第43話 帝国の主(サイネイト視点)
「つまり、どういうことだ?」
不機嫌そうな声音に、瞬時に室内がぴりついた空気に包まれる。
皇帝の執務室には、皇帝であるユディングと補佐のサイネイト、そして今回の作戦部隊長であるクライムが侍っている。
これまでの皇帝は、渋面を作っていたとしてもそこに感情を乗せることはなかった。
ただ、不快げに寄せられた眉が、彼を不機嫌に見せているだけ――それが、感情を伴えばこれほどに恐ろしくなるのかと、見慣れたサイネイトですら冷や汗が背中を伝うのを感じた。
「……は、ですから、しばしお時間を――」
同じ言葉を吐くのにどれほどの勇気がいるのか。
サイネイトはクライムに同情する。
セネットがいれば、間違いなく彼が隊長であったはずだ。だが、彼が不在のため、二番手のクライムが指名された。実力を示すいい機会だと考えられるほど前向きにはなれない。そもそも真面目で慎重をよしとする彼には難しい立場である。
とくに寝た獣が目覚めたすぐの不機嫌さを隠しもしない、今なら。
「もういい」
短く切って捨てた言葉は、部屋に重々しく響いた。
「もういいとはどうするおつもりですか、陛下。妃殿下の居場所は把握できていますが、乗り込むにはなかなか時間が必要で、そのためにはかなりの兵も必要になります。まさか単騎で乗り込むなんて無謀なことを考えられているわけではありませんよね?」
一応、他人の目があるため、サイネイトは慇懃な態度で、親友を窘めた。
紅玉の瞳は、どこまでも光を讃え、そしてぎらついている。
禍々しく血のように赤いとたとえられるユディングの瞳であるけれど、いつもならば、湖面のように凪いで落ち着いた眼差しであるというのに。
ああ、まさか図星を刺したのか。
嫌な予感を覚えて、サイネイトは改めて執務机を前に深く腰かけているユディングを見下ろした。
「冗談ですからね、本気で単騎で突入なさらないでくださいね?」
「時間がないのなら仕方ないだろう」
テネアリアが囲われている敵国の部隊は、三千人。
奪還に必要な兵を揃えるためには、しばらくの時間がいる。そのための説明を、クライムは進言したのだった。
そもそも敵が進軍してきた地域が問題だった。先日、そこの領主を更迭したところだ。後に着いたのはまだ若輩者で、とても前任者の残した軍を動かせるほどの力はない。統率できないのは目に見えている。その近くもユディングの叔父の息がかかった領主たちで動かすためにはどうしても時間が必要になる。
けれど、ユディングは聞く耳をもたない。
「死にたいのですかっ」
思わず声を荒げてしまった。
楽しくない役どころなど御免だと思っていたけれど、今回ばかりはそんな呑気なことも言っていられない。
冷静で、常に慎重に事を進めてきた男はどこに行ったんだと問い詰めたい。
ユディングがこれまで戦で負け知らずであったのは、何も運がいいからではないのだ。緻密に綿密に下調べをしたうえでの勝利である。確かに、彼が一度戦場に立てば雷が落ちるなどばかばかしい噂ばかりが先行しているが、それはここ三年くらいの話だ。彼はその前から数々の戦場に立ち、常に勝利を収めていきているのだから。
それが、これほど冷静さを欠いている。
たかだか一人の少女のためだけに。
思わず乾いた笑いが口からついて出た。
彼女を勧めたのは確かにサイネイトだ。風の噂で塔に閉じ込められた憐れで病弱な姫がいると。東国に伝わるおとぎ話のように、そんな彼女と恋をしてみれば面白くない彼の人生にも少しは彩があるかもしれないという遊び心だった。
それが、どうだ。
蓋を開けてみれば、随分な愚か者ができあがっているではないか。
三千の敵国の兵士たちに単騎で突っ込んでいく男がどこにいるというのだ。それが一国の主のすることか。
そんなもの肝心の姫を助けることすら叶わない。
当然の帰結で、お粗末な結末。
命を無駄にしているとしか思えない。
「ついてこられる兵だけでいい」
「だから、それだと半数しか……」
「いい、いくぞ」
「あー、もう勝手にしろっ」
髪の毛をかき混ぜて、サイネイトは言い放った。
すぐに後悔したけれど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます