第2話 「能ある鷹は爪を隠す」つまり爪を隠しきれなかった私は能なし
私シェリル・アンドレアがヴァンダルムくんと初めて出会ったのは十歳のころ。
王都にある、国内最大最高とされる教育機関、シェロン学園の入学試験でのことだった。
*
ドボラゴール王国では、貴族や豪商などの有力者の子息、推薦枠に選ばれた平民、戦場や冒険などで実績を残した人物などが集まる学園が、各大都市で開かれている。
入学最低年齢は数えで八歳。上限年齢はなし。
初等部と高等部があり、卒業までの年数は通常、三年ごとの計六年(高等部に進学しない事も可能)。商業科、騎士科、魔術科の三科は全国共通であり、その他にも都市によって様々な専門科目が用意されている。
ここシェロン学園ではその三科と他に貴族科があり、魔術科と合わせてその二科には特に力を入れている。その中でも魔術科は他国の教育機関と比べても最高クラスの教育水準を誇っていた。
貴族科に関しては単純に王都にあるため貴族が集まりやすい。そこに優秀な教育者が集められるのは必然だった。なので改まってなにか私から言えることは思いつかない。
だが他国から見ても、シェロン学園の魔術科は異質だった。
その異質さの一つの理由。この魔術科の多大なる名声のほとんどは、実情たった一人の存在が引き受けていたこと。
魔術研究のほぼ全分野において世界的権威であり、魔術戦闘においても多数の実績を残す、生きる偉人「ヴィヴィアン・ヴェストファーレン(通称『V教授』)」が一講師として教鞭をとっている。
それが魔術科の評価を底上げさせた一番の要因であった。
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そんなシェロン学園の試験で私が目指すのは、四科の中で最難関でもある魔術科。その中でも成績トップ三十名が所属を許されるAクラス。
初等部でもAクラスにいれば週に一度はV教授の授業を受けられる。
さらに、V教授本人の推薦か、初等部で優秀な成績を収め続けること。または魔術学会に貢献した、あるいは将来その可能性があると教員陣から推薦をうけた生徒は、高等部にあるV教授のゼミに入ることが出来る。
両親が王都魔法省の研究員で、小さな頃からヴィヴィアン・ヴェストファーレンの偉業を聞かされて育った私は、勇者や聖女や偉大な冒険家の伝説よりも、なによりもV教授に強いあこがれを持っていた。
いや、Aクラスを目指すような、魔術に魅入られた少年少女は、みんなある程度彼女に憧れや敬意を持っている。
その中でも私は誰よりも優秀で、誰よりもV教授を敬愛している。そんな自負と自信があった。
*
初等部入学希望者の魔力総合値は、大人も含めても多くて数千。魔術科合格者の大体は千を超えない人間の方が多い。
しかし当時私は既に魔力総合値が三万を超え、魔力操作練度、魔術強度の全てで高い数値を叩きだしていた。
両親の英才教育や才能も多大な影響を与えていたのだろう。しかしなにより自分自身の努力の日々が優秀な私を作り上げたのだと、そんな思いが私の自信を支えていた。
生まれつき強大だったせいか、魔力のコントロールがまだ少し不安だったという理由で、入学を少し遅らせることにはなった。しかしその間学び、修練した結果、受験生の誰にも魔術で負ける気はしなかった。
*
魔術科の試験は測定、筆記、実技があり、そのいずれかで結果を残せれば合格できる。
これは魔術的才能はあるが基礎知識を得る機会が無かった平民推薦者や、数値のみでは測りきれない技量経験値を持つ人物、実技的能力は低くとも魔術に対する見識が深い研究者志望などを振り落とさないためである。
様々な分野で能力のある人物を見逃さないようにする魔術科の視野の広さには感心する。
しかしそれはそれ、どの分野でも負ける気は無かったので私には関係の無い話だ。
目指すは当然主席合格。そんなことは通過点くらいに思って、当然出来るものだと思っていた。
そんな私の自信は、私の直後に実技試験を行ったヴァンダルムくんの、「ただの火球」によってあっけなく打ち砕かれた。
*
当時私は、実技試験官の中にV教授がいるのもあって前のめりになっていた。
とにかく良いところを見せたい。誰よりも目立って彼女に一目置かれたい。
私の放った魔法は、精一杯、制御出来るギリギリの魔力を込めた超級魔法「
天高くまで伸びた直径一メートル程度の炎の円柱を生み出す魔法である。
威力に定評がある火魔法の中でも最上級の威力を誇る魔法。一点集中された魔力はまず防御が不可能。最大限効果を発揮するのは直径一メートル程度だが、そこから半径十メートルは中型火竜も生存できない高熱と地面に押しつけられるような衝撃を発生させる。
詠唱時間が非常に長いため、実践的かと言われれば微妙なところだが、その分魔術詠唱分野の知識もアピールできる。
魔力総量の九割を使って、しかし効果範囲は操作して絞る。威力、派手さ、技量、知識を見せつけるのにこれほど適した魔法もそうはないだろう。
当然受験生、試験官含め全員が私に感嘆や驚愕の表情を向ける。
V教授も私を逸材と認めてくれたのだろうか。
彼女の勝ち気な相貌が、銘酒を手に入れた美食家のような笑みを浮かべる。さて、どんな料理と合わせようか。今にも舌なめずりをしそうなほどだと錯覚した。
ああ!私は今このときのため産まれたのか!いや、それはこれからのために変わるのだろう!明らかに彼女は私にぞっこんだ。教育者として、こんな逸材をどうしたって手ずから料理したいはずだ!
天にも昇る心地になった私は、それでもすました顔で一礼して次の受験生へと順番を譲るために下がっていく。さながら悠々と舞台の袖から袖へ、存分に使って演じる主演のように。
だれもかれもこの舞台上で私の一挙手一投足に目が離せないはずだ。
その時、端役の一人がスポットライトの陰で、しかしはっきりと舞台にあがった。
進行役の試験官が興奮冷めやらぬまま、それでも職務には忠実に、次の受験生を呼ぶ。
「ヴァンダルムくん。やりづらいだろうけれど、気負わないでね。
他の受験生の評価はあなたの成績にはなんにも影響しないんだから。自分の持てるものを見せてくださいね。」
優しげな垂れ目に丸顔。小柄な中年女性試験官は、その容姿にふさわしい優しい声色でうつむきがちな少年を呼んだ。
私はなんとも言えない高揚感のまま、だからこそ優等生ぶって次の受験生を見学することにした。
「まあ、私の次なんて可哀想ね。」なんて傲慢な考えを持ったって、それは当然なものだし、むしろ自分の中に慈悲深さすら感じてさらに気分が良い。
私よりも年下に見える少年は、可哀想に目線が前髪に隠れてしまうほどうつむき気味だ。
私の魔術をみて、心から打ちのめされてしまったのだ。
本心から彼が不憫で、同情する気持ちもあるのに、どうしても気分が良くなってしまうのが抑えられない。
「あなたはなにを見せてくれるのかしら?」
少年の緊張をほぐすためか、中年女性は文字通り小さな子供に対するようなほほえみを向けながら訪ねる。
「それじゃあ。火の玉を」
少年はやる気のなさそうな声で答える。投げやりになってしまったのだろうか。
顔は試験官に向けたまま、だらんと伸ばした右腕を少し上げると、腰の上辺りに来たところで手のひらを少し広げる。
魔力を込めるために少し手のひらに意識を向けたのかしら。それとも軽く体をほぐしたのだろうか。どう考えてもそんな程度にしか思えない、自然な動きであった。
その時、彼の魔力が殆ど感じられないままに、既に試験用の的は吹っ飛んで、かちかちとささやかに音を立てて地面で燃えていた。
私はおそらく時間にしては数秒間、思考が視覚情報を投げ捨てていた。意識が事実と繋がらず、ただ真っ白になっていた。
なにも考えられなかった訳じゃない。
ただ「なんなんだろう」とか「私よりちっちゃい子だよなあ」とか「私以外に何人が彼をちゃんと評価出来るんだろう」とか、そんな言葉が頭で咀嚼出来ないままぐるぐる巡っていった。
彼の魔法はすさまじかった。
でも受験生は一人もそれに気がつかない。それは私のせいでもあるだろう。
彼の魔法は目立たなかった。異常なほどに。
魔術を発動し、指向性を持たせるためには発動媒体や手のひらなどに魔力を集める必要がある。
指向性を度外視しても、魔力が無ければ魔術が発動しないのだから、当然どこかに必ず魔力が集まるはずなのだ。
しかし彼の火球にはそれが無かった。
いや、正確には魔力を知覚したときには既に的は吹っ飛んでいた。
無詠唱なのはまだわかる。下級魔術だったら無詠唱もそう珍しいことでもないだろう。
着弾が速いのもまあ、まあ百歩譲っていいだろう。熟練した魔術は発射連射速度や弾速自体を底上げ可能なのは常識だ。流石にこの速度は非常識だが。
だが魔力を練るのすら瞬きの間だとするのならばそれは非常識どころか異常事態だ。
魔力を感知できる人間は、練られた魔力を感じ取ることで相対する魔法を警戒することができる。
しかし今の魔力の錬成は、発動まで認識がほぼ不可能なレベルで瞬時。たとえ錬成していることに気が付けても、意識する前に発動されたのではそれは『認識できた』とはとても言えない。
発動から着弾までのスピードも、体感的にほぼ同時。コンマ何秒の世界だろう。
防御や対抗魔法、回避行動、逃走や反撃、どの手段をとるにしたって、相手を警戒しなければ選択肢すら浮かばないであろうことは自明の理。
彼の火球はつまり「絶対に避けたり防御出来ない魔法」であり、つまり「超実践的な魔法」なのである。
これを若干8歳の少年がやってのけたのだ!
的の有様を見れば、この火球は常人を無力化、いや殺害するのですら十分と言える威力である。
例えば彼と一対一での決闘をして、まともな戦闘だったと言えるような応戦が可能な人間が、果たしてどれだけいるのだろうか。……この技術があるとわかっていても難しいのではないかと思う。
金槌で殴られたかのような衝撃。しかし魔術自体はポピュラーな下級魔術。
この中の何名がまともに彼を見て、その異常さを認識出来たのだろうか。
おそらく受験生では私以外いないだろう。中年女性も「もう魔法を使ったのね!」なんてのんきなことを言っている。
しかし……。私ははっと振り向いた。V教授が血走った目で少年を見ている。
それは私に対するものとは違うもので……。
その視線のぎらつきは、銘酒を見つけたなんて穏やかな感情では収まるものではなかった。その目はまるで初めて女の裸に触れた旺盛な青年。……下品な例えになってしまったが、上品な顔には見えなかった。なにがなんでも「もの」にしたい。
そんな感情が織り交ざった荒い息が、その喘ぎを抑える考えすら忘れてしまっているほどV教授は興奮していた。
目眩がするほどショックだった。いっそ倒れてしまいたかった。
だけど未だ大多数は私の魔術に魅入られたままで、そんな状況に自尊心が刺激されて、それでもこのしぼんだ鼻には誰にも気付いて欲しくなかった。
そんな自分が尚更みじめで、必死に立っている地面がぐらぐらと揺れているようだった。
倒れないように、まっすぐに立つように。少しでも背中を丸めたら、これまでの私を支えてきた自信が嘘になってしまいそうで。自分の自尊心に申し訳が立たない気がして。
未ださめやらぬ私への賞賛の目線が、むしろ馬鹿にされている心地だった。
悔しかった。V教授の興味を一瞬で、しかも私の時なんかと比べものにならないほど執拗な興味を奪われた事実が。
自尊心が平気な振りをしろと体をがちがちとかためていく、その自分の本性のくだらなさが。
なにより、涼しい顔で、つまらなそうな眼差しで、やる気の無い素振りで、それでも素晴らしいとしか評価できない魔法を放つ彼は。
それが全く正当に評価を受けていない現状が。
私よりすごいのに。私なんかより。
それが私の、ヴァンダルム・V・ヴァルバスとの出会いだった。
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