第32話 演習2

 嵐が吹き抜けてから十五分後。心なしか木々の隙間から吹いていた強めの風も落ち着いてきたように感じる。


 講師も冒険者も既に森の中に入っており、入り口に残っているのはベン先生だけだった。懐中時計を確認し、号令をかける。


「定刻確認!これより野外演習を開始する!声を掛けられた班から順次、状況を開始するように!

 まずは一班!始め!」


 最初のグループが森に入る。十五分のインターバルで緊張も緩んだのか、まるでハイキングでも行くように雑談をしながら進んでいった。


 俺達は八班。順番通りなら後ろから三番目だ。


 ベン先生は懐中時計を逐一確認しながら、順次生徒を送り出す。説明はされなかったが、恐らく決まった時間で班を話すように送り出しているのだろう。



 自分達の順番が来たのは、予想通り八番目。誰も時計を持っていなったため正確にはわからないが、少なくとも三十分は待機していただろう。


 最初の方に出発した班は少しばかり呑気な雰囲気で繰り出していた。

 それに比べ『スタート』を意識したからか、俺達は良い緊張感の中で過ごしていた。


 俺はゲント兄ちゃんの話を聞いていたせいもある。だがみんなは違う。いつも通りの裏森を進んでいくつもりだったはずだ。


 それでも意識が研がれていく感覚を共有できたのは、あの模擬戦から各々が努力してきたものを意識してのことだろう。

 今日の演習でそんな精一杯の努力の一割も活かされることはないのかもしれない。

 そう考えつつも俺達はこの演習を通じて、今日まで短い時間でも積み重ねてきたものを少しでも形にしたい。そんな理想に精神を高揚させていた。


「よし!いくぞ!」


 ボズマーの溜息と掛け声の混ざったような声に、思い思いの返事で気合を入れる。

 ヴァンダルムはすぐ後ろの九班に手を振っている。こいつだけは気負いがない。その様子を見て少しだけ肩の力を抜くと、何故か思考と視界がクリアに感じた。

 敵わないな……。なんて思った。こいつはいつだっていつもどおり。その姿にどこか安心を貰えるし、冷静さを与えてくれる。

 そして俺達の長い長い演習が始まった。


 一番危険なコースと言っても、ただ単に線路から離れたルートというだけだ。

 『魔物除け』の効果が薄い、かといって強い魔物は既に移住を済ませた後の森。


 俺達は警戒を緩めずに、かといってそこまで不安も感じずに進めていた。いつも通りの裏森。いつもより少し深い場所を通るだけだ。


 特に俺とボズマーは良く二人で裏森に遊びに来ていた。

 訓練も兼ねてだったが、尚更この草木の生い茂った環境には慣れたものだった。


 ヴァンダルムは歩きにくそうにしている。

 こいつは辺境伯家の子息だったから、そもそも王都自体に慣れていないのだろう。こんなところ来たこともないはずなので、不思議でもない。


 しかし女性陣が既に森歩きに適応し始めているのは意外だった。

 メアリーなら幾度か裏森に遊びに来ていても違和感はないが、恐らく生粋の貴族令嬢として生きてきたであろうシェリルやヴィクトリアには体力的にも辛いものになると考えていた。


 流石にはじめは大きな木の幹を踏み越えたり、予想以上に柔らかい落ち葉の混ざった土の感触に戸惑っている様子だった。進むペースをもう少し緩くして体力温存させなければと考えていた。


 でも今では何事もなかったかのように俺とボズマーのペースについてきているし、体力もまだ余裕があるように見える。

 よっぽど体力作りや足腰を鍛えてきたのだろう。

 短い時間の付け焼刃ではあるのだろうが、逆にそれで成果を見せていることに、彼女たちの努力が垣間見えて胸が熱くなる。


「止まれ。前に気配がある。恐らくゴブリン数体」


 ボズマーが戦闘で小さく声を上げる。一瞬で全員に緊張が走る。

 既に行程は半ば過ぎ、一時間弱は歩いて、後十数分で折り返し地点といった所だった。


「見えたよ……!緑ゴブリン三体だね……!」


 メアリーが持ち前の視力の良さで補足する。すぐに俺や他の仲間もそれを確認した。


 俺達よりも背が小さい、名前の通り緑の肌をした人型魔物。

 人型と言ってもその姿はあからさまに「魔物」だった。

 黒目がぎょろりと大きな眼は二足歩行の獣のように少しだけ顔の横についていて、その代わりに顔のバランスを取るように大きな鷲鼻が付いている。

 いつも半開きになっている口は目の端まで届きそうなほど大きく、ギザギザとして嚙み合わせが悪そうな歯をのぞかせる。

 あばらが浮き出た痩躯に不釣り合いと思わせるほど大きく膨れ上がった下っ腹。関節なのか筋肉なのか判断に困るこぶを付けた四肢。


 一般的なゴブリン種の例に漏れず、その見た目は生理的嫌悪感を抱かせるものだった。

 「自分達とは違う生き物」であるというわかりやすい視覚情報が、恐怖心に後押しされるように不快感を齎す。

 「自分にとって良くないものだ」という確信めいた警戒が、自分の体を強張らせる感覚。

 「魔物」とはどうしようもなく「敵」なのだと、種族的本能で全身が教えてくれるのだ。


 既にみんな武器を構えている。

 好戦的な振舞いだが、「せっかくなら一度くらい戦闘しておきたい」と思ってしまうのも無理からぬことだろう。

 俺だって訓練の成果を試してみたい。


「本当なら迂回……なんだろうが、みんな漲ってるみたいだし、せっかくなら一当たりしてこーぜ?」


 ちょっとギラギラしすぎな仲間を眺めて、しかし本当なら止めるべきところだろうと悩んでいる様子のボズマーに、追い打ちをかける。


 大丈夫。三体ならたとえ伏兵が一、二体いたとしても無傷で勝てる。それに、お前もやりたいんだろう?


 目で語り掛けると、ボズマーはにやりとして返す。


「……そうだな。一応他に気配がないか確かめつつ、開けた所に誘い込もう。あくまで余裕をもって有利な状態を作りつつ、だけど……まあ、楽しもうか」


 零れた奴の本音に、ヴァンダルム以外の全員が凶暴に笑みを浮かべる。い

 つから俺達はこんな蛮族じみた人種になってしまったのか。もしかしたらはじめからだった気もするが。



 緑ゴブリンは開けた場所にいた。


 なにやら薄汚れた武器を岩にぶつけている。恐らく研いでいるつもりだろう。

 

 素材が何かはハッキリとわからないが、石斧、槍、ナイフをそれぞれ一体一つずつ手入れしている。ナイフは恐らく人間からの戦利品か、拾ったものだろう。

 少し錆びかけているし、他の武器も原始的過ぎて、本当に武器として扱えるのかと自分だったら疑いたくなる状態だった。


 緑ゴブリンは魔物の中でも特に知能が低い、とされている。

 実際には道具を用いたり武器や簡単な罠を扱えたりと、人型魔物特有の器用さを持ち合わせている。


 こいつらの弱点を知能の低さと言うとかなり語弊がある。

 正確には「直情的で単純な行動しか行えない」と言ったところか。


 緑ゴブリンの攻撃方法は一応武器によって違いがある。しかし基本的に「振り下ろす」「突き刺す」「突進」「飛び掛かる」この四つの動きの派生しかない。


 攻撃的な魔物としては致命的なほど回避行動や防御態勢を行わない。目の前に見えたものに飛び掛かることしかしないのだ。


 罠だって自分達の棲家に落とし穴やら障害物を置く程度。

 「この世の生物で最も早い」と言われるほどの生殖速度がなければ、きっと食料も狩れずにすぐに絶滅していただろう。


 獣型の魔物ならば引き際を知り、戦闘ではフェイントをかけた攻撃までしてくる。自然界で獲物を狩るのが日常だ。それくらいできなければ生き残れない。


 緑ゴブリンの狩りは面白いほど下手くそだ。成功する方が稀と言ってもいい。


 彼らが寿命は短くともその生態を維持できているのには、大きく三つの理由がある。


 一つは先ほど述べた「異常発達した生殖能力」。

 二つ目は「悪食」。どんなものでも食べ、過酷な環境でもある程度は生き残れる。

 この二つの特性のお陰で彼らはあらゆる土地に生息し、その環境に合わせた進化を多種族とは比べ物にならないほど早く行ってきた。

 「緑ゴブリン」はゴブリン種すべての祖先、つまりは「最も進化していないゴブリン種」だとされている。


 そして三つ目。これはゴブリン種ほぼすべてに当てはまる特性で、単純に「数が多い」というもの。

 どれだけ力が弱くとも、どれだけ頭が悪くとも、その異常に増えやすい性質による「数の暴力」の厄介さに変わりはない。


 以上がシェリルがまとめた「裏森に出現する魔物の傾向と対策」から抜粋した内容である。


 つまるところ何が言いたいかと言えば、最も警戒すべき「数」という緑ゴブリンの特性について。

 こちらの方が人数有利を取っている状態ならば、不覚を取るなんてありえないということ。仲間を呼ばれる前に倒してしまえばまず問題にならない。


 俺もあれだけ反省をしたというのに、心の底では油断を捨てきれていなかった。

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