第24話 バチバチ8

 先に動き出したのはティム。先制に虎の子の投擲ナイフを飛ばす。


 残弾は二本。早々に切った手札に、思い切りの良さは感じるが、果たしてそれは良策と言えるのか。


 ゼファーは動かない。腕を下に構えたまま、歯を食いしばるような笑みを浮かべている。切っ先が笑みに届くまで、三、二、一、――――――。


 突如吹き荒れる突風。切っ先は風の渦に飲み込まれ、勢いはそのままに目標を見失った。


 ゼファーはナイフの下に潜り込むようにスライディングしていた。両腕を後ろ、いや、体勢としては真上に掲げて、風を起こしながら高速で滑る。舞台上の水膜は既に流れきって、それでも巻き上げる砂埃がその勢いを物語る。


 速度は先ほどの狼の最高速並。ついさっきの俺達はこの勢いに戸惑って対処しきれなかった。


 しかしティムの視線はしっかりとゼファーを追っている。だがどうする?通電はもう起こせない。


 ティムはたたらを踏むように後ろに下がる。打つ手などないのか。その瞬間、彼が元居た場所にある水たまりが勢いよく宙に飛び出した。


 水たまりは壁になり、そのまま凍って鏡面を作り出す。


「うまい!立ち位置まで計算尽くか!!!」


 ボズマーが思わず前へ出る。前へ出たその右足が地面に付く間に、ゼファーは鏡に辿り着き、低い姿勢からそのまま腕を振り上げる。


 拳は鏡面を叩き割り、ティムを守る壁は落ち葉のように簡単に粉々にされる。

 ゼファーの纏う風に巻き上げられたまま、鏡面の落ち葉は宙を吹き荒れる。綺麗に世界を反射する写し鏡は、キラキラと舞台を彩る。


 そう。世界を映したまま。風に巻かれるまま。ゼファーの周囲に纏わりつく。


 ゼファーは焦り顔で周囲を見渡す。敵は目の前からほとんど動いていないというのに。



「どうしたんだ……?急にティムを見失ったように……」


「見失ったんです。あれは。あんな繊細な魔法を実践で使う人がいたなんて……」


 困惑する俺にシェリルが震えた声で答えを示す。


「『湖濛々うみもうもう五月雨さつきあめ』。本来は天候を操り視界を遮るほどの雨を降らし、その雨で術者の実態を捉えづらくする複合魔法です。


 もっとも、普通は既に振っている雨を利用して、幻惑魔法と実際に水の勢いなどを拡散して視界を奪う魔法として使われます。天候まで操って少し自分を見えづらくするだけなんて割に合わないですから。


 ……先ほど確かにに近いものを詠唱するのを。恐らく鏡のように反射するあられで代用することで、幻惑魔法の掛かりを良くしたのでしょう。……雨よりもよっぽど空間が歪んで見えているはずです。


 ……どおりで。そのためにあんなに薄い壁にしたのか。あえて割れやすく、舞いやすく、この状況を作り出すための、すべてが布石……」


 俺に説明をしてくれたようで、シェリルはすぐに自分の世界に入り込んでしまった。

 この距離で詠唱を把握したことといい、やはりこの少女もAクラスだということか。どこか超然としたものを感じ、思わず身震いをする。



 舞台では未だにきょろきょろとあたりを見渡し、警戒しながらもやはり相手を見つけられない様子のゼファー。


 そしてまだ詠唱は完結していないのか、ティムは集中した様子で何かをぶつぶつと唱えている。

 いつのまにか空いた右手に持っていた数珠のようなものは、魔術補助媒体かなにかだろうか。額に押し当て、祈るように眉を寄せて握りしめている。


 しばらくするとゼファーの様子が変わる。足元は覚束ない。ティムを探して見渡した拍子に、少しふらついてしまっている。


 完全に詠唱が終わったのか、ティムは数珠をそのまま右腕に通すと、左手のナイフをゆっくりと構えながらゼファーのもとへ歩み寄る。


「なるほど……本来の湖濛々は相手をここまで幻惑するのですね……!」


 シェリルの感動はそのまま、試合の終わりの合図に思えた。


「あ゛ー……」


 苦し気なゼファーの声。完全に上を向いて口を開いて、放心したような有様だ。


「こ、ういう、とき、は。ちから、わ、ざ」


 宙に向けて呟いた。そして勢いよく頭を振り下ろす。

 その表情は、獣染みた笑み。

 思いっきり腕を広げたゼファー。その腕に風の渦を大きく纏わせている。次の瞬間


「ばちん!!!!!」


 実際に言葉に起こしながら、両手を勢いよく叩く。その小さな手からは想像も付かないほどの大音量で破裂音が響く。

 その音量に呼応するような旋風。竜巻のような爆風が巻き起こり、あたりの霰を吹き飛ばす。


 当然幻惑は緩和され、しかし少し遅かったか、術は完成した後だったので具合は悪そうなままだ。


 ティムは風圧にさらされながらも、その歩みを速めてゼファーにトドメを指しに行く。


 ナイフを掲げる。切っ先のきらめきは、再度空を見上げてふらついているゼファーの首元へまっすぐと進む。


 ゼファーは溶けてしまったかのようにへたり込む。そして腰に付けていた風の渦がベルトのように彼に巻き付き、ぎゅるぎゅると激しく音を鳴らして回りだす。


「旋回……回……天……!」


 気合を入れるように言葉を絞り出す。襲い掛かるナイフは空を切る。

 きゅるきゅると音を鳴らしながら腰を軸に横回転。そのまま地面を滑り、瞬時にティムの後ろへ。


 うつろだった瞳に輝きが戻る。ダメージを押し殺して地面に掌を叩きつける。手に纏わせた風の渦が再度ゼファーを吹き飛ばし、ティムの真後ろ、宙に舞うドワーフは、その渦を叩きつけるように、拳を構え—―――――


 ティムは振り返れない。間に合わない。首だけがなんとか先に周るが、それは致命の一撃を放とうとする敵を見せつけるだけ。一瞬の絶望。敗北を瞳に刻み付けるだけ。


 そしてドワーフの拳は勢いよく――――――宙を舞った。


 最後の最後。彼の腕は人より少しだけ短かった。

 彼の咄嗟の体さばきは、見事な高速軌道を生み、そして少し遠かった。


 風魔法で勢いが付いた拳は、から回ったまま体をぐるんと回してしまう。無防備な背中。ゼファーは目を見開くしかできなかった。


 ティムは振り返ると同時に抜き取ったナイフを投げる。器用にゼファーの襟元に引っ掛かり、地面と少年を綺麗に縫い付けた。


 ぐったりとするゼファー。見下ろすティム。――――――これにて、決着。



 ティムはぶつぶつと語りかける。ここからでは少し聞き取れない。

 ゼファーはにこりと笑顔を返す。しかし彼の口元は動いていないように見えた。


「お前は……いつもいつもそうやって……!!!」


 ティムは激昂した。なにがあったのか。なにを考えているのか。


 無抵抗な少年に最後のナイフを構え、ティムは、それを、バチバチを纏わせた殺意の籠ったそれを、少年に、投げつけた。


「ひっ……!!!!?」


 突然のことで漏れ出した隣の少女の悲鳴は、上手く形にならず、ただただ空気の抜けた音になる。


 ナイフはまっすぐと宙を飛び、腕一本動かせない様子の少年へと向かっていった。

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