第52話 或る記者の遺書

 なんだ……?


 なんだこれは……?


 私は一体、何を見せられている……?


 ヴァルバス氏は項垂れたまま、失意のまま、引き摺られる様にフレードルに誘われる。


 その先、更に秘密めいた研究室。

 透明な入れ物に、謎の液体と共に様々な生物が詰め込まれている。

 そんな常人には理解し難い趣味としか言えない様な景色が、私の背筋をぞくりと震わせて全身が強張っていく。


 私が今居る、この視界の端にある扉。

 その先にあの光景は、今も広がっているのだろうか。


 深く考えてはいけない。

 深く考えなくてはいけない。

 そんな相反する、しかし正しくどちらも私の防衛本能。

 それらが私の心臓を強く叩く度、自分の正気が[がりがり]と削られていっている感覚がした。


 映像の中の少年はそんな空間にあり、なんの感情も見せずに黙々とフレードルの説明を聞く。


 恐ろしくはないのだろうか?

 それとも、感情を無くしてしまうほどに彼は失意の底にあるということだろうか?


 その魔法の説明を、危機感と記者としての愚かな好奇心とで揺れ動きながら、私も聞き流していた。


 そんな中、聞き逃さない話が進んでいく。


 死の魔法……?

 必ず、死ぬ……?

 防ぐ術がない……?


 様々な取材を繰り返すうちに、詳しくないまでも雑学的に知識は浅く増えていった。

 そんな私の矮小な知見が、それでも『そんな魔法は有り得ない』と騒いでいた。


 有り得ないし、有り得てはいけないのだ。

 どんな強者でも、どれほど努力をして得た能力も、全て『くだらない』と吐き捨てる様に殺される。


 魔道具のスイッチを入れる様に、あんな言葉一単語、ただそれだけで。


 戦慄、恐怖、困惑、疑惑。

 もうその時の自分がどんな感覚だったのか思い出せないが、もうどうだっていい。


 つまりこの先続いていく『ヴァンダルム・バルフトゥム・ヴァイザル・ヴァルバス』の英雄譚は、この魔法と共にあると言うことか。


 くだらない茶番を見せられてる気分だ。

 私の知る限りでも、沢山の彼の伝説。

 それらは全て『無敵の魔法』に支えられたものだったのか。


 その時の私は混乱のあまり、そんな義憤に駆られることが今為すべきことだとおかしな錯覚に囚われていた。


「さて……ああ!!!ダメです!!!だめ!


 この先は見せちゃいけないんでした!」


 トラップした様に映像を見て、恐らく当時を思い返していたであろうフレードルが、思い出したかの様にこちらに振り返る。

 かと思ったら慌てて杖を振り、映像を消してしまう。


「いやあ。申し訳ない。

 『死の魔法』については教えてはいけないと『あの子』に言われていたのを忘れていました……!!

 これはウッカリ……!」


 この男はうっかりが多過ぎないか?

 今日1日で機密を漏らしそうになったり……


 ちょっと待て。


 一度に様々な情報が周り、私は混乱していたのだ。

 義憤、同情、怒り、恐怖、不気味、困惑……。

 急激に移り変わる感情に、頭は上手く回っていなかった。


 私はとっととその場から、耳を塞いで逃げ出すべきだったのだ。


 呆けていた。間違いなく。

 『死の魔法』なんて恐ろしい秘密を知った私が、“記者”である私が、このまま無事に生きて帰れるなんて、そんな筈がないのだから。


 きっと初めからこの男は、私を生きて帰すつもりなどなかったのだ。

 きっとあの扉の向こうにある、不気味な研究室で、意味のわからない液体に漬けられてコレクションされるのだ。


 だからこんなにも簡単に、親切に、見せつける様に様々な真実を見せるのだ。

 『どうせいなくなる人間だから』。どうせならコイツで暴露欲求を満たしてしまおうと。


 76年前に現れた、耳を引き千切ってからターゲットを殺す。有名な連続猟奇殺人犯。

 当時『ゴブリン狩り』と呼ばれた殺人鬼は、千切った耳を腐るまで持ち歩き、次の犠牲者に自慢する様に見せびらかしたという。


 運良く生き残った者や運悪く目撃した者の証言だ。

 その“習性”は決して確実性のあるものではないのかもしれない。


 けれど彼の猟奇的な本質を覗き見たその瞬間から、私はその『ゴブリン狩り』の逸話が頭に流れ続けて離れないのだ。

 熱で溶けて染み付いて張り付いて剥がれない。

 脳にこべりついた不安は、剥がそうとするとばりばりと脳自体を傷つけて、なお剥がし切れずに破片が癒着したままになる。


 ああ。そんなことを書いている暇はないというのに。

 何か残さなければ。何か。


 遺すべき家庭も、親も兄弟も、最早遠く知らぬ土地まで流れ着いた私には、居ない。

 遺したい相手など居ないのに私は私がここに居たという証明が欲しいのだ。


 もう、何を書いているのかもわからない。


 フレードルが「ウッカリ」と頭を掻いて言った後、暫しの空白があった。

 何かを見た気がする。


 『ヤツ』の腕に見えた、鱗。


 縦に開いた瞳孔。


 人の瞼の内側で蠢いた、もう一つの瞼。

 

 ああ、ああ、コイツは、異形だったのだ。

 私の様な人間などきっと、オモチャくらいにしか思っていない。そんな恐ろしい化け物だったのだ。

 私は悪魔の棲む異界への扉を、あの隠し階段を降りたときに知らず知らずと潜ってしまっていたのだ。


 幾らかの空白の時間を過ごして後、私は叫んでいたことだけ覚えている。



 音声を文字にして残してくれる魔道具は、手元にある。

 そこにはひたすらに私の断末魔の様な言葉として出来損なった文字列が並んでいた。


 この魔道具は言葉をそのまま文字にするから、言葉にならないものはそれらしい代用の文字があてがわれていた。

 “ああああ”だとか、“ぎぃぃぃ”だとか、“だああばああまあああ”とか、何のことだかわからないが、その文字列はきっと私の口から出てきたものなのだろう。


 残された文字を読み取って当時を推察するしかないのが、この魔道具の弱いところだと言えるだろう。


 もどかしい。


 しかし私は遺さなくてはならない。


 いつこの宿の扉を叩き壊して『ヤツ』が現れるともしれない。


 だから私はこれからこの魔道具を持って、ひたむきに当時を思い起こして記事に起こすのだ。

 とにかくすぐに準備して首都を離れなくては。

 そうして身を隠して落ち着いた頃に今日の事を全て事細かに書き記すのだ。

 たとえ誰にも渡ることがなかったとしても、それをしなければ。私が捕まっておかしな研究でこの身が異形となる前に

 ここからすぐに、秘密を知った私をヤツが、ヤツが消しに来る前に前に前に今音がするした絶対したのに気配を消さなければならないのに私はペンを走らせることを辞められない止めたら折れてしまう私がもうダメだせめてせめてせめてあの部屋に連れて行かないでくれおかしな薬を器具を魔法を私の体に入れるのはやめてくれやめ


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