火の玉が飛んでいく。前に出て巻き込まれても、下手に移動して狼の動きに対応しきれなくなってもよくない。前衛はいつでも動けるように待機だ。


「水刃!すみません遅れましたわ!」


 今度は両サイドから弧を描くように水の刃がくるくると回転しながら進む。

 いつも淡々と行動するヴィクトリアにしては珍しく、少し「のまれていた」ようだった。


 狼はそれを確認してからゆっくりとこちらへ歩き出し、徐々にその足を速めていく。当然魔法は狼の後ろへと着弾し、命中することはない。


「来るぞ!」


 狼はその足をじわじわと加速させていく。こちらの遠距離攻撃手段の速度を見極め、それを避けられるであろう速度まで加速。しかしトップスピードまでは加速せず、いつでもステップで身を翻せるような足運び。


 いくらなんでも対人戦闘に慣れた狼を想定しすぎではないか。こちらへの警戒を緩めずに距離を詰めてくる姿は、狼というよりも獣戦士や人に訓練された軍用獣のそれに見える。


 ちなみに今日のボズマーは会議に出た話通りにいつもより大きめな盾に持ち替えている。騎乗用よりかは少し小さなカイトシールドに、剣はいつも腰に提げているブロードソードだ。

 持ち慣れていないというほど訓練不足だとは言わないが、先ほどの戦闘からいつもの足運びが上手くできていないように見える。


 つまり普段より大きな装備で身軽さを損なってしまっているのだ。


「グググルゥゥゥゥ……」


 狼から威嚇音が響いて近づく。鳴き声まで再現する必要なんてあるのか。


 しかし慣れない対獣戦闘、その威嚇音はいつもより前衛の緊張を誘い、普段以上に関節が強張る感覚がする。


 マズイ。そう気が付いた時には遅かった。

 まっすぐに進んでくる様子にまんまと乗せられて前衛二人は狼の進行方向に対し、垂直線のように殆ど横並びで固まった位置取りをしてしまっていた。


 狼は俺達を嘲笑うかのように右手ボズマー側をさらに迂回するように勢いよく跳ねた。さも当然のような急加速。やはりこちらの様子を伺いつつかなり速度を抑えていたようだ。これも恐らくトップスピードではないだろうが、それでも向かってきた倍の速さで飛んでいく。


「ボズマー!!!!」


 思わず声を上げたが、わかっている。奴の狙いはボズマーじゃない。ボズマーが動き辛くしている様子を察知し、すり抜けて厄介な遠距離攻撃を先に潰そうという魂胆だろう。


「やられた!!!」


 ボズマーも気が付いていただろう。それでもなすすべなく狼を見送るしかない。冷静な判断が足りていなかった。狼がこちらに来る迫力に押されて、考えることを半ば放り出していたようにも思う。


 考えればいくら見てからでも簡単に避けられるからといって、自分にはない「遠距離攻撃の手段」が相手にあるのは大きなディスアドバンテージだ。少し頭が使えれば、明らかに今邪魔で、後に厄介になるのはどちらかわかるだろう。


 見た目は獣だしそれを模倣するように動くとはいえ、操っているのは魔法学園の講師だ。ならば頭脳も当然人並かそれ以上。

 あまりのリアルな造形に俺たちは相手が本物の獣で、その程度の知能だと思い込んでいたようだ。


 いや、獣だって賢い個体もいる。いくら言い訳を並べていても俺たちが「雰囲気にのまれていた」という事実は認めざるを得ない。


「まっかせてー!!!」


 嬉しそうにメアリーが大剣を掲げるのが横目に見える。


「違う!それじゃダメだ!!!」


 ボズマーの声が届くより前にメアリーは剣を振り下ろす。その剣速は少女とは思えないほどに速い。剣の重量を感じさせない太刀筋と、大剣の重さを利用した威力。その二つがしっかりと備わって、急な出番とは思えないほどに、剣は美しい軌跡を描く。


 その軌跡は高速で向かってくる狼の首筋が、綺麗に収まるタイミングで収束する。

 しかし相手は投げられたボールではなく、考えて動く生き物だ。


 狼は未だ最高速など出しておらず、その軌跡を認めるとさらに速度を上げる。転がり込む勢いでメアリーの懐に飛び込むと、「その程度に毛ほども身の危険を感じない」と言わんばかりにさっさと剣の軌跡を抜けていく。

 予想通過地点そのままに、つまり剣が振り下ろされているまさにその真下を、ただ速度を上げて避けていく様に意地の悪さを感じる。


「あ、あれ?」


 空を切った大剣に少し体が引っ張られたようにメアリーは態勢を崩す。これではすぐに狼を追いかけることも難しい。


「やばいやばいやばい!後衛!!牽制しつつ速後退!耐えろ!」


 そんな暇はないのに口から感嘆符が漏れ出てくる。続いて出てくる言葉も、これじゃあ指示じゃなくて無茶だ。


「あらあらあら?!結構まずい感じですの!?」


 別に呆けていたわけじゃないだろうが、ヴィクトリアは展開の早さに頭が追い付かいようだ。慌てて足だけでも後ろを向くが、当然それじゃあ狼からは逃げられない。なんでもいいから魔法を出して牽制する、といったことを意識する余裕もないようだ。


「火球!火球!火球!」


 一方最後衛でまだ距離的にも余裕のあるシェリルはひたすらに火の玉を投げつける。しかしその魔法では速度が出ずに簡単に避けられてしまう。


 狼は大きく軌道を変えずにスルスルと避けていく。ジグザグ走りとも言えないほぼ直線コース。魔法は大した牽制にもならず、狼の速度も落ちない。


 狼はまず背中を見せ隙だらけなヴィクトリアから狙うつもりらしい。ほぼ一直線に彼女へと向かい、その距離が近づくにつれ歯を剥き牙を大きく見せる。


 まるで「これからこの牙でお前を嚙み砕くぞ」と言わんばかりの仕草に、いつもは気の強いヴィクトリアも涙目になっている。必死に転身して追いかけている俺とボズマーもそれを見て泣きそうだ。


 やらかしたやらかした!調子に乗って痛い目を、しかも慣れていない後衛の女子が犠牲に!!もはや頭の中はそれだけでいっぱいになって、必死に追いすがって風魔法で加速までしているのに、既に心の奥は諦め一色に染まっていた。


 ボズマーが少し後ろで盾を投げ捨てた音がする。いや誤差だ。この距離ではボズマーもこれ以上詰められない。風魔法を纏った俺が……間に合うわけない!メアリーが態勢を持ち直して駆け始める。まだ俺の方が速い!ダメだ!ダメだ!どうしようもない!!!


「スケートリンク」


 知らない単語だ。



ギリギリギリギリ……



 地面が引き攣ったように歪な音を上げる。キラキラと光が反射する何かが舞っている。感じる冷気。これは――――――氷雪系魔法か!!!


 ヴィクトリアの後方から一直線に伸びる氷の絨毯。幅は大人の男が二人横になるくらいはある。蛇行して進んでいた狼も、その最小限の動きが災いして氷に足を取られる。


 恐らく既にとどめとばかりに最高速に乗りかけていたのだろう。強く踏みしめようといったタイミングで急に地面が滑る氷に変わり、流石の獣も踏ん張りがきかずにバランスを崩す。


 流石に転ぶまではいかないにしてもかなり大きく態勢を崩せた。これなら持ち直してヴィクトリアに辿り着くまでになんとか俺も間に合うかもしれない。


 なんだ!火炎魔法以外もこんなにうまいのか!!―――思わず右の口角があがる。


 このチャンス逃がせない!―――俺は冷静さを少し取り戻すと、両足の風魔法を掛けなおして更に速度を上げる。


「炎上、幕」


 ヴァンダルムは更にぽつぽつと単語を零す。氷の絨毯を敷くために地面に付けていた手を、地の底から何かを引っ張り上げるようにして持ち上げる。

 すると舞台を二分するように大きな炎のカーテンが噴き出す。ヴィクトリアと狼の間を断絶する炎の幕は、速度を失った狼が再突撃を躊躇するには十分なものだった。


 ヴィクトリアが後退するにつれ、ヴァンダルムの位置は入れ替わり狼の後ろを取っている。つまり彼と狼を遮る幕はない。というかあいつは狼のほぼ真後ろにいた。当然狼は狙いをヴァンダルムに変えて態勢を整える。


 氷の地面を抜けだし、さらに足を踏みしめ、苛立ちをぶつける様にいきなり最高速に近い跳躍。


 高速でまっすぐヴァンダルムに飛びつく狼。息をつく間もなく到達するだろうその勢い。しかし今度は狼は空中。方向転換などできない。


「こw……水流」


 両手を勢いよく前に出すと、その勢いのまま水が噴き出る。殺傷力などないが、その勢いは狼を押し戻すには十分だった。


 水刃とかの殺傷力のある魔法よりも簡単な分、出が速い。引き付けて押し流すなら安定した選択だった。

 無詠唱で咄嗟に発動したからか、魔法の申告を少し「噛んで」しまっているのはご愛嬌だろう。むしろこの状況で律儀に「約束事」を守っているところに、彼の冷静な様が際立って見える。


 狼はめげずにヴァンダルムを狙う。押し流されるまま元の氷の絨毯まで飛ばされていくが、更に態勢を立て直す。

 氷をうざったそうにしながら、それでもヴァンダルムから視線を逸らさないのは、警戒故か、それとも恨みのような感情か。


「いいの?もう間に合うよ?」


 ヴァンダルムが掛けた声を無視して再度突撃をしようと踏みしめる。そして跳躍。

 恐らく一度氷から抜け出そうという程度のもの。しかしそこそこの幅がある氷の絨毯はそれなりの勢いがないと越えられない。


「ウルゥゥゥゥゥラアアアアアアアア!!!!!!」


 雄たけびを上げながら狼が飛び出すその横っ腹目掛けて突っ込んだ。今度は流石の狼も、空中では急加速も急旋回もできない。


 予測通りの位置に飛び出した狼は、双剣に深い切創を刻まれながら炎の幕に吹っ飛んでいく。


「怖かったのでちょっと強めのお返しですわ」


 幕の向こうから静かに怒ったような声が聞こえる。

 狼は地面から勢いよく伸びる氷柱に空を飛んだまま貫かれたようだ。幕の上まで伸びた氷柱が見え、ぐったりとした毛皮が上の方に刺さっていた。

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