プロローグ

「求婚、だと…?」


ツインバイツ帝国の第十二代皇帝陛下であるユディングは、執務室の机に深く座りなおしながら渋面を隠そうともせずに呻いた。


聞き間違いか、さもなければ相手の言い間違いか。

求婚しろと言われた気がしたが。


淡い期待を込めて、目の前で柔和な笑顔を浮かべるサイネイトを見つめれば彼は表情も崩さずにこくりと頷く。


その時の衝撃を正確に言葉にするのは難しい。


「必要な―――」

「必要ないって言葉は聞かないからね」


サイネイトは皇帝の補佐官という肩書だが、戦の際には有能な戦略をはじき出す戦略担当でもある。そして物心つく頃からの幼馴染みでもあった。

気心はしれている。だからこそこういう時の自分の反応もわかっていることを知っている。


否定の言葉を遮られて、むっつりと押し黙る。


ユディングは漆黒の髪に、血に濡れたような真っ赤な瞳を持つ。大陸では珍しい色合いは母が北方の山岳部の出身だからだ。山間の奥地から戦に出た前皇帝の戦利品として捧げられた美姫だった。残念ながら自分に受け継がれたのは色合いだけで、容姿は完璧に父に似た。

艶やかな女がごつい男になると途端に不吉と蔑まれる。その上、そんな不気味な配色の上に黙ると物騒な雰囲気が増す。

太い眉の間には深い眉間が刻まれ、高い鼻梁と彫りの深い容貌が合わさってさながら伝説のオークのような風貌である。しかも大陸人の中でも大きい体躯にはがっしりと筋肉を纏う。つまり、とてもいかついのだ。


二つ年上のサイネイトは威圧があって格好いいと思うけどと褒めてはくれるが、戦争狂の悪鬼と囁かれているのも知っている。事実、戦ばかりしているので否定もしないが。


「それに、もう遅いんだ。だって求婚の申し出を先方に送って返事ももらってるんだよね」

「それは求婚しろとは言わない」


求婚しろではなく、求婚したの間違いだ。むしろ結婚しろ、でもいい。

勝手に求婚したのは問題だが、すでに返事が来ているのなら話は簡単だ。

そんな帝国の戦闘狂の元に嫁いでくるような女など大陸広しといえど、決していない。


それこそユディングが皇帝になってすぐの二十歳の頃はひっきりなしに縁談が舞い込んだが、戦争に明け暮れているうちにすっかりなくなった。

戦場での残虐非道な行いが周辺に知れ渡ったのだろう。ついでに、オークのような外見も伝わったに違いない。

帝国内の有力貴族の令嬢が縁談を辞退し、周辺国の姫君たちも軒並み縁談の申し込みを取り下げるほどには。

それでもユディングが命じれば、誰とでも婚姻できただろうが、全く興味がなかった。


「先の戦もようやく落ち着いて一年。そろそろ戦をするような目ぼしい相手もいなくなっただろう。ここらで身辺を見つめなおして、幸福を追求してもいいと思うんだ」


目ぼしい相手はいないが、いつまでも大人しくしている相手でもないことを知っている。むしろ今までの一年間の空白は相手が爪を研ぐ時間だったと思っている。火種はあちこちに燻っていて、いつまでも消えることはない。


「どうせ三か月後には戦場にいる、興味がない」

「じゃあ、その三か月だけでもさ。可愛い奥さんといちゃこら過ごしても罰は当たらないと思うんだよね。所帯を持つって幸せだぞ、毎日可愛い妻が公然と傍にいてくれるんだから。仕事での疲れも吹っ飛ぶというものさ」


既婚者たるサイネイトは愛妻家でも有名だ。

長らく家を空けるときにはしばらくぐちぐちと文句を言うほどには。だがそれは原動力でもあり、巧みな戦術でもって敵を一掃し最短で戦を勝利へと導くのだから、助かってはいる。

ただ凄まじく鬱陶しいだけで。


「俺には全く似合わない……待て、なぜ嫁がいることが前提なんだ。求婚は断られたんだろう?」


三か月、可愛い妻と過ごせと決定付けられた話に、不安を覚えた。

真っ赤な瞳をひたりと部下に向ければ、彼はにんまりと笑う。

戦場ですら、ここまで戦慄したことはない。


「大陸の東の果ての緑に囲まれた島国に、高い塔に囚われたお姫様がいるんだ。年は十五歳。太陽のような濃い金色の髪に、虹色の不思議な瞳を持つ病弱な姫君らしい。彼女は毎日毎日塔から眼下を眺めては王子様のような英雄の助けを待っている」


突然始まったおとぎ話のような語りに、不安は増した。


「……なんの話だ…?」

「病弱なのに閉じ込められているだなんて可哀想だろう。それにきっと夢見るか弱い可憐な姫だよ。助けてあげたらきっと惚れこまれること間違いなし。たとえ相手が血濡れの悪鬼でもね」

「だから、何の話だ!」


サイネイトは後ろでに隠し持っていた書状をぴらりとユディングの鼻先に突きつけた。


「お前の結婚相手だよ、東の島国の囚われの姫君テネアリア=ツッテン様の話に決まってるだろ」


書状には彼女の名前と結婚を承諾する旨の内容が書かれていたのだった。


「高い塔に囚われているお姫様を助けて英雄気取って惚れられてみない?」



#####


『高い高い塔のてっぺんに囚われた姫がおりました。

 彼女は産まれた時からそこで過ごしていたので、とくに不満を覚えることはありませんでした。塔の中は平和で穏やかな時間が流れているからです。


 そんな、ある日。

 塔に通りかかった英雄が、姫を外へと連れ出して世界を教えます。

 そして美しい姫に愛を囁きました。

 世界の広さを知った彼女は決して塔へと戻ってくることはありませんでした。自分を助けてくれた愛しい英雄と一緒に外で暮らすことを決めたからです。

 そうして二人は外の世界で末永く幸せに暮らしました。

 めでたしめでたし』


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