第37話 人質の付加価値(ユディング視点)

「いなくなったとはどういうことだ。目覚めたとの報告も聞いていないが」


戦の準備に向けて各兵団と調整を重ねていたある日、執務室に戻るなりサイネイトから告げられた言葉に、ユディングは低いうなり声とともに問いかけた。

生憎と、慣れている補佐官は首を横に振るだけだ。怯える様子は微塵もない。これが大臣どもなら、速攻で部屋から逃げ出している。


「侍女殿の話でも目覚められた様子はないとのことだ。それが今朝から姿が見当たらないらしい。寝間着も失くなっているから着替えた形跡もないとのことで、今城の衛兵たちと共に探してもらっているところだ。ただ、気がかりなのはセネットも一緒に姿を消している」

「どういうことだ?」

「昨日の見張りは彼だったんだが、妃殿下と同じく姿が見えない。誘拐か共謀か、はたまた駆け落ちか…」

「駆け落ち?!」


サイネイトの思わぬ一言に、思わず立ち上がってしまう。その拍子にバキリと堅い物が砕ける音が響いた。


「お前ね、執務机だって安くはないんだから早々壊さないでくれないか」

「適当に予算組んで捻出しろ。それより話の続きだ」

「戦の準備中に余計な出費とか困るんだが…とにかく、侍女殿が何故か誘拐の線を頑なに否定しているんだ。共謀も考えられないという。まぁ自国の姫が一国を貶めるようなことを企んでいるとは明かさないだろうから、その線も一応洗ってはいるが。現時点で一番ありそうな話が妃殿下とセネットとの駆け落ちというわけだ」

「…………」


ユディングに不満があったのだろうか。逃げ出すほどに?

だが彼女は何時だって楽しそうに自分の隣で笑っていたじゃないか。それが何を思って別の男との駆け落ちなんぞに発展するのか。


「やっぱりショックか?」

「分からないが、何か苦しい気はする」

「感情激鈍のお前にしちゃ上出来だよ。セネットのことなんだが、もともと奴は東の出身だ。だからこそ妃殿下の迎えの隊長にも任命した。島国と繋がってたかどうかはわからないが、彼女と上手くいっちゃった可能性もないわけではないが…」

「お前は彼女を侮辱したいのか?」


一国の皇妃が、騎士と連れだって駆け落ちだなんてとんだ醜聞だ。

皇帝であるユディングの面目も丸潰れだ。

それを補佐官から聞かされるのだから、渋面を向けたくもなる。


「ありそうな話をしているだけだって。そう殺気立つなよ。散々間者じゃないかと疑ってた俺が言うのもなんだが、普段を見てれば、妃殿下がお前を想っていたってのもまぁ間違いではないと思う」

「つまり?」

「拐かしの線が濃厚じゃないかと思うが、妃殿下に人質としての利がないんだよ。お前がそこまで妃殿下を大事にしてるって、近くにいないとわかんないんだよな。実際に大臣やお前の叔父上殿は目にしてるから度肝抜くほど驚いただろうけど。皆信じられないからか、噂はそんなに広まってないんだ。隣国が政治利用のために連れ去るにしては早すぎるんだよ」

「俺が付加価値をつけよう。そうすれば、危害は加えられないだろう」

「まてまてまて。ややこしいことするなよ。ただでさえ相手の目的が見えないってのに、妃殿下に付加価値をつけるような行動は止めてくれ。ますます最初の動機が分からなくなるだろうが!」

「だが彼女が泣いていたらどうする?!」


ただでさえ小さくて壊れやすいなよやかな少女だ。

十五歳で他国にたった一人で嫁いで恐ろしい噂のある皇帝に健気にも想いを寄せてくれた。病弱でほとんど出歩いたことがないから、助けた自分を英雄視までして。

そんな憐れな彼女が怖がっているというだけで、いたたまれなくなる。


「お前が随分感情的になって、相手を思いやることに感動を覚えたわ。やっぱり妃殿下に嫁いでもらってよかったな」

「今、そんなことを言ってる場合じゃないだろうが。とにかく、俺も探すからな!」

「だから、余計な付加価値をつけるなって言ってるだろうが」


二人で言い合っていると隣国からの書状が届いたと連絡を受けた。書状を開いてみれば、妃殿下の身柄を預かっているとのこと。速やかに降伏されたしと結ばれている。


「やっぱり、隣国の仕業で誘拐されてるじゃないかっ」


憤れば、サイネイトは尚も不思議そうに首を傾げるだけだった。


「いったいどんな情報が流れたんだ?」

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