第10話 皇妃の瞳(ユディング視点)

「熱烈だったねぇ」


テネアリアが出て行った執務室で、サイネイトがからかい混じりに口笛を吹いた。


「…おかしい。騙されてるんだ」


執務机に座りながら、ユディングは頭を抱えて呻いた。

ツゥイが用意した軽食はサンドイッチだ。久しぶりの固形物もなんのその、胃はきっちりと食べ物を収めた。自分の胃袋も性格と同じで大雑把なのだ。わかっている。

だが、テネアリアが給仕してくれた食事は、少しも味がわからない。

石を食べていても気づかなかっただろう。


楽しそうにサンドイッチを差し出しては、食べてと勧めてくる。黄金色の濃い金髪の長い髪を揺らして小首を傾げて、真っ白な可憐な手にサンドイッチを持って、そっと差し出してくる。青緑色の瞳をうるうるとさせて見つめられれば、言葉が出なくなる。

そもそもソファに隣どうしに座って、口元に運ばれては嫌ともいえない。

結局、用意されたすべてを平らげた。


地獄だ。

戦場の方がずっとましだ。

敵兵百人に囲まれた時だって、ここまで絶望した気分にならなかったのに。


四面楚歌、背水の陣、崖っぷち。

浮かぶ言葉が物騒なものばかり。


それでもテネアリアは楽しそうに旅の道中や昨日一日の話をユディングに語る。

自分からの返事はうむとか、ああとか、そうかとかしかでないのに、会話らしい会話になっているのが不思議だ。

サイネイトに後で確認すれば、すべては彼女の采配だとのことだが、もちろん自分の手柄だと主張するつもりはない。


皿が空になって、茶を飲み干した時には長い行軍を終えてようやく城に帰還した時のようなやり切った気持ちになった。

だが彼女が去り際に、晩餐も楽しみにお待ちしておりますという言葉に、再度地獄に突き落とされたような気持ちになったが。


「誰が、何に騙されてるんだよ」

「彼女が俺に、だ。きっと彼女は噂とか知らなくて、俺がどういう人間か知らないんだ」

「いいじゃない、熱烈に愛されるなんてなかなか経験できないよ。しかもあんなに可愛い年下の奥さんにさ。もうデロデロに溺愛されちゃえば?」

「勝手なことを言うな!」

「いや、それが彼女の幸せだって言うならいいんじゃないかな。本人の望みなんだから。最初に言っただろ、囚われの姫君は助けてくれた英雄に惚れるって。おとぎ話が実現したんだからもっと喜べよ」

「求婚もしてないし、迎えにすら行ってない。俺じゃなくてもいいだろうっ」

「でも結婚した相手はお前だし。若い奥さんと仲がいいなんて結構なことだよ。問題なし」

「大ありだろ…はっ、わかった。なんだか俺がいい人に見えるような思い込みなんだ、すぐに彼女に現実を突きつけて目を覚まさせて」

「お前が混乱してるのはよくわかった。ついでに彼女がなんでそんなことを言いだしたのか確かめてみればいい。納得できないなら存分に疑えばいいだろう」


そうだ、全く愛されるという行為がわからない。

母は自分を産み落とすと同時に亡くなった。父は子供には興味のない男だった。皇族といっても末端にすぎない自分には乳母と乳兄弟とサイネイトくらいしかいなかった。だがすぐに乳母は病に倒れ、乳兄弟とは一緒に戦争に行って戻ってきたのは自分ばかり。結果的にサイネイトくらいしか自分の傍に残らなかった。

だから、孤独はわかる。一人ということだ。だが、愛はわからない。誰も教えてくれなかった。家族は死に、恋人もいない。友情だけ、少し信じられた。

自分には理解できないのだから、妻の言葉などわからない。それならば、彼女がそう思い込む間違いを一つ一つ訂正してあげればいいのだ。

そうすれば、いつか彼女も気が付いて、自分から離れていくに違いない。


なぜそんな面倒なことをしなければならないのかと思いはするが、あのキラキラした青緑色の瞳を向けられると何も言えなくなるのだ。だから、彼女から自発的に離れてもらうしかない。


「そういえば、彼女の瞳は青緑色だな」

「確かに、虹色って不思議な色だなと思ったけれど。でも青緑色でも綺麗な色だよ。感情が揺れると青みが強くでて色が変わるところなんて神秘的だしね」

「そんな真近くで見たのか?」


ユディングが彼女の瞳の色が変わることを知ったのはソファで隣に座っていたからだ。光の加減かと思えばそんなことはないらしい。サンドイッチを差し出す時は青みが強く、食べ終わった途端に緑が増した。だがそれは近くにいたからだ。

そんな距離で二人は何をしたのだ。


「お前の話を散々せがまれたんだよ。俺にとっては何にも楽しくない時間だったな」


げんなりとした表情のサイネイトを見て、胸のムカムカが少し落ち着いたのをユディングは首を傾げつつ気のせいかと思うのだった。



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