第48話 荒唐無稽

隣国との国境沿いの山々を覆うように、真っ黒な雲が空を覆い隠した。

身を震え上がらせるような冷たい風が吹き、そうしてぽつぽつと振りだした雨は、次第に激しさを増した。


山の天候は変わりやすいとは言うけれど、さきほどまで晴れていたのだ。

あっという間に厚い雲に覆われ、空を見上げた隣国の兵士たちの表情はどこか暗く不安げでさえある。


そんな不安を煽るように強い雨が降りだした。ゴロゴロと稲光が走り、誰彼と言わず、辺りを見回す。

お互いの顔色を窺うように、視線をさ迷わせる兵士たちは、そうして一頭の馬が駆けてくるのをぼんやりと見つめた。


横殴りの雨風をものともせず、真っ黒な毛並みの軍馬が颯爽と駆けてくる。

軍馬であるので、その馬の体躯は通常よりもかなり大きい。特に帝国で量産され使われている馬種は独特で、どこの国よりも大きいと言われている。

だが異様なのは、その軍馬に跨がり自然な様子で乗りこなしている人物である。


目の錯覚か、雨足の強い中視界もはっきりしないけれど、とても大きいのだ。

むしろ軍馬が小さく見える程に大きい。


普通の人間の筈だ。

馬に乗っているのだから。


けれど悪天候の中、帝国の鎧に身を包んだ黒ずくめの男は、とても巨漢で人ならざるものに思えた。


一様に竦み上がった兵士たちは、だが敵襲だとようやく鈍い頭を働かせて行動に移した。

矢をつがえ、軍馬に跨がり、鎧を身につけ、剣をとる。


けれど、雨風がいっそうなぶるように兵士たちを襲ったものだから、誰一人としてまともに動ける者はなかった。

矢を放つも風に煽られ前に飛ばず、馬に乗れば吹き付ける雨風で上体を起こすこともままならない。剣を構えることすら難しい状態だった。


仕方なくなんとか馬に乗れた幾人かが巨漢が操る軍馬の進行を阻む形で前に出るもあっさりと蹴散らされて、ある者は落馬により首を折り、ある者は一際大きな軍馬の逞しい脚で踏み潰され、ある者は巨漢が振るう刃の餌食に倒れた。


敵襲の伝令の声も荒れ狂う雨風の音で僅かにしか聞こえないのに、何故かポツリと呟いた血濡れの悪鬼の言葉はやけにくっきりと耳に残る。


――血濡れの悪鬼、戦闘狂いのオーガ。


人の血を啜るほどに赤く輝く紅玉の瞳は、もはや人外の証だろうか?


ユディング=アウド=ツインバイツ。

今は兜で隠れているけれど闇を背負った黒髪に、深紅に煌めく瞳は隠しようがなく、戦場の兵士たちに絶望と死をもたらす、ツインバイツ帝国の第十二代皇帝である。


もうだめだ。


誰からともなく呟かれる絶望の声に、戦意喪失するのも当然といえた。


戦場においては数が物を言う。

三千人という数の有利さに、相手が単騎で突っ込んでくるなど物語であってすら聞いたことなどない。そのうえ、馬に乗るのも苦労するほどの悪天候である。その中を悠然と駆けてくること自体がすでに奇怪だ。


荒唐無稽で、法螺話にしたってありえない。


だというのに、目の前で起こっている現実はどうなのだ。

漆黒の巨漢は驚くほど大きな軍馬に跨がって敵陣の真ん中を駆けているではないか。


それほどの自信なのだ!


死など彼は恐れない。そもそも敵に死をもたらす存在が死など恐れるものか。


そもそも天候を操れる者が人間のわけがない。

人外に挑んだところで、人に勝ち目があろうはずもない。


そうして兵士たちが茫然と見つめる中、一際大きな天幕から出てきた将軍が喚くように声を上げた。


「それ以上抵抗すれば、小娘の命はないぞっ!」


豚のような醜い将軍に抱えられた小さな少女は、苦痛のためかその美しい顔を歪めつつ、ただやって来る皇帝へと視線を向けていた。





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