第30話 ウラモリ3

 咳き込んだ喉を整えるように咳ばらいをしながら俯き気味に胸元を軽く叩く。

 顔を上げたゲント兄ちゃんはあからさまに「真面目です」といった表情を作っていた。……やはり少し真剣味が足りない気がする。


「俺がドジ踏んで、そのせいでこんな大怪我になったのは否定できない。

 ……だけどな、別にただ単に足を滑らせたってわけじゃねえ。

 ……あの時確かにに吹っ飛ばされたんだ」


 確かに……先ほどの話だと何か物音に気を取られてというより、もっとこう物理的な原因があるように、今思えば感じる。


「じゃあ……本当に狼がいたってこと……?」


「いや……それはわからねえ。物陰すら見えないまま落っこっちまったからな。

 ……だが、たとえそれが狼だったとしても、ただの狼だったとは思えねえんだ」


 ゲント兄ちゃんは身長二メートル近い大男だ。

 体もAランク冒険者に相応しいくらいに鍛え上げてあると見ただけでわかるほどだし、パーティ内の役割もゴリゴリの前衛だ。

 武器に拘りはないようだが、大剣を軽々と振り回すどころか、俺の体格と同じくらい大きい頭をつけたハンマーを片手で扱っているのも見たことがある。


 つまり「ただの狼系魔物」では、いくら崖の端で足場も体勢も悪い中ぼーっとしていたとしても、ゲント兄ちゃんが吹っ飛ばされて落ちるイメージが湧いてこないのだ。


「あの時聞いた『ばちっ』ていう音。獣の遠吠え。

 それが全部俺を突き落としたのものだとするなら、『雷速狼』って所だと思うんだが……。あいつの全力の体当たり程度じゃあ、あんなに吹っ飛んだりはしないだろうしなあ……」


 『雷速狼』は文字通り雷のような速度で移動する狼系魔物だ。体に雷の魔力を纏い、それを進行方向に伸ばして一息で駆ける。


 必ず雷のガイドラインが敷かれ、ほぼ直線でしか『雷速』は出来ないのでそれが弱点と言えば弱点だ。

 だがあいつは当然のように魔法を使ってくるし、いくらガイドラインがあってもそれに対応できる人間はなかなかいない。


 そんなCランクでも上位の戦闘系冒険者が対応するような魔物の体当たり、それをものともしないような発言に気を取られ、思わず苦笑気味になる。


「じゃあ、明日の野外演習は中止にした方がいいってこと?」


「いやな……。俺も昨日、治療も一通り済んだところで仲間に頼んでシェロン学園に報告してもらったんだ。

 だが、実際に見たわけでもない不確定な情報だってのと、元々裏森がざわついてる時から準備して、引率に冒険者も雇ったからそれで問題ないだろうってな話らしい。

 窓口になってくれたのがおっとりしたおばちゃん先生だったからってのもあって、話に行ってくれた仲間も不満気にしてたが……。まあ、Bランクも引率に来るって言ってたから『雷速狼』程度じゃなんともないのは確かだろう。

 そもそもあんだけ大人数で捜索しても何も出なかったんだ。明るいうちに3,4時間程度安全なルートをうろつくくらいじゃなにも起こらんだろう……」


 そう言うゲント兄ちゃんの顔は、やはり少し不安げではあった。


 学園が何を思って演習の決行を決めたのかはわからない。

 「冒険者が一人、気配を感じた」程度じゃあ、町の噂と変わらない程度の信憑性しか感じられなかったのかもしれない。


「まあ……気を付けるに越したことはない!ギル坊も、魔物は狼だけじゃないんだ!どちらにせよ気を付けるなら、『狼も出るかも』くらいの気持ちで行った方がいいだろう!」


 怪我が痛むだろうに、思いっきり膝をばしん!と叩いて俺に激励を送ってくれる。考え込むように俯いた俺の顔が、よっぽど不安そうにしていると思えたのだろう。


 俺は兄ちゃんが優秀な冒険者だってことを知っていて、信じている。

 だからそれに囚われて、一種の身贔屓みたく学園の対応に不信感を持ってしまったのかもしれない。


 そして何より大事な兄貴分が、半分事故みたいなものとはいえ、明らかな『大怪我』を負わされた。その事実に無性に腹が立つ。


 魔物に腹を立てても仕方のないことなのはわかっている。

 だけど「不意打ちで俺の『憧れ』が傷をつけられた」――――――その事実は俺の自尊心を酷く踏みにじられたような感覚を滲ませてくる。


 こんな特殊な状況で、ただ崖から落としただけ。それだけなのだ。ゲント兄ちゃんは決して負けたわけでも、相手が強かったわけでもないのだ。


「狼……か……」


 憤りを抑え込むように俯いて、そのせいか口から無意識に考えていたことが零れていた。


 さっきはあれだけバカにした態度を取ったのに、今はこんなに怒っている。その事実に少し照れ臭さを覚えて、何故かちょっと溜飲が下がった感じがした。


「おいギル坊……あんまり馬鹿なことは考えるなよ……?」


 こちらは一段落付いた心地でいたが、ゲント兄ちゃんにはそうは思えなかったようで、心配そうにこちらを伺ってくる。


「馬鹿なことってなにさ?」


 その様子が少しおかしくて、鼻で笑ったように返してしまう。


「いや……狼なら、と思って、なんかしでかすんじゃないかと……」


 大男がちらりと覗き見るように心配してくれる姿は、何故かほっこりとした感触がする。なぜそんなに「恐る恐る」といった様子で訪ねてくるのだろうか。


 確かにと思わなかったわけじゃない。兄貴分の仇を打ちたいと思っていたことは間違いない。


 だけどAランクにもなったプロの冒険者が、不意打ちとはいえ吹っ飛ばされたような相手だ。流石に無茶だとわかっている。


「なんともならんでしょ。それくらいはわかってるよ。大丈夫。ボズマーも一緒だし、なんなら他に女子生徒も一緒だ。無茶なんてしたくてもできないって」


 これも紛れもなく本心だ。仲間がいるからなんとかできる。そう思うこともできるが、それは避けられないピンチの時にこそ考えることだろう。

 流石に自分の感傷で馬鹿げた危険に飛び込むなんて、そこまで俺はじゃない。


「そうか……?ならいいんだ。

 まあ、何事も起きないだろうが、一応きばってけ。無駄に不安を煽るような話になっちまったが、まあ必要以上に気を使うことになっても『これも演習の内』ってやつだ!」


 なんだか調子のいいことを言われている気がするが、それくらいポジティブに行った方が建設的なのは確かだろう。


「おう!じゃあ、頑張ってくる!……やらかしただと思って、しっかり休んでちゃんと体、治してくれよ!」


「うるせー!……まあ、ありがとよ!

 あぶねーと思ったらちゃんとすぐ逃げて、引率に報告すんだぞ!!!」


「そっちこそうるせえよ!じゃあな!」


 お互いに似たもの同士、照れ合いながら激励を飛ばす。その様子をニコニコと眺めるフランさんに気が付き、更に照れ臭くなって逃げるように医務室を後にした。


 というかフランさん。いかにも『緊急事態です!』って感じで引っ張ってきたのに、全然なんともないじゃないですか……!


 なんだか脱力感がひどい。殊更そんな脱力感を意識して帰路に着く。それは考えても仕方のない不安から目を背けるためでもあった。


 結局『冒険者からアドバイスをもらう』という、本来の目的すら忘れていたのは、きっとその不安を紛らわせた後遺症のようなものだったのだろう。

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