第32話 試飲会
足を一歩踏み出せば、そこには礼装姿の人たちでひしめき合っていた。
高い天井に一際輝くシャンデリア。さざめき談笑し合う人たちの熱気で眩暈を起こしそうだ。
「大丈夫か?」
舞踏会場に入るなり言葉を失ったテネアリアに不機嫌そうな声がかけられた。
いつも通りの重低音に安心してほっと息を吐く。
面会から一月後の今、テネアリアはユディングと二人、プルトコワ=デル=ツインバイツの公爵邸に来ていた。ワインの試飲会を兼ねた舞踏会の会場だ。
そのため婦人たちは、夜会用の華やかなドレスを身にまとっている。男性たちも華美な衣装が多い。
もちろん、テネアリアとユディングもサイネイトが用意した舞踏会に相応しい服装だ。ユディングは黒の上下のスーツで、いつもに増して厳つい。格好良すぎて目眩を覚えるほどだ。
対してテネアリアは薄紅色のレースがふんだんに使われた可憐なドレスを纏っている。頭には真珠のあしらった髪飾りが輝く。
ツゥイに支度をしてもらったが、彼女すらこんな豪奢な衣装を触るのはためらうと半泣きになっていた。島国では考えられないほどの贅沢な衣装だ。
それだけでも十分に気おくれしているのに、人の波に驚かされる。
「こんなにたくさんの人の中に入るのは初めてで…」
入場の挨拶はメインがワインの試飲会ということで勘弁してもらった。ユディングもとくに気にした様子もなく、二人でこそこそと会場入りしたのだが。
どちらにしろ、テネアリアには重責だ。
「叔父上のワインは特に人気で、好事家が多い。新作の試飲会はどの貴族も楽しみにしているから、それなりに人が集まる。叔父上に挨拶すればすぐに帰れるが」
「お気遣いありがとうございます。でも平気ですわ」
ユディングにエスコートされている腕をぎゅっと掴んで、にこりと微笑めば彼は小さく頷いただけだった。
それだけで嬉しい気持ちが湧き上がって、声が弾む。
気遣ってくれる彼の優しさに。
一緒に並んで歩いてくれる信頼に。
テネアリアの口角も自然に上がる。
「とても楽しみです」
「酒は飲み慣れていないと辛いぞ、羽目を外すな。綺麗な恰好を崩したくはないだろう」
衣装に着替えて馬車に乗り込んでここまで到着しても何も言わなかったユディングが、初めて綺麗だと褒めてくれた。
衣装が綺麗なのはわかっている。褒められているのも衣装だと知っている。
それでも褒めてくれたことには代わりない。
さりげなさ過ぎて、テネアリアに心の準備が全くできていなかった。
ばんっと壁を叩きつけるかのような突風が吹き荒れて、小さな悲鳴があがる。
「季節外れの強風か…?」
「そうみたいですね、ああ、ユディング様、あちらにあるのがワインですか?!」
テネアリアは慌ててユディングの腕を引いて、樽がずらりと並べられた方に近づいた。
隣の長いテーブルにはワインが注がれたグラスが綺麗に並んで、人々が次々と手に取っていく。
「ようこそ、皇帝陛下、妃殿下」
ワインの樽を眺めているとすぐにプルトコワが近づいてきた。
彼も主催者らしい落ち着いた格好をしている。随分と華やかな顔立ちの男だと改めて思う。
「お招きありがとうございます」
「こちらこそ、妃殿下が堅物の甥をつれてきてくれてとても感謝しています。なんせ随分と会ってくれなかったからね」
「理由がない」
「理由がなくても血縁なのだから、顔を見て話したいものなんだよ。戦争から帰ってきても顔も見せない。こちらから会いに行っても忙しいと突っぱねる。もう何年、顔を合わせていないと思ってるんだい」
ユディングは渋面のままむっつりと黙り込んだ。
きっと年数を考えているのだろうが、まったくわからないに違いない。ここにサイネイトがいればすかさず助言してくれただろうが、テネアリアには彼らがいつから顔を合わせていないのか見当もつかない。
だが気分を害した様子もなく、にこやかにプルトコワは微笑んだ。
「あちらに席を用意したんだ、少しくらいは話をしようじゃないか」
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