第3話 皇帝の噂

「あ、あんまりです…」


簡単な婚姻式が済んで、自室へと案内され二人きりになるとツゥイはへなへなと床に座り込んだ。

緊張の糸が一気に切れたようだ。


「どうかしたの、ツゥイ」

「どうかしたのじゃありませんよっ、なにが格好いいんですか。あんなの噂以上におっかないですよ。噂では気に入らないからと磔にして、無実の罪で毒殺して、暴虐の限りを尽くす血も涙もない方だそうじゃないですか。まさに、噂通りの全力で納得できるほどの強面じゃないですか。ずっと仏頂面で不機嫌そうで。それなのに、頭を撫でるわ、腕に抱えて運ばせるわ、もう絶対に殺されますよ」

「大丈夫よ。それに、婚姻を申し出てきたのはあちらだもの。殺されることはないわ」

「姫様のその自信はどこから来るんですか…?」


どこから、と言われてもとテネアリアは小首を傾げて部屋を見回す。

真新しい部屋の家具はいずれも少女が気に入りそうな可愛らしいものだ。

床に敷き詰められたクリーム色の毛足の長いの絨毯も白を基調とした机も衣装箪笥もどれも歓迎されていることが窺える。

隣の部屋は寝室だろう。その扉も可愛らしい花が彫られている。

乙女の夢が詰ったような部屋なのだ。


「だってこんなに配慮されているでしょう。素敵なお部屋だわ」

「部屋なんてどうとでも取り繕えますよ、それにこんな可愛らしい家具が調達できるなんて絶対陛下の指示じゃないですよね。あの強面から想像できません、気をきかせた部下の方ですよ。それよりも陛下ですって。出会ってから式が終わるまで、ほとんど口を開かなかったじゃないですか。誓約だけはきちんと答えておりましたが」


先ほど、皇城の中の礼拝堂で上げた式を思い出しながら、ツゥイは真っ青で震えている。


「単に口数の少ない方なのよ」

「口数が少ないっていうレベルでもないですよね?!」


床に座り込みながら怒鳴ってくるのだから、元気があるんだかないんだかわかりにくい。


「噂は噂よ、わりと気安い方かもしれないわよ」

「何にもないところから噂はたたないですからね、絶対に元になった話があるんですよ。現にあの場にいた重鎮たちはいつ陛下が剣を抜くかヒヤヒヤされていらっしゃったではないですか」

「よく見ているわね」

「よく見なくても気づきます。皆顔色が悪く俯いていて、どこが婚姻式ですか。まだ葬式のほうが明るい雰囲気ですよっ」

「それはさすがに私に失礼なのではなくて」

「真実です、事実です、現実です!」


人生における幸せの象徴に対して、人生の終焉だと評価するのはいかがなものか。国同士の結婚などそこに幸福や愛を介在しないことはままあることではある。むしろない方が多い。

だが、それを今、主人につきつけなくてもいいだろうに。

やけっぱちで叫ぶ侍女に、さすがに苦笑してしまう。


確かにユディングには悪い噂しか聞こえてこない。

彼は先代皇帝の側妃の子供で、本来ならば継承権は二桁。つまり絶対に皇帝になりえない人物だった。そのため物心ついた頃から戦場で兵士として駆けずり回っていた。いつしか隊長から師団長になり大将へと出世していく。常に戦場が居場所で城どころか帝都にいることもまれだった。それが幸いしたのか、帝都を襲った流行り病で皇帝一家が揃って亡くなり、生き残ったのは彼と先代皇帝の弟だけになった。その先代皇帝の弟も兄の不興を買って僻地で幽閉されていたから助かったようなものだ。

結果、皇帝位についたのは二十歳の将軍たるユディングだった。

だが戦場しか知らぬ男は城の中でも剣を振るう。


目の前で愛想笑いをした臣下の首を刎ね、反対意見を述べた自国の貴族を串刺しにし、敵国の者というだけでなぶり殺し。子供だろうが女だろうが病人だろうが老人だろうが平等に殺してきた、らしい。

帝国側が意図的に流している噂であると思うが、彼が実際に戦争狂であることは変わりない、ということをテネアリアは知っている。

だからあんまり強く否定できないのも事実なのだが。


「でもほら、今だって私は無傷で生きているわけだし」

「はあ?! 全く何をご存知なのかは知りませんが、酷い目に遭うのは姫様ですからねっ……まあ、あの補佐官様が肘鉄食らわせたときは目を疑いましたけど」

「肘鉄…?」

「馬車から降りるときですよ。ものすごい速さでどすっと…そうですね、姫様はヴェールを被っていて見えなかったんですね。たぶん後ろからも見えないように上手にしかけてましたよ。姫様が挨拶してしばらく無言で見つめ合っていたときに補佐官様がされたんですよね。まあ、幼馴染みの一番信頼している方ですから、処罰されることもないのでしょうけど。かなりの不敬でしたね。だから、姫様の行動も許されるのでしょうか…?」


半信半疑になりつつぶつぶつと自分と会話している侍女を改めて見つめる。

先ほどからずっと気になっていることがあるのだ。


「ねえツゥイ。私も正式に婚姻式をしたのだから皇妃と呼んでちょうだい」

「かしこまりました、妃殿下。この後は晩餐の時間までは自由時間ですが、いかがされますか」


ようやく落ち着いたのか、立ち上がるとツゥイはすっかりいつもの侍女の顔だ。


「まずは着替えを。その後はひと眠りするわ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る