第5話 主人公誰か知ってる?私は自信がなくなってきた!
私は自分のしてしまったことにぞっとした。
いくら冷静でなかったとはいえ、あんなに大勢の前で人に暴言を浴びせ喧嘩を売るなんて。
自分のしでかした事を帰りの馬車で反芻しては血が凍るように冷えて、あれだけ沸騰してた感情もすっかり息を潜めている。
馬車のカーテンを閉め切って、まだ昼前の日差しが薄く隙間から差し込む。
後悔と反省と羞恥と……いや、実際ぐるぐると頭を巡っていたのはそんなはっきりとした感情の整理などではない。言葉にならない思考が、蠅のように目の前をちらちら飛び回る。
呼吸は浅く、後ろ髪を引っ張られたような感覚と共に血は引いていく。
吐き気を催すかもとくらくらしながら、それでも落ち着ける気もしない。ただじっと。軽く握って太ももに乗せられた、自分の拳を見ていた。
差し込む日差しが甲に当たってるのがちかちか見えてうざったい。
家まで馬車で二十分と少し。まだ気が晴れる気はしない。
カーテンを閉めているのに。手の甲から照り返した日の光は少し目に痛かった。
***
真っ直ぐ家に着き、使用人に今日の出来事を尋ねられても答える気にもならない。返事もせずにそのまま自室へ行き、制服のままベッドに腰掛けていた。
流石にしばらくそうしていると気も紛れてくる。というより、「悪いことをした」という罪悪感が「人前で恥ずかしいことをした」という失敗談にいつの間にか置き換わっていく。
人の感情とは都合良く、自分を守るように出来ているのだろうか。大人になった今当時を思い返せば、なんと都合の良い考えかと苦笑いを浮かべたくなる。
「自分が悪い」と思い続ければ、ずっと暗い感情は続く。そんな感傷で延々自分を傷つけ罰する事になる。謝罪なりして、なにかしらけじめを付けない限りは。
「恥ずかしいことをした」と思い直せば、「次からは気を付けよう」「忘れてしまおう」「気分を変えよう」と、切り替えていくこともできる。
自分がしでかしたことで迷惑をかけた相手がいることなどすっかり忘れて。
むしろ段々「あの子あんなすっとぼけたことを言って!私をばかにしたのね!!」なんて、自分の感情から身を守るために、相手の悪い所を見つけ始める。
「凄かったですよね。貴方の魔術。私なんかより。」
彼にとってはなんでもない。事実のつもりで言ったことだったと今ではわかる。
彼は他人の事を褒めたり、認めたり、敬意を示すことになんの抵抗も持たない。
たまに自分基準で考えるために、相手に要求するレベルが高すぎる事もあるが、別にそれで間違えたり失敗したりしても、呆れたり怒ったりなんかしない。
彼にとってはただ、例えば私が恥ずかしい失敗だと思ってしまうような全てのことを見ても「相手をまた少し理解できたな」ということでしかないのだ。
ただ、当時の私には馬鹿にされてるようにしか思えなかった。
そのうち同じ部屋にいても何を言っているのか聞き取れないくらいの声で、ぶつぶつと内容のない文句を言い始める。
体はけだるさを訴えている気がするけれど、寝転がる気にはなれなかった。まるで体を倒すというだけの動作が、体に負担をかけるんじゃないかという錯覚をする。
背中を丸め、どこを見るでもなく、ベッドの下に敷かれた絨毯の模様を視線でなぞる。
ぶつぶつ。ぶつぶつ。
空気が通る音しかしていないような声。頭の中に浮かんできた精一杯の悪感情を、過呼吸を落ち着かせる感覚で吐き出していく。
しかしその言葉に乗せた感情など殆ど無く、自分だってそれに気がついていたのに「あいつが悪い」を繰り返して、まるで自分を洗脳していくかのように。
気付けば視界はぼやけたように焦点が合っていない。ただ目の前の模様をなぞり、そこにあるのはただ、自尊心と、沈み込むベッドの感触だけ。
それは自分を自分の感情から守るため。相手が悪いことを言ったということにして。
自分からふっかけた喧嘩なのに。
それと同時に目をつぶったのだ。内心では彼の魔術に負けを認めていたという事実に。
***
登校初日、この日に自分のクラスを初めて知れる。
「ただのクラス分け」なのだから仰々しく前日から通達をしたりしないという話を耳に挟んだことがある。準備することも変わらないのだからと。
「ただのクラス分けなのだから、気負う必要などないのだ」と。本当にそんなお題目を掲げてこの方式をとっていると言うのなら、それは酷く新入生を傷つける残虐な行いだと感じる。
明確な「格付け」を行っているこの学校の「クラス分け」は、私みたいな人間にとっては合否発表と同等の重圧がある。
人生が変わるのだ。当時AからDまでの四クラス。その一つ上に所属できることが、とりわけ一番上のAクラスに所属することがどれほどのステータスになるか。
環境、実績、名声。恩恵と肩書と、目に見えないが間違いなく大きく得ることになる他者からの信頼。それが「上のクラスに所属する」ことで得られる。
この国に住んでいて、中でも貴族に籍を置いている者たちにその重要性がわからないはずがない。
そんなシステムを作っておいて、よくも「ただの」なんて。
元からひねくれものなのかもしれない。けど、確かに当時の私はどこか余裕がなくて、いつもささくれだった感傷を隠し持っていた。
*
校舎前広場にある掲示板は沢山の新入生でごった返していた。
正直、合格発表の時よりも緊張している。
でも試験を思い返して、少なくとも目に見えた範囲では私と勝負になる受験生はいなかった。……ただ一人を除いて。
だから胸を張る。横に長い掲示板の右端から見る。「絶対負けてやるもんか」なんて鼻息を荒くして。それは明確な相手を思い浮かべている訳ではない。ただ抗えない不安から負けないために、勢いづくために闘争心を燃やす。……そんなことをしても結果は変わらないのは重々承知しているのだけれど。
掲示板に貼られた、大きくAクラスと書かれた紙を、そこに記された名前を、上から順に睨み付けていく。
「……あった……っ!」
案外あっけなく自分の名前が見つかり、出てきた声は部屋で落としたコインを見つけたくらいのものだった。
一拍おいて、沸き上がる。飛び跳ねそうになる足をたしなめる。
荒い息をふーっと鼻で整え、より一層胸を張って喜びをかみしめた。
そのままの勢いで下まで目を滑らせる。
きっと彼もここにいる。
もやもやと嫌な感情が立ちこめて邪魔をしてくる。
それを無視しながら、それでもただ鬱陶しさを肌に感じながら。
彼の名前を見つけるまで、安心できない。
「ない方がいい」と思っているのに「安心できない」という矛盾に気がつかないまま、私の目は約三十名の名前をするすると滑り終えた。
「あれっ……?!」
もう一度上から、今度は名前の横にある階級までしっかりと凝視する。
アンドレ・クロッカス男爵家子息、ボズマー・シュトレイン子爵家子息……シェリル・アンドレア伯爵家令嬢……自分の名前を再度見つけて安心する。
ヴィクトリア・ゼンラマン伯爵家令嬢、ウィリアム・シュトレイン子爵家子息、ゼファー・ドワルフ商家子息……。
「……やっぱり見つからない。……ん?……あっ!」
あまりの気恥ずかしさに、思わず両手を鼻の上に置いて顔を隠し、前屈みになってしまう。
「私、彼の名前、ちゃんと知らないじゃない……!」
小声とはいえ、ぶつぶつと不審な今の自分の姿を思いなおして、一旦掲示板から離れて落ち着く。
「試験官の女性の方が、確か……『ヴァンダルムくん』とか言ってたかしら……?」
記憶力には自信があったので、ある程度の確信をもって思い出す。
そうしてみると不思議と気恥ずかしさは紛れて、謎の使命感のようなものに突き動かされる。
「今度こそ見つけてみせるわ……!」
別に誰に頼まれてもいないのに、自分は彼の名前を見つけ出さなければならないと何かに突き動かされるかのように掲示板へ向かう。
未だ掲示板前は沢山の生徒が姦しくしている。いくら貴族子弟が殆どだとしても、この時ばかりは一喜一憂を抑え切れないらしい。
友人は同じクラスだろうか。見知った名前はどこだろうか。苦手な人はいないだろうか。
知ったところで何か変わるわけでもないし、隅々まで眺めたって名前と身分くらいしか情報がない。しかし、向こう3年間を共にする隣人のことをいち早く、少しでも多く知りたいと思う気持ちもわからないでもない。人によっては一生涯の隣人、ないし友人となるかもしれない。
期待と、ひとつまみの不安と。私の今抱えてるものに近いが、内情は大きく異なっていた。
なぜなら、私の見るべき紙の前にはもう殆ど人は残っていなかったから。
なにせAクラスはこの学園の中でも最優秀生徒が集まる場所。他のクラスとも違い、3年間で定期的にメンバーの増減がある唯一のクラス。
自分がそこに関係するほど優秀だなんて自信のある人はそうはいないということだろう。
今思えば「そんな殺伐と優秀さを競い合う舞台には立ちたくもない」「平凡と言われても無難無事平穏を好む」「そもそもこの学園の魔術科在籍の時点で満足できるほどの優秀さは証明される」という考え方の人が殆どだっただけだろう。そんなこと、当時の私に説明しても敗北主義者のようにしか思えなかっただろうが。
ただその時は、そんなことはどうでもよかった。ふっと浮かび上がった苦みのある感情は、軽く払うように忘れる。むしろ彼の名前を見つけるのに邪魔にならなくて都合が良い。
掲示板の前で一つ息をする。「ヴァンダルム」って文字を見た気がする。大体の位置はわかってる。それでも私は一応上から一息で名前を確認する。
上の方に書かれた名前は殆ど頭にも入れていない。最初の一文字で目を滑らせていく。大体中頃まで見て、少しずつ意識をはっきり読んでいく。私の名前はもうどうでも良い。
「V……V……ヴァ……あった……!」
見つけて何だか、自分の名前を見つけたときとは少し趣旨が違った喜びがこみ上げる。
そんな不思議な感情を、「これはなんとか名前を思い出してやっと見つけ出した達成感なのだ」と自分を誤魔化した。
「ヴァンダルム!ヴァンダルム・ヴァイザル・ヴァルバス辺境伯子息……!?」
小声で、それでもしっかりとした発音で読み上げた名前は、私のような社交界にまだ関心が薄い子供でも知っている名前だった。
我らがドボラゴール王国では、「辺境伯」とは侯爵に近いほどの権力をもつ。歴史で学ぶ隣国との戦争、その立役者。未だ他国に睨みをきかせ続け、彼ら一族の名は他国の軍属であれば王族の次に知られているという。「ドボラゴール三大辺境伯家」の一つヴァルバス家。
私の家もそれなりに高い権威を持つ家柄で、だからこそ失念してしまった。相手が格上の存在かも知れないなんて。
こんな勇猛高貴な家柄の子息に、あんな大勢の前で喧嘩を売ってしまったなんて……!
脳がかすれてしまったような衝撃は私に立ち眩みのような目眩を感じさせた。
それでも絞り出した感情は、悲鳴のような、悲観のような、悔しく、裏切られたようなものだった。
「そんな……そんなの……ズルい……!」
吐き捨てるように出てきた言葉は、とても理性も理屈もあるようには思えなかった。
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