書籍化発売記念SS
上機嫌で鼻歌まじりに廊下を進むテネアリアは、後ろを振り向かずに告げる。
「何か言いたいことでもあるの?」
「ないわけないですよね……」
いつものじとりとしたツゥイの視線を感じながら、テネアリアは首を傾げてみせた。
「あら、一つも心当たりがないわ?」
さあ困ったと言いたげに返せば、後ろから怒気の孕んだ空気が放たれた。
こんなにわかりやすい護衛なのは、問題なのではと思わなくもない。
いつもは冷静なくせに、ツゥイの沸点は低い気がする。
「姫様は、どうしてそれほど陛下に近づかれるのです?」
「大好きな英雄様だから?」
「あれほど、邪険にされているというのに……っ」
呆れ果てたように告げるツゥイに、テネアリアはにっこり微笑む。
「お前は、主人を怒らせたいの?」
「現実を突き付けているだけです!」
「何が現実よ。主人の健気な努力を褒めるでもない侍女に、何を言えと? しかもユディング様の態度が邪険? あれはね、盛大な照れ隠しよっ」
テネアリアが大きな声で啖呵を切れば、なぜかツゥイが真っ青な顔をして震えた。
「あ、ああ……」
「何よ、どうかしたの?」
「ひ、姫様……っ」
ツゥイはぶるぶる震える手で、テネアリアの肩越しを指さす。
その示す先を目で追えば、苦虫を万匹以上噛み潰したかのような悪鬼の姿があった。
テネアリアの最愛の夫であるユディングである。
「ユディング様!」
るんたっと浮かれた気持ちで彼に近づけば、ひっと息を呑むツゥイの声が聞こえた。
やはり彼女は護衛としては失格では?
まあ、夫に警戒する必要は微塵もないのだけれど。だとしたら、別にツゥイが仕事をしなくても問題はないのか。
テネアリアがにこにこと笑顔でユディングに近づけば、彼は身を屈めて小さな体を抱き上げてくれる。そのまま定位置の腕に腰かけさせてくれた。
顔はしかめっつらであるというのに、さすがは優しいユディングである。
条件反射って素晴らしい。
これまで頑張って躾けてきた甲斐があると言うものだ。
「妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しく……」
皇帝補佐官であるサイネイトが、なぜか笑いを噛み殺しながら、テネアリアに頭を下げた。
何か彼の笑いに触れるようなことをしただろうか。
全く身に覚えがなくて、テネアリアはユディングの紅玉の瞳を見つめた。
「これから、陛下のところでお茶にしようとお誘いに行くところでしたの。出会えてよかったですわ」
「……今から仕事だ」
「ちょっと軍の視察に行くことになったのです。残念ですが今日は難しいですね」
「そうですか」
しょぼんとテネアリアが眉を下げれば、ユディングがずんずんと歩き出した。
軍の鍛錬場に向かうのかと思えば、方向が違う。
「どちらに向かわれますの?」
「……部屋に送る」
「ありがとうございます!」
少しの間でも一緒にいてくれる心遣いが嬉しい。
ごろごろと喉を鳴らして、ユディングの頬にすり寄れば彼はますます渋面になる。
「――なるほど、照れ隠しねえ」
必死で笑いをかみ殺して呟くサイネイトの隣では、真っ青なツゥイがそんなわけないですと必死で首を横に振っていたのだった。
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