第12話 皇帝の瞳
ばんっと執務室の扉を開けば、ユディングの渋面を向けられた。
眉間の皺も深く、口はぎりりと固く閉じられている。
だが彼が不機嫌になろうが知ったことか。
こちらはしっかり怒っているのだから。
「こんばんわ、陛下。お食事の時間ですわ。こちらにご用意させていただきますわね」
「は?」
「いやあ、妃殿下が自ら来てくださって助かりました。では、後はよろしくお願いします」
「は…いや、おい、サイネイト?」
「俺は先程から散々忠告しましたよね、しっかりと身に染みてください。女性を怒らせると怖いんですよ」
「ま、待て…」
初めて皇帝の弱々しげな声を聞いた気がしたが、表情は全く変わらない。
開けた扉をサイネイトが丁寧に閉める。
執務室には二人きりだ。
テネアリアはソファの前のローテーブルに食事を並べて、にっこりとユディングに微笑みかけた。
だが、彼は盛大にのけぞった。
失礼な。まだ何も言っていないのに。
「食事の用意が整いましたよ、こちらへどうぞ」
「あー、まだ仕事が…」
「急ぎの分はないと聞いています」
「はい、ソウデスネ」
盛大にため息をついて、ユディングは渋々とソファに座る。
テネアリアはすかさず、彼の隣に腰かけ、ぴたりと腕にくっついた。服の上からでもわかる逞しい腕の感触に魂が震えるが、きっちりと蓋をする。
「……近い、んだが」
「私、陛下の妻ですから。これが適切な距離ですわ。それよりも、こちらを先に召し上がってくださいな。食前酒になります」
グラスを押し付けると、彼は無言でそれを呷った。
「次はこちらの前菜を。はい、どうぞ」
皿に盛られた前菜のうちの一つを匙に乗せて、彼の口元に持っていくと彼はぱくんと食べた。
「美味しいですか」
「いや、味はしないが…」
「美味しいですよね?」
「うん」
「よろしい。では、次はこちらですわ。テリーヌになります」
「うん」
次々口元に運ぶと、彼は頷いて食べ続ける。
美味しいかと聞けば頷く。なんとも素直なことだ。
表情は渋面のままだが。
困っている顔ということなのだろう。
怒っている気持ちが萎んで、思わず苦笑してしまう。
食事がデザートにまで及んで、ようやく怒涛の口元へ食事を運ぶ手を止める。
「甘味はそんな顔をして食べる物ではありませんわ」
眉間の皺を伸ばすようにそっと縦に指を動かせば、紅玉の瞳がこぼれんばかりに見開かれた。
「お前は、俺が怖くないのか」
「怖い、ですか? いいえ、全く」
むしろ飼い犬を可愛がっているような心境だ。
犬を飼ったことはないが。
「…変な女だな」
「陛下の妻ですわ。お気に召しません?」
「ん、いや、悪くはないが…どうにも信じられないな。お前は俺のことを知らないだろう。割と人殺しだ、物心つく頃からの。戦争ばかりしているし、見た目も悪鬼みたいだろう。まあ、お前は見た目は怖がらないが。世間知らずだからか」
「宝石を溶かし込んだかのような、夕焼けの紅のような、綺麗な紅玉ですよ?」
心意を述べれば、彼は口角を上げた。
彼なりに面白がっている表情なのだろう。わりと希少だ。拝み倒したい。
だが、続く彼の言葉には思わず震える。
主に怒りで。
「ふっ、この瞳は血の色だよ。鮮血の色だ。母の命を奪って産まれた罪人の証だからな」
「なんです、そのおとぎ話は。どんな物知らずに言われたのか知りませんが、山間の光の届きにくい場所にはたくさんいますよ。ここまで綺麗な赤色はいませんけど」
「見てきたかのように言うんだな」
「……誰かが話していたのを聞いたのです。ですから、陛下。それは血筋であって愚かで蒙昧な迷信などではございません」
きっぱりと断言すれば、彼はふっと表情を和らげた。はっきりとやわらいだ顔に、心の中で平伏して崇め奉る。
「戦争狂いなのは本当なんだがな」
「それは陛下の環境のせいであって、個人の嗜好ではございません」
「それも見てきたかのように言うんだな」
「勉強しました。嫁ぎ先の国のことですから」
「勉強熱心なことだ」
「私を助けてくれた英雄様の国のことですもの。愛しい夫の国のことだからです。ね、陛下。私は貴方を愛しているんです」
何があったとしても、テネアリアのこの気持ちだけは間違いがない。
テネアリアは彼を心底、愛している。
「だから、それが、どうにも信じられない」
「信じられなくても何度でも言います。私、テネアリアはユディング様を心から愛しているんです」
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