第49話 ひと目
真っ青な顔で天幕の中に転がり込んできた豚のような男に冷めた視線をむけながら、テネアリアは傍に控えた二人の様子を窺っていた。
セネットとアタナシヤには、事前に話をしている。乗り込んできた男の暴挙には目を瞑ってほしいと。
助けると思いますか、とセネットに告げられた時には、怒り狂ってやろうかと考えたほどだったけれど。
おかげでうれしいという感情を抑え込めたのは誤算だ。
愛しい人が近づいてくるというだけで歓喜が湧いてきて。気を抜くだけで晴れ渡った空になることは間違いない。
――今日は嵐になるとセネットからユディングに伝えてもらったというのに、それは計画的にもよくない。その上、ユディングが危険に晒されることになる。
『ウレシイ』
『違う違う、怒りとか苦しいとかそっちだから!』
『クルシイ』
『イカリ』
周囲に念じるように思考を飛ばせば、やや疑問を感じさせながらもなんとか保てた。ゴロゴロと雷が鳴り、雨がザアザアと降っている。まずまずの結果といえるだろう。
豚が現れたのは、テネアリアがそんな葛藤をしているときだ。好都合と喜ぶ間に不快感が増す。
先程よりもずっと荒れ狂う外の様子を窺うに、成功を確信する。
だからこそ、豚がそのままテネアリアを捕まえて天幕の外に引っ張っていったときはそのままにするように二人にも頼んでいた。
これが一番大切なことだ。
痛いのは嫌いだけれど、大嫌いだけれど、愛しい人が傷つくくらいなら、よほどましだ。
テネアリアの細く小さな体に銅ほどもある腕が巻き付いた不快感にも耐えられるし、臭い息が頬にかかってなんだか唾まで飛んでくるような気もするけれど、嫌悪感にも耐えられる。
心底、気持ちは悪いけれど。
そんなテネアリアの心情にも気づかぬ程に、男はぶつぶつと喚いている。
「なぜだ、この娘は雷避けになるではなかったのかっ」
「妃殿下には雷は当たらないと申し上げたはずです」
追ってきたセネットがすかさず返すが、男はほとんど答えを聞いていなかった。
引きずるようにテネアリアを抱えて足早に天幕の外に出て、やってくる黒く大きな塊に向かって怒鳴る。
「それ以上抵抗すれば、小娘の命はないぞっ!」
抱えたテネアリアを見せつけるように全面に押し出して、男が力の限り叫んだ。
彼女が苦痛のためにその美しい顔を歪めようが、少しも構う様子がない。
けれどそれはテネアリアも同じだ。
ただやって来る黒い塊――黒馬に跨った夫である皇帝へとまっすぐに視線を向けていた。
ひたすらに唇を噛み締めて。
叫び出さないようにするのが精一杯だった。
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