第4話 失敗は取り返せるが決してなかったことにはならない

 ヴァンダルムくんとの衝撃的な出会いから数ヶ月後。待ちに待った学園への入学初日。


 この日からしばらくの間のことを一言で言うなら、私「シェリル」は嫌な子供に変わってしまっていた。


 今でも思い出すたび苦い気分になる。こういうのを「黒歴史」と呼ぶらしい。


 この手記を世にさらせば、きっと私は非難の対象になるだろう。なるべきだとも思う。


 ただ、私のくだらない自尊心のため、彼の歩んできた道程を歪めるわけにもいくまい。そういうのはもう、捨ててしまいたいのだ。


 真実を語る。私が見て、感じて、そして当時の暗い主観に汚された真実。


 彼の足跡は、その程度ではぶれない力強さをもって踏みしめられているのだから。



 一度折られた自尊心は、合格が決まった日の嬉しさでも慰めきれなかった。


 合格は当然だという自負が確かにあった。ただ一人に乱された心なんて無視すれば良い。だって他の大多数と比べたら、恐らく私が一番優秀なのだから。


 両親からの祝いの言葉も、今までの努力が結ばれた時の安堵感も、確かに私に充足感を与えてくれていたはずだ。


 それなのに感情はそよ風のように後ろに流されていって、ふわふわと夢を漂っているような毎日を過ごしていた。


 陽炎を眺めているように試験当時を思い出す。その空虚な毎日は、少しずつ当時の記憶を怒りと悔しさに変質させていった。


「なぜ私がこんな気持ちにならなくちゃいけないの!?」


「本当なら今頃、幸せな気持ちでいっぱいのはずだったのに!」


「どうして!!こんなに頑張ったのに!!本当ならV教授の興味をひとりじめにしていたはずなのに!!!!」


 彼の美しいとまで形容できる魔法構築過程を思い返すたび、透明な水に墨を垂らしていくように感情がどす黒く上書きされていく。


 今思えばくだらない。でも幼い私には抗えないわき上がる嫉妬心。


 だって彼の魔法をいくら思い返したって、早すぎてほとんど感じ取れていなかったのだから。


 いや、「思い返していた」なんて思い上がりだ。今なら素直にそう言える。


 「嫉妬というものは『手が届くかもしれない』くらいの、相手を近い実力と感じていなければなかなか抱けるものではない。

 相手との力の差が歴然だったり、敬意を抱くほど相手が大きな存在ならば、嫉妬なんて馬鹿らしくなって自然と消えてしまう。」


 それはヴァンダルムくんの言葉だったか、それともV教授の言葉だったか。


 今ならばその言葉の意味が身にしみて理解できる。ようは舐めているのだ。


 『相手はきっと大したことないはずなのに』。

 よく知りもしないでそんな『願望』を根拠に相手を下に見ている。だから嫉妬して、憎しみを抱くべき相手だと錯覚する。


 自分が同じ事をしてみろと言われても出来ない癖に。


 彼がどんな努力をしてその境地に辿り着いたのか、知ろうとも考えようともしないで。


***


 入学式の主席代表挨拶は第三王子が勤めていたはずだ。

 いくら魔術科が優秀だからと言って、この国で最も尊い血筋を無視できるはずもない。

 貴族科のレベルだって高い上に、確か殿下は貴族科筆記試験でトップの成績だったと聞いている。ならば主席の挨拶は当然殿下がなさって然るべきだ。


 式でも私の頭の中は、最近の様子をなぞるだけ。心はずっと上の空で、光しか届かないはずの高い意識の中に醜い嫉妬の暗雲が立ちこめる。


 その時私が思っていたのは「第三王子もいなければ、魔術科の主席がこれでどちらかはっきりわかったのだろうか」というあり得ない妄想だった。


 そもそも第三王子以外にも高貴な家のご子息がまだ沢山入学しているはずという事実。身分を鑑みた主席選定の忖度が無ければ、私がきっと選ばれていたはずと言う妄想。

 そんな「あり得ない」仮定の話をうわごとのように妄想していた。


 それほど精神は摩耗していた。なんていうと少し言い訳じみているが、とかく冷静ではなかった。



 だからだろうか。私が柄にもなくむきになって彼に喧嘩を売ってしまったのは。



 『何故受験者の成績を貼り出して順位付けしないのか』

 普段なら他人の評価や自分以外の人間が劣っていようが優れていようが気にも止めないのに。

 ただ、憧れのV教授ただ一人、彼女の関心だけが欲しかったから産まれた初めての感情。


 入学式が終わり、これから入寮ないし王都に住む人は帰宅の予定。


 私も王都住まいだから、御者に言っていた通りの時間に馬車を待つ。


 同じような予定の生徒が多いのは仕方の無いことで、待機場には沢山の生徒と馬車でしばらく順番は回ってきそうにもなかった。


 そんな中、なにやら一際注目を集めて、図らずも輪のようにぽっかりと開いた場所があった。


 礼儀作法に厳しい貴族ばかりのこの場所で、多少の気遣いは見られても、だからこそ異様な光景だった。


 私は良くないと思いつつも、どうしようもなく好奇心を刺激されて、その輪の中心を覗き見た。


 

 彼がいた。


 同じように馬車を待ちぼうけて、それでも凜とした佇まいは、自らの自信を感じさせた。


 貴族たちは気遣いながらも、それでも彼を見てしまっているのに。それがさも当然であるかのように彼は自然だった。


 私はそれがどうしても許せなく感じた。


 今思えば何故そんな風に感じたのか。


 彼は誰から見ても見目麗しい。傾国と評されても不思議ではない美貌を持つ。


 それは八歳の、まだ幼い当時でも変わらなかった。注目されるのも人として共感こそすれ、なんの不思議もないことだった。


 異性でも嫉妬するほどの美しさ。しかし私は人の美醜にさほど興味は無い。

 だからなのか。当時の私は彼が『美しいから注目されている』と考えなかった。


 その時の私は「きっと彼の魔術の素晴らしさに皆が気付いてしまったのだ」と、何故かそう感じた。そしてそれが真実であると錯覚してしまった。


 少し落ち着いて後数秒なり考えを巡らせればそんなことはないとわかったはずなのに。


 気がつけば私は彼の眼前に立ち、睨むように見ていた。



 「何か……?」


 当然彼は私に問いかける。その時になって初めて私は焦りを覚えた。


 なにせそれは無意識の行いで、何を言うつもりもこの先の展望もなかったのだから。


 ただ数秒、いや数十秒かも知れない。もしかしたら数分、それだけの長い時間、ただ彼を睨み付けた。


 そうしなきゃいけないと何故か感じた。そうしなければきっと、私は彼に敗北を認めたことになる。

 明確にそう考えた訳ではないが、それに近い感覚だったのだろう。


 勿論彼は困惑した顔で、それでも律儀に私の返答を待っていた。


 未だに何も言葉は出てこない。それでも流石に何も言わない訳にはいかない。


 「わたしh……」


 言葉がかすれる。意思のない言葉はハッキリと音にならない。


 「私は……!」


 それでもただ、ただ彼に負けたくない一心で声を絞り出す。そんなことをしてもなんの勝負にもならないというのに。


 「私は貴方を認めない……!!私の方がずっと!!!貴方よりずっと凄い魔術師なの……!!!」


 ぽかんと、大きな目を一層丸くさせ、彼はただ私を見ていた。


 「貴方になんか負けない……!!!絶対に……!!!私の方が凄いって、証明してみせる……!!!」


 周りにどれだけ注目している人がいるかも忘れて、私はただ、彼だけを見た。


 瞳の奥がちりちりと焼けるように熱く、頭の中はぐるぐると回るようで、思考なんてどこかに忘れてきたように感情に支配されていた。


 彼の瞳は私なんか眼中に無いように澄んでいて、そんなのただの被害妄想に過ぎないのに、そう感じて疑いもせずに、暗い感情は膨らんでいった。


 嫉妬心は言葉にすることで憎しみのような敵愾心に染まり、視線で彼を射殺して仕舞いたいほどに睨む。



 惚けていたか呆れられていたか。彼が口を開いたのは随分と時間がかかってからだったと思う。



 「えっと……?はい……凄かったですよね……?貴方の魔術、私なんかより」

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