第34話 勇気1
私、シェリル・アンドレアは、ここ最近自分の無力さに打ちひしがれてばかりいた。
誰よりも優秀で将来有望な魔法使いの卵。
そんな傲慢な自負はとうに崩れ去った。
だけどその後も日々、価値観を壊されるような衝撃のある出来事ばかりと出会うことになる。
けれどそれも最近では喜ばしいことのように感じていた。
自分の思い上がりを正せたばかりか、知るべきだったのに知らなかった世界を知れた。
それは新しい向上心へとつながり、『謙虚さ』なんてハリボテの心構えではなく、もっとハッキリとした『目標とする自分の姿』を思い浮かべる糧となっていった。
ただそれも、平和ボケのような閉じた世界の出来事でしかなく……いや、そんな閉じた世界で平和に自分を磨き続けられた方がいいことなのかもしれないけれど。
*
目の前にはゴブリンが二体。そして更に後ろから三体が、今まさに先の二体に合流しようと木の幹に足をかけている。
先程倒した三体のゴブリン。その最後の一体が断末魔で仲間を呼んだ。恐らくまだ増える可能性は高いだろう。
まだこちらが人数有利。ならば危険は少ない。
有利を取れているうちに目の前の五体を倒して、早いところでここから離脱しなければいけない。
近くに大人が控えているとはいえ、この状況ですぐに助太刀を頼めるかと言えば微妙だ。
それにまだ私たちだけで問題なく対処できる状況でもある。……ただ、模擬戦で慢心を折られた経験を経て、そして更に数を増やすかもしれない敵という事実の前に、私は不安を覚えずにはいられなかった。
不安は焦りとなり、視野を狭める。そう思ってなんとか振り払おうと敵に集中しようとすると、そのせいで視野を狭めるようになっていっている気がした。
大丈夫。大丈夫。息を大きく吐く。
まずはいつもどおりに隊列を組みなおそう。敵を倒し終えたと気を抜いて、私は今前に出すぎている。
隊列は乱れ最後衛が中心まで出てきて、いつの間にかギルベルトさんが一番後ろになっていた。
既にボズマーくんが号令をかけてくれている。
一旦私は振り返って、急いで最後衛に戻らなくては。
「誰かいるか!!!!?にげろにげろにげろ!!!!!!!」
振り返るとその向こう、木が邪魔で何も見えてはいないが、大人の叫び声が聞こえた。恐らく雇われた冒険者の男性の声。
ゴブリンに気を取られていたせいか、その上で気を取り直して隊列を組みなおそうと集中していたせいか。
どれにせよ言い訳にしかならないが、私はその叫び声の意味を頭の中でしっかりと理解できずに、その言葉は耳をすり抜けるように聞こえていた。
にげろ?なにから?
敵はゴブリンなのになにから逃げるのか。
よそにあった集中は、認識を上手く合わせてくれない。危険は目の前にしかないはずだと思考を鈍らせ、咄嗟に言葉の指す方向がわからない。
気が付けば私の目の前に「ばちっ」という音を鳴らす大きな獣の影があった。
影は雷を纏い、手近な人間に襲い掛かる。ように見えた。
速すぎて何が起こっているのか見えなかったし、理解が追い付かなかった。
気が付けばギルベルトさんは膝から崩れ落ち、頭をがくんと揺らして地面に倒れこんでいた。
「ギルベルトさん!!!!!!」
悲鳴のような声を出す。
無意識で上げていた音はきっと言葉の体をなしていなかった。
それでも「なにかあった」のはみんなに伝わった。
ボズマーくんは一番に剣を振りかぶり――――――そのまま影に吹っ飛ばされた。
ゴブリンたちのいる方向。
その後ろの木にめり込むようにぶつかって、糸の切れた人形のようにだらんと手足をぶら下げる。
とてもじゃないけれど無事には見えない。
その姿を見て一気に恐怖に支配された私は、その恐怖の対象からマヌケに目を離して飛んでいったボズマーくんを呆然と眺めていた。
「アアアアアアアアッ!!!!!」
メアリーの雄たけびが聞こえる。急いで視線を彼女に向ける。
大剣を上段から振り下ろそうとしていた彼女は、お腹からかくんと曲がり、そのまま地面へ背中から倒れていく。
そこには真っ白な狼がいた。
メアリーのお腹に頭突きをした後、こちらを一瞥すると体に再度ばちばちと雷を纏わせる。
瞬きの隙に視界から消える。後ろから物音がする。急いで視線をそちらへ向ける。
今度は断末魔の叫びをあげる間もなく、ゴブリンはすべて噛み殺されていた。
「あ……あ……」
私もヴィクトリアも、意味も解らず口を広げて、そこから空気を漏らすことしかできなかった。
「おおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!」
後ろから先ほどの大人の声がする。
長いバゲットを頭に乗せたような髪型をした冒険者が、片手剣と扉のような大きな盾を構えながら狼へと突撃していく。
「くそが!!!ガキをいじめてんじゃあねえぞ!!!!」
狼がその冒険者に体当たりを繰り出すと、大きな盾で押し返しながら男は叫ぶ。
よかった……!助かった……!早くみんなを治療して貰わないと……!
『大人』というだけで、私は大きな安堵を覚えていた。
一瞬ですべてをなぎ倒した『狼』が、どれほどの危険かなんて考えることもなく。
ただ『これでもう大丈夫』と思い込みたいがための、誤魔化しの安堵。今思えば、そんな自己暗示のような類だったように思う。
大盾は何度でも狼の突進を止めた。その度に冒険者は片手剣を狼にぶつける。
何度も何度も何度も。
けれど、何度剣をぶつけても狼は何も変わらず突進を続けた。
なんの痛痒も抱いた様子も見せず、ただ息継ぎをするように男に纏わりつく。
男はずっと苦々しい顔のままだった。
彼の技量は素人目でも『凄い』ものだったように感じた。
感じたそのままに危なげなく攻撃を逸らし、剣を当てる。
だけど男の表情はすぐれないまま。
剣は狼の表面を滑っていくようだった。
体に纏った雷が、剣を弾くように空気を震わせる。
何度当てても意味がない。これではいつまでも狼にダメージは通らない。
きっと男ははじめからそれを悟っていたのだろう。
「手だてがない」と。
けれどせめて狼の意識が私たちに向かないように、何度も何度も切りつける。
本当はその間に逃げなければいけない。
斬り合う最中だ。こちらに声をかける余裕はなんてあるはずはなかったが、男が逃げてほしいと思っていることはわかっていた。
けれど吹き飛ばされたままの仲間をそのままにしておくという考えが浮かばなかった。
……そしてそれも男は察していて、だからこそより一層に表情を曇らせていたのだろう。
バチンともう一度盾へぶつかりその勢いのまま後ろへ飛び退く。
狼は男を見つめるたまま、ばちばちと更に雷の威勢を上げる。
びっ――――――。
速すぎて、目にも耳にも止まらなかった。速度が音を掠れさせて耳に届ける。
その掠れた音と共に大気を震わせた獣の突撃。
それは冒険者の大盾を破り、そしてそのまま男の腹に大きな穴をあけていた。
「ガフッ……!」
目を見開いた男は口から赤いものを吐き出すと、膝を折ることも忘れてそのまま前へと倒れていった。
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