第34話 幸福
せっかく来たのだから、とプルトコワに勧められて一階に下りてきた。
渋るユディングはそもそも舞踏会には参加はするが、もっぱら眺めるだけだとサイネイトから聞いている。これまで相手役が誰もいなかったということもある。
ようやく相手役ができたのだから、一緒に練習すればいいと補佐官は一月の間、ダンスの訓練を課した。
その成果を見せる場所でもあるが、何せ一月しか時間はなかった。
性に合わないと逃げ回るユディングのせいで、実質練習できたのは僅か。
皇帝の無様な姿を見せて、貴族たちの笑いの種にするという作戦を叔父が考えているのなら大成功かもしれない。
彼にそこまでの意図がないのは知っているので、テネアリアはこっそりとユディングに耳打ちした。
「無理に踊らなくても構いませんよ」
「いや、大丈夫だ」
眉間に深い皺を刻みながら唸るように答えるユディングの威圧感は凄まじい。
皇帝の存在に気が付いた貴族たちがそれとなくダンスホールから離れていくのを見て、テネアリアは内心で慌てる。
踊っている人たちに紛れ込んで適当にお茶を濁す作戦がすっかり水の泡だ。
しかし皇帝と気が付いても誰も声をかけてこないのだなと呆れる。
本当に彼は誰からも恐れられているのだ。これまで追従してきた貴族たちを追い払っていたのだから当然の帰結ではあるが、夫がただ緊張しているだけなのだとわかっているのでテネアリアは微笑ましい気持ちにしかならないのだが。
周囲に夫の可愛らしさが伝わらないのがもどかしい。
夫の内面をよく知っているサイネイトがもっとアピールすればいいのに、と筋違いな恨みをぶつけてしまう。
閑散としたダンスホールで、ユディングはテネアリアの手を取って優雅にお辞儀した。
「俺と踊ってくれるか、姫」
「はい、もちろん。喜んで!」
食い気味に応えてしまったが、それは仕方ないのだと誰に言うでもない言い訳をした。
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見上げた先にはユディングの凛々しい顔がある。ご飯を一緒に食べるときも近くで見るけれど、ダンスを踊るときはまた別格だ。彼にエスコートされると、ここが敵陣真っ只中ということもすっかり忘れそうになる。
彼の紅玉の瞳に映っているのは自分だけ。もちろん、テネアリアの瞳も同様に、愛しい夫だけを見つめている。
心地よい音楽に身をゆだね、ぴたりとくっついて彼のリードでくるくる踊る。手足を動かして軽やかにステップを踏めば、ふわりとユディングが抱き上げてくれた。
数少ない練習でも彼は度々、テネアリアを抱き上げる。
軽すぎるんだと愚痴をこぼして渋面を作って。
その度に、本当に羽が生えたかのように体が軽くなるのだから不思議だ。
心は満たされて、どこまでも幸福だ。
やはり傍にいるのは嬉しい。愛しているし、どこまでも愛しいと実感できる。
「何を笑っているんだ」
「幸せだな、と実感しておりました」
「そうか。楽しいか」
「もちろんです。ユディング様はいかがです?」
「わからないな。俺には…」
「もう。私が貴方の感情になるって言ったじゃないですか。私が幸せなら、ユディング様も幸せなんです。私が楽しいんだから、ユディング様も楽しいの。ほら、胸がポカポカするでしょう。なんだか笑いだしたくなりません?」
「言われてみれば…? お前を見ているといつもそんな気持ちになるな」
テネアリアは思わず足を縺れさせた。
ぼっと顔に熱が集まって、思わず俯いてしまう。
「俯くな。顔が見えないだろ」
「いえ、今はちょっと見ないでいただきたいです…」
「なぜだ。お前を眺めているのはわりと好きなんだが」
「好きとか…っ…もう、どうなっても知りませんからね!」
会場では突風が荒れ狂っていたが、テネアリアはもうどうにでもなれとやけっぱちの気持ちで顔を上げた。
「ユディング様、大好きです」
「うん、そればかりはわからないが。お前は趣味が悪いんだな」
真顔で頷いている夫に、テネアリアは口を尖らせて抗議する。
本人に伝わらないのが、心底もどかしかった。
「物凄く趣味はいいんです!」
くるりとターンして、彼の腕の中に収まる。テネアリアが好きに踊ってもユディングは手足が長いので受け止めてくれる。
こういうのは包容力があるといえるだろう。
夫はいい男だ。
だから、テネアリアは幸せなのに。
恋敵が現れるのはいやだが、だからといって彼の良さが誰にも理解されないのは悲しい。
何かよい作戦がないものかとテネアリアは頭を悩ませたのだった。
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