第38話 末裔

テネアリアは自分の体が運ばれていくのを俯瞰しながら見ていた。文字通り意識だけが宙にあり、見下ろすことができる。

意識を飛ばせば、侍女が喚いている声が聞こえた。


テネアリアが皇城を連れ出されたのは夜中だ。もちろん、寝たまま運ばれた。荷物をくるむように布で包まれ、大きな木箱に入れられて台車に乗せられ城の裏門から出た。名目は皇帝が愛用している剣を修理のために持ち出したということになっている。人一人を剣と同じ大きさ重さで扱うなと言いたいが、門番も納得してしまうのだから不思議だ。

いつからユディングは怪力の大刀持ちになったのか。恐れられ過ぎるというのも考えものだなと若干遠い目をしてしまったのは内緒だ。


今はすっかり日も登っていて、城ではいなくなったことが発覚して総出で捜索されている。

腹立たしいのは、ツゥイはテネアリアが勝手に起き上がって動き回っていると考えていることだ。

監視兼護衛でもある彼女の失態であるというのに、責任転嫁も甚だしい。戻ってきたら説教だと息巻いている彼女に、その台詞をそっくりそのまま返してやりたい。そして拐われたのだという真実を伝えたい。


だが声を届ける体は彼女から遠く離れた場所にあるので、それも難しい。実際に言葉を発するために体は必要だ。一度声を出してしまえば遠くの相手に届けることは可能だが、木箱の中にある体になど戻りたくない。

こんなことなら手紙でも残してくればよかったと後悔した。だが自分が拐われるのは予測していなかったのだから、どうしようもない。

意識はユディングの叔父や取り巻きの高位貴族たちの動向に向けられていて、まさか隣国がでしゃばってくるとは考えてもみなかったのだ。


けれど、よくよく思い起こせばプルトコワは隣国の姫を母に持つ。血筋でいえばつながりはある。それでも最後の戦から十年も経っていて表面上は穏やかな関係を築いていた。まさかここに来て戦を仕掛けてくるとは予想していなかった。そのため全く動向を探っていなかったのだ。

なにより盲点だったのは、木箱から出したテネアリアの体を馬車に乗せて丁寧に運んでいる男の存在だ。


セネット=ガア。

銀髪の青年が隣国の間者で、さらに東の島国とつながりがあるとは思わなかった。

見た目は完全によその国のものだ。北方の国によく見られる色彩を持つ男が、東と西の関係者だとは思いつきもしない。なんともグローバルな男である。


「起きれますか、妃殿下。それともどこかで眺めているんですかね」


ようやく目的地にたどり着いたらしい。国境付近の山間の平地に張られた天幕の中にある寝台に横たわらせながら一息ついた男は、自然と眠っているテネアリアに話しかける。

その様子から彼は自分のことを知っているのだとわかった。


だから初めて会った時から彼は怯えていたのだ。

テネアリアの力を知る者はたいてい畏敬の念が籠った視線を向けてくる。


「私が東の島国の伝説たる『統べる者』を知っていて驚きましたか。それともわかっていましたか。それでも計画を実行させていただいたのはお目こぼしいなのですかね」


力無く笑ったセネットははあと息を吐いた。

たんに他に目を向けていて気が付かなったのだとはなんとなく言いたくない。

力はあっても扱うのは小娘だ。できることは限られている。

きっとユディングがこの力をもっていれば、純粋に国力の増強に使うだろう。有効に有能に。彼こそ統べる者として相応しい。


「私ではあの侍女殿ほど適切な管理はできませんから、戻ってきてもらわないと入れ物の管理ができないんですよ」

「入れ物って言わないでちょうだい」


ぱちりと目を開けると、久しぶりに動かした口は張り付いたようにぎこちない。

こほりと一つ咳をすると、水の入った錫の杯を差し出された。


「侍女殿がよく肉の衣とおっしゃられるのと変わりありませんよね?」

「ちょっと違うわよ。服を着替えるのと同じ。貴方、服を器なんて言わないでしょう。そんなこと言われると違和感を覚えるのよ。なんでもいいわけじゃないの。わかる?」

「すみません、わかりません」


ゆっくりと起き上がって杯を受け取って、こくりと飲む。

刺された傷がまだ癒えていないので、思わず顔を顰めた。


「傷が完治するまでは体に戻るつもりがなかったのに。痛い思いは大嫌いなの。もちろん、この代償は高くつくわよ」

「ご慈悲をください。少しの間だけここにいてくだされば結構ですから。もちろん不便がないよう取り計らいますし、なんでも揃えさせますよ」

「だったら私を雷避けだなんて進言しないでちょうだいな」


この男は自分が仕える隣国の王族にユディングの雷はテネアリアには効かないと報告したのだ。


「報告した内容は違いますよ。貴女に雷は落ちないと言っただけで、曲解したのは上司たちです」

「それも知っているけれど、もっとちゃんと否定する努力をしないさいよ。私が雷避けだなんて馬鹿にしているわ。ツゥイは起きる催促が面倒だからいなくなったとか文句を言うし。あなたたちは本当に頭に来るわね」

「勘弁ください。そしてこの国の誤解はすぐに解けると思いますよ」


顔色を悪くしながら謝るセネットに、テネアリアは冷めた目を向けた。

テネアリアが単なる雷避けだなんて誤解は確かにすぐに解けるだろう。

だが隣国は悪さしかしていない。今すぐすべてを焦土に変えてやろうかと思うほどには怒りがある。

今、大人しくしているのはただ一つ。テネアリアの懸念はたったひとりの愛する旦那様のことだけだ。


「ユディング様に叱られる前には戻りたいわ」

「随分としおらしい。おとぎ話とは違うのですね」

「何を言っているの。おとぎ話通りよ。どこからどうみても高い塔に閉じ込められていた病弱でしおらしくて可憐な姫でしょう」

「は、あ? どういう認識ですか」

「ツゥイと同じ反応ってどういうこと。本当に貴方たち一族は腹が立つわ」

「いや、私は傍系もいいところなんですが…」

「血が薄まっても本家と同じ反応だなんてますます腹立たしいわね」

「それは…なんとも申し訳ありません」

「心のない謝罪も腹立たしいわ」

「どうしろと?」

「考えなさいな。私の心を平穏に保つこと、それが本来の貴方たち一族末裔に課せられた務めでしょうに」


居丈高に言い放てば、セネットは困り顔のまま再度謝罪した。

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